
未来への準備
「準備」が苦手だった。
何かイベントが決まっていたり
例えばテストのような予定があったりすると
それに合わせてギリギリで準備を間に合わせる。
それが常だった。
(幸か不幸か、ギリギリでもなんとなく間に合ってしまうのだ。クオリティはともかく。)
いつもいつも「その時」しか動けない。
先の予定を決めるのも苦手。
予定を立てて、その当日までの時間をすごすことも苦手。
頭の中にその予定に関することを持ち続けていることがしんどい。
―――
わたしには「死」という星(四柱推命)がある。
この星は人の一生のうちの「死に際」を表していて、
「哲学」や「スピリチュアル」、そして「ストイック」という意味があり、自分で自分を追い込む面がある。
それを知ったとき、
わたしのギリギリ加減はこの星からきているのだな
と妙に納得したし、
それならそれと分かった上でもっと活かしていこう
と思ったものだ。
だがしかし、
「着実に準備を重ねられること」への憧れはずっとあって、
特にここ数年は常にちらちらと頭をよぎる。
「準備の大切さ」が
いよいよわたしの中で大きなものになってきたのか、
あちらこちらから「準備」についての話も飛び込んでくる。
頭で分かっているつもりなだけで
行動にうつそうとしては挫折する、を繰り返していた「こつこつすること」や「重ねていくこと」、「段取りを丁寧にすること」(=つまりは準備)
に本腰入れて取り組む時がきたんだろうな。
そんなことを思っていたら、出会ってしまった。
ある方がSNSで書いてらっしゃったのだ。
「良い準備や支度は
自分の未来を信じる人にしか訪れない。
楽しいことの前には必ず楽しい準備がある。」
(!!)
この一文に心が大きくはねた。
あまりにも合点がいったからだ。
―――
べつに明日死んでもいい。
と子どもの頃からなんとなく思っていた。
それは、
毎日充実ハッピーやりたいことやったし後悔はないわ!
的な感情からでは無論なく
べつにやりたいこととかないし。。
楽しいことってなんだろうか。。
みたいに、
未来への希望的感情がなかったからだ。
生まれ持った性質も、あるかもしれない。(死に際、って、もう未来がないって時だしね。)
なるほど確かに
自分の未来を信じていなかったのだろう。
そうだったのか。。。
腑に落ちた。
ここ数年「準備」が頭をちらつくようになったのは
そしていよいよそれに取り組もうと思い始めたのは
わたしがわたしの未来を楽しいものにしたい、と思えるようになったからに他ならない。
わたしがわたしの未来を信じたい、と思えるようになったからに他ならないのだ。
そう思えた。
―――
わたしからわたしへのサインはそこかしこにある。
それに気づくかどうか。掬い上げるかどうか。
―――
まぁ、気づいたからといって
すぐにギリギリ族をやめられるか、は怪しいけれど、苦笑
「準備」=やらなければならないこと
から、
「準備」=自分の未来は楽しいと信じること
と
前提が変わったことがとてもうれしいと思う午後3時。