元彼との会話で気付いた、「なぜ?」の大切さ
私は昔、自分よりはるかに頭の良い人と付き合っていたことがあります。
その人は、自身の学歴をひけらかすことはなく、一緒にいる時は私の目線に立って話をしてくれる優しい人でした。
でも、時折「やっぱりこの人は頭が良いのだな」と思う瞬間はありました。
その中で私が特に印象に残っているのが、ある冬の日のお風呂上がりのことです。
私がシャワーを浴びて浴室から出てきたときに「寒い」と震えていたら、彼が「ちゃんとタオルで身体を拭かないから、余計に寒く感じるんだよ」と言ってきました。
私だってそんなことは分かっています。
でも、どうしてなのかは分かっていませんでした。
というか、考えたこともありませんでした。
だって、お風呂上りは寒いものだと思っていましたから。
ですが、彼は「お風呂上がりに水滴が身体に付いたままだと、その水滴が蒸発する時に身体表面の熱を奪うから寒くなる」と言うのです。
それが本当なのかは分からないのですが、私はその時ひどく感心しました。
物知りな彼に、ではなく、私はただ「寒い」と感じるだけなのに、彼は「なぜ寒いのか」を考える人なのだと思ったからです。
同じ事象が起きても、それをただ「そういうものだ」と捉える人と、「どうしてそうなのか」と突き詰める人とでは、たどり着く答えに違いがあるのだと、その時に気付いたのです。
実際、彼がどういう経緯で「お風呂上がりの水滴の話」を知ったかは分かりませんし、今までにどういう学び方をしてきたのかも知りません。
ですが、私は、彼はただ与えられた情報を受け入れるだけではなく、「なぜ?」「どうして?」と考え、その都度調べたり議論したりしながら、学びを深めてきたのではないか、と勝手に思ったのです。
なんてことのない、お風呂上がりの一幕でしたが、私はその時なんだか妙に感心して、「だからこの人は頭が良いのかもしれない」と思いました。(私が勝手に感心しているだけの可能性も十分にあります)
そして、その日以降、私は勉強する時も、日々の生活の中でも「なぜ?」をすごく大切にするようになりました。
そうすることで、普通に生きていたら気付かない「何か」に気付くことができ、より人生を楽しめるような気がするからです。
大人になると、自ら学ぼうとしなければ、学びの機会はありません。
ですが、わざわざ参考書や問題集を買わなくても、私たちの日常には様々な問題があふれています。
例えば、海に遊びに行ったとして、たいていの場合は「海きれ~い、楽しかった~」で終わるのですが、よくよく考えてみると、
・なぜ海は青いのか?
・なぜ海水はしょっぱいのか?
・なぜ人間は海に浮かぶのか?
・なぜ遠くの方の海と空は接して見えるのか?
・そもそも、なぜ地球にはこんなに海があるのか?
など、海にまつわる「なぜ?」はたくさんあるのです。
この時に「なぜ?」と思うことができたら、それが学びのチャンスで、このチャンスを逃さないことが、学ぶことの第一歩だと私は思います。
そんなわけで、わたしの勉強法は、”「なぜ?」と思った瞬間を逃さず、その時に考えたり調べたりして知識を自分のものにする”です。
「お風呂上がりの水滴の話」をしてくれた彼が今どうしているのかは分かりませんが、少なくとも私は「学び」について気付かせてくれたことに感謝しています。
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