閑話シリーズまとめ 後編
・閑話 ~或いは魔女と廃墟の町~
「そこには、生命以外の全てがあったよ」
・閑話 ~或いは生命~
「あなたは驚いたりしない? それが全て、まやかしだったとしても」
・閑話 ~或いは欺瞞~
あなたはそれを目指している。朝焼けの丘を。昼下がりの城下町を。夕暮れの森を。夜更けの湖を。あなたは目指している。辿り着けるとも知れずに。幼子が母の乳を求めるように。あなたはそれを目指している。
あなたは疑っている。この世界――あなたにとって、“世界”とはどれだけの拡がりを指すだろう?――には、それが満ちている。誰も彼もが真実を述べ、誰も彼もが嘘を言わない。そんな清廉で潔白な世界は、あなたの居心地を悪くする。だが、誰も彼もが嘘を述べ、誰も彼もが真実を言わない世界を、あなたは想像できない。あなたは生まれたばかりだ。あなたたちは善なる存在として生まれ、この世界――皆にとって、“世界”とはどれだけの狭さを指すだろう?――という欺瞞に触れ育ってゆく。あなたは世界を知ってゆく。だから、あなたは疑っている。改竄された歴史たちが、あなたの背中を後押しする。
あなたはそれを目指している。夜更けの嘘を。夕暮れの怠惰を。昼下がりの傲慢を。朝焼けの無知を。あなたは目指している。辿り着けると疑わない。死期を悟った老人のように。あなたはそれを目指している。
そこはきっと、楽園にも似た地獄だろう。あなたは夢想する。
あなたは疑わない。彼女の奇跡を。この世界――“世界”とは?――の慈しみを。
カエテペスの草のにおい。セブレンの町の喧噪。ユーリヒテスの鐘と日没の集会の厳かさ。踊るレリエスの女たち。
あなたはそれを目指している。
だが、あなたは安心もしている。
彼女が見守ってくれているから。
その慈愛だけが事実なのだと、あなたは決して疑わない。
・閑話 ~或いは魔女の手記~
二百十八項に挟まったポラロイド写真
撮影者不明、撮影日不明、撮影所不明
・閑話 ~或いは救済~
「あなたの欺瞞と妄言だけが、私の救いだったんだよ」
・閑話 ~或いは果てぬ果てなき夢々~
ここから見る景色が好きだ。
だってここから落ちれば、全てを終わらせられる気がするから。
・閑話 ~或いは辺獄~
「もう終わりにしよう?」
・閑話 ~或いは魔女と旅したわたしの日々~
魔女と踏破した数々の地を、わたしは夢想する。
あの険しい未踏の山脈。宙まで届く絶壁のその頂上に、魔女はわたしの手を引き悠々と降り立った。そこからはこの世界の全てが見渡せた。わたしは下を覗き見て、足を滑らせかけたその瞬間、魔女はわたしの手を引き、滅多に見せない焦った表情でわたしの顔を覗き込んだ。わたしは謝り、魔女は小言を幾つか垂れたが、その後わたしたちはお腹が攣るくらいに笑い合った。吸い込む空気は冷たく清浄で、とても心地が良かった。
太古の遺跡。神々の時代に造られた神話の遺跡を、わたしと魔女は手を繋ぎ、散歩気分で散策した。巨人の台座、沈黙する機械群、発光する石壁、用途不明の物品たち。わたしはその全てに興味を示し、魔女はわたしの質問の全てに根気強く答えてくれた。わたしは神々の時代の全てを理解した。その壮大な宇宙の歴史、世界の成り立ち、愚かなる人類と穢らわしき亜人種の終わりなき戦争。失われた技術、神々が放棄したこの星の叙事詩に、わたしは果てなき浪漫を感じた。そうして最後に魔女は言った。「神々たちが、本当にいてくれたら良かったのにね」わたしは本当にそう思ったから、首が取れるくらいに頷いた。
誰も住まない街。沢山の影が行き交い、わたしは魔女の背に隠れて歩いた。「心配しないで」と魔女は言ったが、わたしは姿の見えない彼らが怖くて仕方が無かった。無限の街道。等間隔に設置された瓦斯灯は青く、雑踏の音は水溜まりを踏み抜く音を鳴らすのに、わたしたちが歩く石畳は千年も雨に打たれた形跡が無かった。大広場に面した大ユリエス邸の鈦合金の外壁には、かの有名なエルメウスデス卿の晩年の大作『ジュレデレスの全て』が飾られていた。わたしと魔女はそれをしげしげと眺めたが、わたしたちは神々の行いの全てが虚偽だと知っているから、涙を流し咽び泣くほどの感動に打ち拉がれるに留まった。気付くと、影の住民たちがわたしを取り囲んでいた。街はわたしが今すぐ逃げ出したくなるほどに、厳かで儼乎たる雰囲気に包まれていた。
その他にも、魔女はわたしを様々な地に誘った。
「次はどこに行きたい?」
温かいベッドで目を覚ませば、魔女の、母にも似た慈しみの表情が覗き込んでいた。
わたしは答え、魔女は笑う。
「じゃあそこに行こう」魔女は手を引き、わたしを起こす。
わたしは期待に胸を膨らませる。魔女は今日、わたしをどこに連れ出してくれるだろう。
起き上がり、革靴を履き、朝焼けのまぶしさに目を細める。
さぁ、出掛けよう。
虚偽の旅へ。
・閑話 ~或いは目覚め~
魔女の視線に、わたしは目覚めた。
辺境に住まう彼女の恩寵と悽愴と、彼女たちが住む集落、彼女たちが還る家。粛々たる彼女たちの葬列に交ざり、彼女たちの素晴らしき工房に無限の奥行きを見た。そこには彼女がうたう慈しみの子守歌が響き、彼女の追想と黎明に息を呑んだ。改竄された彼女たちの歴史、彼女が起こす原初の奇跡。廃墟の町には生命と欺瞞があり、彼女の手記には救済があった。果てぬ果てなき夢々の果てにある辺獄。その地を目指して旅したわたしと彼女。
「もう終わりにしよう?」
魔女は言った。
「あなたはもう、行かなくちゃ」
わたしはどこに行くのだろう。
魔女の周りを飛んだ巨虫たちはもういない。わたしは陛下勅命の旅路の途中で、記憶はあぶくのように指の間をすり抜ける。もういない。はじめからいない。わたしはいない。彼女はいない。
わたしは目覚めたくない。だが、
魔女が手を振った。
わたしはもう行かなけ――
・閑話 ~或いは旅立ち~
ありがとう。そして、さようなら。
わたしは行くよ。わたしは絶対に忘れない。
生活は続き、世界も続く。
終わらない苦痛に打ち拉がれる時間は無い。
行かないと、行かなきゃ。
旅路の果てに、
この世全ての虚偽が待っている。
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