「やりたいこと」を見つけるときに気をつけたいこと
最近、やりたいことを素直に口に出して実行できるようになってきたわたしですが、「やりたいこと」が出てこないタイプとして長らく人生を過ごしてきました。
「やりたいことが出てこない」というのは、こんな状況です。
まあやりたいことが100個かけなくても死なないですけどね。でも、書けないよりは書けたほうがいい気がするし、書ける人はどうやらそれが叶っていくらしい。だったら書けるようになりたい。
(このくだり、ドリームマップでも全く同じことやったな。笑)
ということで、自分の気持ちに正直になって、向き合って、書き出すというのを繰り返していたら、100個とはいかないけど、50個ぐらいはやりたいことが書けるようになりました。
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で、少し書けるようになったとき、このタイミングでハマった罠がひとつ。
無意識に「やりたいとこ」「ありたい姿」の定義をこんな感じにしてしまってたんです。
罠すぎる。
無意識にそう思って書いていたことがこちら。
やりたい理由はいまできていないから。
わかる、これもやりたいことなんだよね。わかるよ。わかるんだけど、そうじゃないんだよ!!!!!!!(大声)
できないことをできるようにする。これが必要なときもあります。それはなりたい姿に近づく努力です。
でも、足りないところを埋めた先にあるのが理想の姿だとして、足りない部分を埋める努力を全力でして、きれいに丸くなったとき、わたしらしさはどこに残るのだろうか。
無意識に、誰かからの評価を気にして「やりたいこと」「ありたい姿」を決めていないだろうか。
そもそもその努力、楽しいか?継続できるか?ゲームしてたほうが、ドラマ見てたほうが、楽しくないか?そんな楽しくなさそうな努力をする時間があるなら、わたしは正直ずっと寝ていたい。
そもそも「できたほうがよさそうだからやりたい」って全然やりたいことじゃないんだよ!ってことに気がつけなくてわたしは結構苦戦しました。
こういう心の声を無視して、「やったほうがよさそうなこと」を書いてしまう。
本当に本気で自分がやりたいことを書き出すのは、わたしにはかなり大変な作業でした。
だって、これがやりたいことだって自分では思ってるんだもん。気づくのは大変だし、抜け出すのも苦労するのは当たり前です。
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書いていて納得感があるわけではなかったから、考え続けていて、あるとき「この人の生き方いいなあ」って思う人のことを思い起こしてみた。
そしたら「どこまでもその人らしい人」がわたしは好きだし、そういう人になりたいんだなってわかった。
何者かになっているように見える人は、みんなどこまでもその人らしい。そこがすてき。
何者かになるというのはすなわち「誰でもなく自分である」ということなのだろうと。
わたしらしさってすでに持っていて、わたしらしさって新しいスキルを身につけることで得られるものじゃない。わたしらしさは外に落ちてない、自分の中にしかない。というか、自分がすでに全部持っている。
あとはどれが自分らしさで、その自分らしさがどうしたら活きるのか、そこを徹底的に考えるだけでいい。
それに気がついたときから「やりたいこと」「ありたい姿」に「職種」を書くことをやめました。職種は目的ではなく、あくまでも手段なのだ。
それからもっともっとかっこつけずに書くことにしました。
書き出したら、最初に書いていたものとほぼ正反対になりました(笑)。本音で書くと大体恥ずかしい感じになる。かっこよくはない。
でも、「朝起きれないから、朝起きなくてもいい働き方をしている人」をみて、人は「自由に働いている人」と言ったりするもんだしね。
本音でやりたいと思って書いたことは本気で目指せる。だってこれを頑張ったら最高にいい状態になれる気がする。無理せず、わたしでいられる。
わたしでいるための努力はいくらでもできるはずである(たまにはサボるかもしれないけれど)。
というか、もう人生30年以上生きてきたから、いまさら自分のネガティブポイントを全力で救いにいっても遅くないかとも思ったりする。
できないことはできないし、できることはできる。もっと人生はシンプルでいい。
なんかやる気出ないなーって思ったときには、「それ本当にやりたいことか?」って改めて自問できたらいいよね。