わたしはnoteで一体何を書いているのか
6月はnoteをほぼ毎日更新すると決めて半月が経ちました。10記事更新済み、この記事が11記事目です。16日なのでいい感じに「ほぼ」毎日ですね!
書いていて、これは何を書いているのだろう・・・と思いまして、考えていたんですけどたぶん内省をしているのでしょうね。
noteはそもそも自分のために書いていて、誰かに何かを伝えたくて書いているわけではなかった。それで自分のことを書いているんだけど、「今日あったこと」的な日記的noteってあまり書けないんですよね。
もちろん今日あったことを書くこともあります。でもそれは新しい気づきがあったときだけで、日常的に「こういうことがあった」「こういうことを思った」みたいなことはあまり書けない。
自分以外の人の日記的なnoteを読むことはあるのだけど。そういえばこれまでの人生で日記というものが続いたことない!やっぱり必要性を感じていないのだな。納得。
それで、わたしはほぼ毎日なにを書いているかというと、基本「過去」のことを掘り起こして書いている。過去の思い出を書いているわけじゃなくて、「過去をいまみてどう思うのか」みたいなことを永遠に書いているわけです。
だから内省しているんだね。
内省って言葉をなんとなくで使っていたから一応辞書で調べてみたけど、コトバンクによると「自分の思想、言動などを深くかえりみること」らしくて、これやな。これ。
内省って反省の類語なんだって。反省には「自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること」という意味もあるらしい、コトバンク曰く。
こっちのほうが感覚的には近いな。
なんでこっちのほうが近いと思ったかというと、わたしは過去を掘り起こして書いているんだけど、あまりいい思い出を書くことってないんですよね(笑)。
いい思い出を書くこともあるんですけど、結構嫌な記憶についてとか、納得いかなかったことについて書くことが多い。
それで当時はいやだなと思ったり、なんでこんなこと言うんだろうって納得できなかったり、腑に落ちなかったりしたことについて、いろんな角度から掘り起こして「いま思えば」みたいに解釈し直している。
まさに「可否を確かめている」そんな感じがします。
それで、なんでそんなことをしているのかというと「自分助け」をしているんだと思います。
過去の自分を助けている。助けたいんだなと思います。
だからわたしは日々内省をしているんだけど、内省で何がしたいかといえば、自分を助けたいのだ。
それでわたしは灯火コミュニティとか灯火トークセッションとか自分のサービスをやっているのだけれど、それは一緒に内省しましょうというサービスで、全部「自分助けを一緒にしませんか?」というお誘いなのだなと思ったりした。
生きていると背中を押してもらえることも、アドバイスをもらえることも、手を貸してもらえることもあるじゃないですか。
だけど、やるのはどこまでいっても自分ですよね。だからそこは勘違いせずに自分の足で自分の道を歩んでいきたいと思うんですよ。
わたしは弱いし、できないことがたくさんあるので、いろんな人に日々助けてもらって生活しているけど、究極自分を救えるのは自分だけだと思っているところがあって。なぜなら行動するのは自分だからです。
ちゃんと自分で自分を助けたいんです。納得感を自分で作れる自分でいたい。
それで、自分で自分を助けられる人に一緒になりませんか?という提案をしているのだろうと思う。
と、ここまで書いてきて、わたしは「過去」についてとやかくnoteに書くのも好きなんだけれど、「いま頭の中にあることを考えながら書き出す」というnoteもよく書くなと思いました(笑)。このnoteはまさにそれだな。
それをセルフコーチングnoteと名付けてやっているんだなって思いました。
わたしのnoteは大きく3つ。1つは過去を掘り起こして可否を確かめるnote。もう1つはいま何を考えているのか整理するために思考しながら書いていくnote。あと残りは少しだけいまを残しておくnote。
こんなことを日々書いて、こんなサービスをしています。よければ今後もお付き合いください^^