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「「「「のスピードに圧倒された『死んだ木村を上演』

メフィスト賞受賞という実績をひっさげて登場して話題になった『死んだ山田と教室』。本編と同じくらい驚いたのが、ページの最後に続編告知が出ていたことでした。

その続編が『死んだ石井の大群』。

さらにその『石井~』の最終ページには『死んだ木村を上演』の告知が。
デビュー作にして3部作。誰の度胸がすごかったって、出版社の度胸がすごいわ。それだけ「絶対話題にする」という強い意志も感じましたが、売り手側の私としては「もったいないから止めてください、木村を1年かけてしっかり売りましょう」って言ったと思います。

今作の登場人物たちは大人たち。大学の演劇サークルの合宿中に遭遇した”木村”の死を探るために8年の時を経て集まった男女が登場人物です。
死を探るために始めたのが”その日”の再演。
小説の中で演劇を始める、という小説は色々あるけれどどうしても誰のどういう視点で読んでいいかわからなくなるところがあるんですよね。特に今回の主人公たちは満ち足りた毎日を送っていつつも、それ自体を演じている気もしていましたし。

「現在の自分」=外づら
「あの日の自分」=外づらの思い出(演技)
「あの日の真実」=隠れていた真実
「現在の自分」=現実
という4パートがどんどんどんどん絡み合ってきます。
わかりづらいじゃないか!となりそうなところ、それが会話として書きわけられて見事に成立しています。
後半の「「「「「(←読めばわかる)のスピード感と感情が爆発した時のリアルさと言ったら。

『山田~』の時も強く感じたのですが、残された者はどこかで後悔という名前の”死の理由”を求めています。ヒロイズムと言ったらいいのかな。残された者たちがそれぞれの立場から持って組み立てていた自らのヒロイズムストーリーを、容赦なく壊していくところが本当にスゴい。
でも、残された人々の時間は続いていき、青春の輝きを糧にしつつも現実に向かって歩いて行かなければならない。
そんなことを感じた1冊でした。

私にも若い頃大事な友人を亡くした思い出があります。そんな日のことを改めて考えています。


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