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2年越しの出産レポ

2022年に子を出産しました。
久しぶりの投稿は、2年前の出産記録です。

長い、読み返したらとにかく長くて読みづらかったので、目次つけました。


1.記録を残そうと思った理由

あれほどしんどかった痛みを忘れるわけにはいかないと思い記録には残そうとずっと思っていたものの、書き起こすのにもエネルギーのいる出来事とボリュームなのでなかなか実行に至らなかったのと、日記帳には手書きで残していたもののそれをnoteに書き起こす作業が面倒だったわけなのだけど、なぜ今になって出産記録を残そうと思ったのかというと、先日友人が出産し自分の出産の時のことを思い出したのもあるけれど、一番の理由は、無麻酔出産がデフォルトになっていることに加えて、妊娠中絶の手術ですら無麻酔で行われていることを恥ずかしいことにこの歳になって初めて知ったから。

妊娠中絶を経験したことのない私の中の中絶手術のイメージは、手術台に横になり、麻酔を打たれ、痛みもなく手術が終わるもしくは寝ている間に手術が終わる、というものだったのだけど、昨今X(旧Twitter)では過去に中絶が無麻酔で行われたこと、あまりの痛さに意識が飛んだり悶え叫んだにもかかわらず病院のスタッフから笑われたり我慢しろとばかりの対応をされたこと等、様々な体験をポストする人が増え、それらを見て初めて無麻酔で行われていることを知り、私にはとにかく衝撃的だった。

そもそも妊娠中絶って軽はずみとか命を粗末にとか言われることが多いけれど、男女共に同じく責任を負うべきところを女性だけが心身ともに受ける負担が大きく、しかもそれって個人の責任だけにとどまらず私たち大人が性教育を怠ってきたことによる教育の敗北であり社会の責任でもあるのに、一人の女性がすべてを負わされるだけでなく痛みという罰までも受けなければならない理由が一体どこにあるのか、もちろん病院や産婦人科にもよるのだとは思うけれど、そんなことある?なんでそこ後回しなの?女には痛覚がないだなんてあり得ない誤解をされていない限りそうはならないと思うし、女は強いだの痛みに耐えられるだの、はたまた女は大袈裟だから実はそんなに痛くないだの、女の痛み耐性について好き勝手言われてきたのだと思うけれど、現状としても麻酔科医が少ないだの手が回らないだの、そういった状況を産婦人科医の方々自身が変えようとしない限り変わるはずもなく、産科界の麻酔科医が増えるはずもない。

中絶と出産はまた別の話かもしれないけれど地続きであって、そもそも通常の分娩に麻酔を使用しないのがデフォルトとなっている日本、女性の扱いの低さを物語っている。海外諸国の無痛分娩の普及割合はフィンランドで約90%、フランス約80%、アメリカ約70%超、え?日本?8.6%。男女格差が小さい国ほど普及率が高いというけれどまさにその通りで。

8割の人が無痛選んでるよと言われたら、ほとんどの女性は無痛を選ぶと思う。ただ実際に麻酔科医が少なく無痛が選べる産院はかなり限られていて、無痛を選ぶと追加の費用がかかる等のハードルもあっての8.6という数字なのだとは思う。

とはいえ「忙しいけど○○をする時間がない」のは本当に○○をしたいと思っていないから、という深層心理の話はまさしくこの話にも当てはまる。
産科に麻酔科医を呼びたいけれど麻酔科医の人手が足りないのではなく、実際のところ、呼ぶつもりがないのだと思う。
現に病気の手術等必要とされているところでは無麻酔で手術なんて行われない。つまり分娩に麻酔は必要でないと判断されていることに他ならない。

帝王切開に麻酔を使用できるなら自然分娩にも使用できるはずである。
いやいや現に私も切ったし。股、切ったし。縫ったし。自然分娩でも赤ちゃんが産まれやすくするために切るわけだし。
まあ股を切ったことよりも陣痛の方が痛かったけど。

…と思ってたら帝王切開ですら無麻酔で行われていたというタイムリーなポストをX(旧Twitter)で見つけてダメージを受けた。ここまで酷かったのか。



それでも女性たちは今までずっと出産を痛みと共にさも当然のように経験しやり過ごしてきた。
みんなやってきたし。別にそれで死んでないじゃん。どんなに痛くても、死んだ人なんて数人だし。みんな通る道だし。

そんなんだから、痛みを感じないと母性が生まれないだの、痛みを感じてこそ子どもへの愛情が高まるだのと訳のわからない神話を作り出してしまうのだと思う。
そうでもしないと、自分が経験してきたことを正当化できないから。
感じなくても良いはずの痛みに意味付けをしなければ、生きていけないから。

前置きが長くなってしまったけれど、結局何が言いたいかというと、生死を彷徨うほどの痛みを伴う出産に意味を求めたいわけではなく、痛かった、とにかく痛かったしそれぐらいの痛みを経験したという事実を忘れてしまいたくないのと、それくらい命懸けで子を産んだんだ、それくらいすごいことをしたんだという事実は誰にも変えられないし、記録に残すことで自分の誇りとして持っておきたいなと思ったから。

ただ改めて思うのは、自然分娩を経験したこと自体は後悔はしていないけれど、経験しなくていいならしたくなかったわーという気持ち。
できることなら全ての妊婦さんの痛みを軽減してほしい。心底。

だってあの痛みのせいで、私は脳みそも歪んだと思ってるし(里帰り後自宅に戻った際に、ポストの鍵の番号が全くわからなくなっていたのは衝撃的だった)、身を削った感も強かったせいで未だに被害者意識もある。


あの痛みは、子の可愛さとかとは天秤にかけられない、それはそれこれはこれで、プラマイプラスには程遠いくらいには削られるものがあったと思っている。

それから常々思っていることだけど、出産というものの解像度があまりにも低すぎる。
どんなことも経験しないとわからないとはいえ、実際に妊娠するまでそのしんどさや辛さだけでなく具体的にどのような流れで出産に至りどれほどの痛みがあり、またどのような対策を取りながら乗り越えるかみたいな、そういった具体的な知識って子どもを産み育てるか否かに関係なく男女問わず知る機会があって良いと思うのに。
SNSで妊婦に対する風当たりが強いのだって解像度が低いからで、ちったあ義務教育かなんかで教えろやとすら思う。
それがあったらもっと不安やメンタルブレイクも軽減されるし、パートナーの理解も得やすくなるし、いいことづくめなのに。



ということでそろそろ本題に入ります。


2.出産の記録(入院〜退院まで)

初産ということもあり陣痛が1ミリも来なかったため、計画分娩で入院することに。
里帰り中、夫が毎週末遊びに来てくれていたのだけれど、入院前夜に駅まで夫を送っていく車の中で急に寂しくなり、涙が止まらなくなったのを覚えている。不安だった。とにかく不安だった。

院長先生はすごく好きな感じの、不安を笑いに変えてくれるようなタイプの明るい方で、信頼はしていたものの、何もかも初めてでとても緊張感を抱えた入院となった。

入院1日目。
朝8時にクリニックに到着し、入院手続きをすませる。
陣痛室のベッドに横になり、説明を受けた後ホルモンの薬を飲み始める。

陣痛というものがどんなものでどれほどの程度なのかわからなかったので、この痛みは…ん?いや違うかも…いや今度は?いや違うな…みたいな、お腹の張りや微弱な子宮の収縮に意識を向け続ける時間との戦いがはじまった。

陣痛がいつ来るのかもわからない、陣痛が来たとしても対処法(というか呼吸法)の説明は受けていたもののぶっちゃけどう対処したらいいのかわからない、いつ楽になれるのかもわからない、無事産まれたとてその後の育児は未知の世界、そんな不安を抱えながらの入院はただただメンタルとの戦いだった。不安しかないのでひたすら泣きながらスマホを弄るだけの時間が過ぎる。

入院2日目。
多分この日のお昼頃、経産婦らしき女性が出産する様子がフロア越しに聞こえてくる。入院時から緊張感とナイーブなメンタルを抱えていたので、他の人の出産に涙ぐんでいたところ、分娩処置を終えた院長がこちらの部屋に入ってきて「赤ちゃん産まれたよ〜。次は君かな!?」といったようなことをぼやいて出ていく。

夜、隣の陣痛室に、陣痛らしき痛みを抱えた女性が入院してくる。
夜中に痛みと戦う声が聞こえてきて、助産師さんの説明が壁越しにぼんやり聞こえる。
痛い、痛い、あ〜〜〜!ん〜〜〜!!痛い、、、徐々に強くなる痛みに声が強まったり消え入ったり。
そんな彼女に対応していた助産師はどうやら気持ち寄り添わない系の説教おばさん、そんなに声出したら余計痛いに決まってるでしょ、そんなんじゃ赤ちゃんが出てくるのに余計に時間がかかるのよ、もっと力抜かないと。でも痛いんです、どうしたら力抜けるんですか、そんな彼女の質問にも具体的な対策を提示せずひたすらダメ出し。そんな会話を聞かされながらベッドに横たわったところで全く眠れるわけもなく。いやいやあなた方にとっては1万回のお産の中のほんの1件でもこちとら初めての出産なんだわ、何もかも初めてで経験したことのない出産という未知の恐怖で覆い尽くされてんだわ、建設的な対処法すら教えてくれないならせめて寄り添えやと心の中で突っ込んでいた。

入院3日目。
前日は隣室の唸り声を聞きながら結局ほとんど眠れずに過ごしたため、HPもあまり残っていない状態で翌日を迎えた。
1日目から飲んでいたホルモンの薬を朝7:00と8:00に飲み、陣痛の気配が一切なかったためいよいよ9:00に促進剤の点滴が始まる。
30分くらい経過した頃から痛みが始まり、そこからはひたすら痛みとの戦い、自分との戦いという感じだった。
妊娠中から作成しておいた陣痛プレイリストは結局そんな余裕もなく陣痛が来てからは一切聞けていないし、陣痛が来た時のために持ってきていた軽食も食べる余裕なんてなかったし、陣痛が来た時のために買っておいたストロー付きのペットボトル(横になったままでも飲める)の水すら、ベッドの脇に置いておいたものの痛みに悶えて横たわっているので全然手が届かず、病院の方も急にバタバタし始めて助産師さんもほとんどそばにいてくれなかった(泣)ので、取ってくださいと声を出す余裕もタイミングもなく喉が乾いたまま痛みに耐える時間が続いた。

陣痛のイメージが、世間一般のドラマにあるような大声をだす感じだったので、全然違うじゃんと思いながらようやく来た助産師さんに呼吸法を教えてもらい、必死でいきみ逃しをした。
声を出したり力を入れたりすると子宮口がむくんで余計に時間がかかるということを、2日間隣の陣痛室に来た何人かの妊婦さんへの指導で知ったので(聞いといてまじでよかった)、声を出さないように頑張ったけど、とにかく痛すぎて、力を入れないのが無理すぎて、壁を押したり、髪を引っ張ったり、自分でテニスボールを腰にぐりぐりしたり、ただただ悶えながら無我夢中で痛みに耐えた。
子宮に力を入れないようにして静かに息を吐く『ヒッヒッフー呼吸法』というのを実際にはやったのだけど、聞いたり見たりしただけではわからずコツをつかむのがとても難しかった。

まさに終わりの見えない激痛レースという感じで、産まれるまでの4時間が長く長ーーーーく感じられた。

何度も何度も子宮口の開きチェックが入る中、痛みに耐え続けていつの間にか子宮口は全開になっていたようで、あれよあれよといううちに助産師さんに連れられて分娩台へ。
(後日知り合いに「分娩台に乗る時歩いていくよね?あれ普通に考えて酷くない?笑」と言われて確かにそうだなと思った)

乗った後のことは何も考えていなかったので、いきんでと言われてやり方を教えてもらうも頭が働いていないのでよく分からず、難しかった。
痛みが来たタイミングでお腹に力を入れると教えてもらい、もう何でもいいから早く出てきてくれお願いという気持ちでいきみ3〜4回目で子は無事出て来てくれた。
産まれてきた子と、やっと初対面。
とりあえず出た、出てきてくれたことに一安心、でも正直それどころではない。
とにかく全身痛すぎてガチガチ。寒すぎて震えが止まらない。
いわゆる身も心も、放心状態。

産んだ後の記憶は正直曖昧だけれど、胎盤を取り出した後、余分に残った血液等を押し出し院長先生が縫合の処置をしてくれた。
その後だったか、院長先生が3回ほど強く手を握ってくれたのが忘れられない。普通に泣いた。この病院で、命と真摯に向き合ってくれるこの先生で本当によかったと思った。

立ち会い分娩として産まれた直後くらいに入室してもらう予定だった夫は、助産師さんの勘違いにより連絡が遅れ、子が産まれてから30分後くらいに到着。
私の子宮口全開を確認し夫に連絡するよう指示してくれたベテラン助産師さんの「え?1時間かかるの?あら〜間に合わないわあ」とか言う呑気な声には嘘だろと拍子抜けしたけれど、いくつかのお産が重なり院内がバタバタしている中、院長や他のスタッフとの連携プレーを先導しながら命懸けで子を取り上げてくれた彼女には本当に感謝しかない。
スタッフさんが温かいタオルで顔を拭いてくれ、3人の家族写真を撮ってくれた。

コロナ禍も少し落ち着いてきたけれど、面会時間は限られており割と早々に夫は仕事に戻った。こんな状態の私を置いていくのかと少しだけ(いやかなり)思った。

その後は陣痛室に移動し、スタッフさんが温かいタオルで全身を拭いてくれた。
ガタガタボロボロの身体をちょっとずつ動かして痛みに耐えながらトイレに行った後、ベッドでしばらく身体を休めた。

そしてどのくらい時間が経ったかもわからないまま部屋に戻され、夕食が来ても身体が辛すぎて起きられずそのまま寝ていたけれど、いよいよお腹が空き過ぎてやばいと感じ、なんとか起き上がりトイレに行った。
が、急に視界が真っ白になり、立てなくて座り込む。寒気も止まらない。ナースコール。
スタッフさんが来てくれて多分なんとかベッドまで行ったのだけど、いわゆるせん妄というやつなのか、「なんなんだよー!!」と叫び、スタッフさんに「大丈夫?」と言われてハッとなったことだけ覚えている。持ってきてくれた車椅子に乗って陣痛室へ逆戻り。

昼食抜きだったのと、前日ほとんど寝ずに出産に挑んだからだ〜と言われ納得した。そりゃ貧血にもなるわ。鉄剤ももらった。
ご飯を食べてそのまま少し眠ったけれど、夜にお産が入り、今度こそ自分の部屋に戻ることに。

促進剤を打ってから約4時間半、出産にしてはとても短いように感じられるけれど、長くても短くても関係ない、人と比べるものではない、自分にとっては壮絶な出産体験だった。



翌日から4日間の入院期間中は、なかなか密度の高いスケジュールだった。
授乳指導に沐浴指導、調乳指導、小児科診察、そして退院指導。
やることが盛りだくさんでめまぐるしかったけれど、コットという新生児用の可動式ベッドに入った生き物を眺めている時間はとても感慨深く、尊いものだった。

入院中特に印象に残っているのは、毎朝死んだ魚の目をした産婦達がロビーに集まり、院長の診察を受けたり赤ちゃんに授乳をしたりしたのだけれど、身体中が痛いので皆恐る恐るペンギンのような歩き方をしていたこと。なんとなく皆同志のような感じで、一人じゃなくて仲間がいることに安心感があった。


3.おわりに

そんなこんなで産後から今までずっと感じているのは、約10ヶ月間、子も私も本当によく頑張ったよなということ。
トツキトオカもの間自分の生活に制限を加えながら大事に守り育て、こんなにもしんどい思いをして産んだ子なのだから、他のどんなものとも比べ物にならないほど大切で、愛おしくて、尊いんだということ、そうでなければ割に合わない(言い方がアレだけど)。

それから、今生きているのは当たり前ではないということ。

身も心も盛大なマイナススタートで始まる育児生活、たった2年でも育児のしんどさはたくさん感じてきたけれど、終わりの見えない育児をする中でネガティブな感情が強くなった時に、ふと立ち返って出産の時のことを思い出し、自分を支えてくれる助けになったらいいな、という気持ちも込めて記録に残しました。


いやー。
そんな簡単な気持ちでできないよ。出産なんて。

経験して改めて性教育の大切さを痛感したので、自分の子も命を大切にできる人間に育ってほしいなーと出産を振り返りながら思う今日この頃です。

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