
いただきます、のはなし。
「いただきます」の意味を教えてもらったのはいつだったかな。
親、先生、そういう人たちからだった気がする。
なんで、ごはんを食べる前に「いただきます」っていうのか。
あなたはなんて教わりましたか?
食べ物を作ってくれた人、そして私たちに食べられるために命を落としたいきものに、感謝の気持を伝える言葉。
幼い頃、私はそう誰かに教わった。
そして、今日改めて「いただきます」の意味を心に刻んだ。
***
6:30
早起きしてワカサギを釣りに行った。
釣り好きのおじさん(父の弟)と一緒に。
釣り糸を垂らしながらふと思う。
お店がなかった大昔(縄文時代とか)は、みんなこうして食料を得ることがあたりまえだったんだな。
7:30から3時間、2人で35匹。
山分けして17匹もらって帰った。
船を降りる直前までバケツの水の中で泳いでいたワカサギ。
ジップロックに氷と一緒に入れて持ち帰った。
家に着いた頃には、当たり前だがワカサギは動かなくなっていた。
17:30
南蛮漬けを作る。
大事に一匹ずつ水で綺麗に洗った。
野菜と一緒に酢醤油に漬けて、今は冷蔵庫の中。
***
今日、いのちを感じたのはもう一つ。
ワカサギを釣るための餌のアカムシ。
ちょっとグロい話になるので、苦手な方は読み飛ばして欲しい。
アカムシを摘んで、アカムシに釣り針を通す。
針を通して、ハサミでアカムシを半分に切る。それをワカサギの餌にする。
光を浴びるとアカムシはモニモニと元気に動いた。
***
針にアカムシをセットする一連の動作とか、ワカサギを水で洗った瞬間は、正直、心が痛んだ。
"じゃあ、食べなければいい"
そういう選択もできる。
でも、広く言えば植物だろうが動物だろうが、同じいのちだと、私は思う。
人間は植物みたいに光合成できないから、他のいのちをいただかないと生きていられない。
私は普段から動物も植物も食べている。
せめて、おいしく、残さずいただきたい。
今日の心が痛かった作業は、いつも別の誰かがそこまでを私の代わりにやってくれている。
だから、「いただきます」なのだ。
間接的に犠牲になってくれたいのちに。
私のからだになってくれるいのちに。
それを食材にしてくれた人に。
お母さんが作ってくれたご飯だって、コンビニ弁当だって、自分が作った料理だって。
みんな一緒だ。
最近忘れがちだった。
これからも「いただきます」を忘れずに。
そしていつか、もし、私に子供ができたら。
一緒にワカサギを釣りに行って、「いただきます」の意味を一緒に考えたいなと思った。
そんな今日のはなし。
***
最後まで読んでくれた、あなた。
ありがとうございました。
春瀬 蒼
いいなと思ったら応援しよう!
