見出し画像

(創作)波音に溶けていく気持ち(3)ラスト

7
 伊澄さんと過ごす時間は楽しかった。
 あっという間に夏休み。
 その夏は、ディズニーランドにふたりで行ったり、江ノ島の方にも何回も行き、刺激的な夏休みになった。
 わたしは人生で一番、こころから笑ったし、こころから伊澄さんを好きだと思った。
 ふたりで訪れた江ノ島の海。波が優しく広がる浜辺で、ふたりともビーチサンダルになって、少しの間、波と戯れた。
 足元の波の冷たさと心地よい音に、これまでの人生の罪、すべて洗い流してもらえたように思えた。
 もう、わたしはひとりではないんだな。
 そう思って伊澄さんを見ると、こわいような哀しいような目をしてこちらを見ていた。
 そのことがすごく気になったけれど、聞けなかった。

 夏休み終わり、伊澄さんに、2回目のディズニーデートに誘われた。いくら、親の手伝いでお小遣いを奮発してもらっているとは言え、お年玉貯金にわたしは手をつけ始めていた。
 どこかで予感する気持ちがあった。
 楽しい時間は長くは続かない、という。
 夏休みの占いにもきつい一言があった。
「夏は出会いと別れの季節です。そこを乗り越えた先に秋の実りがあります」
 

 家での居心地は格段に良くなっていた。
 バイトがダメだった一件以来、お父さんもお母さんも、兄貴までわたしに優しくなったのだ。
 覚え始めた料理。レパートリーが増えて、肉じゃがやハンバーグ、チキンライス、餃子、などなど。

 伊澄さんとのディズニーデートの前日、リアル兄貴に浅草に誘われた。
 ふたりでのお出かけなんて何年ぶりだろうか?
「甘味でも行こうぜ。俺だってたまには甘いもん食いたいから」
 妙に親切な兄貴に、彼女さんと何かあったのでは、と勘繰ってしまう。顔に出ていたのだろう。
「お前、最近、例の彼氏とうまくいってないんだろ」
 兄貴はそう、小声で言う。
 わたしは素直に甘えることに決めた。
 浅草の甘味処の「ジャンボかき氷」を2人して食べる。いわゆる「しろくま」かき氷で、上にフルーツやアイスクリームが載っている。
 何か聞かれるかな、と思って覚悟していたのに、甘味を食べるとすぐ、兄貴は「浅草寺行こうぜ」とわたしを誘った。 
 真夏の夕暮れ時。浅草寺はライトアップされてどことなく風情があって、なおかつ、あやしげでもあった。
 わたしは兄貴との「この距離感」に気づく。
 異性として好きなんかじゃなかった。最初から、ラブではなく、ライクだった?
 ふたりきりで歩いてるのが自然で、楽だった。浅草寺に詣でたあと、涼しい風鈴の音の鳴る商店街を、目的もなくぶらぶら歩く。
 お腹が空き始めたタイミングも一緒。
 一緒の家に帰る。
 兄ってそういうものなんだな。
「また、昔みたいにお兄ちゃんって呼んだら怒るかな?」
 自然な感じで聞けた。
「呼び名がどうじゃい。お前は気にしすぎ」
 兄貴は商店街で買ったうちわで自分の顔をあおいでいる。
「兄貴って呼ぶのも嫌いじゃなかったけどね。なんか、無理してた」
 素直に言えた。
 呼び方なんか、そうだよね。どうだっていいんだな。

8
「最初、二股かけていたんだ。黙っていて本当に申し訳ない」
 ディズニーデートの冒頭、伊澄さんはそんなことを言った。
「二股って。いいじゃないですか? 彼女さん大切にしてください。わたし、『妹』ですし」
 わざわざこんな値段が高いところに呼び出しておいて、そんな告白はない。最近、スマホでのメッセージのやりとりもちょっと噛み合ってない。この人のこと、嫌いなんかじゃないのに。
「『架空の妹』設定だったよね。最初は」
 伊澄さんは困ったように微笑む。
「あの当時、うまくいってない彼女がいたから、ちょっとした出来心で、君の『交換日記』投稿にアクセスしたんだ。ほんと、何もかもうまくいってない時期でさ。事務のバイト先も業績不良で、クビになったばかりだったし」
「つまり、ほんとは伊澄さんって冴えてなかったんですね」
 我ながら、冷たい声が出たと思う。楽しいデートにはなりそうになかった。せっかくディズニーに来たのに。
「そんな話するために、高いお金払ってきたんじゃありません。ひとりでまわります!」
 強い言い方をしたのが堪えたのか。伊澄さんは顔を歪める。彼も強く言った。
「頼むから最後まで、俺の話を聞いてほしいんだ」
 伊澄さんが俺、という一人称を使ったのは初めてだった。
「うまくいってない彼女がストーカー化してて、6月あたまくらいまで、すごくゴタゴタがあったんだ。でも、ようやく、その彼女にも新しい彼氏ができたらしい。お互い、連絡先を消去した。コンビニの夜間バイトを5月末から始めた。ちょうど、紗良に出会った頃が転機だった」
 伊澄さんは少し黙る。
「せっかく来たんだし、乗り物乗ろうよ。何か乗りたいのある?」
「フィルハーマジック」
 あまり塩対応も味気ないか。
 この間行った時に回れなかったアトラクションを指定した。

 そのアトラクションは、以前に行った時よりバージョンアップされていて、様々なアニメが新しく追加されていた。映像も立体感がある。
「良かった! わたし、すごい目が悪いのにちゃんと立体に見えて」
「紗良って、目悪い?」
 中学生時代からコンタクトにしてるけれど、当時から乱視が強かったのは、伊澄さんにはまだ話していなかった。
「わたし、メガネにするかもしれませんよ。秋から」
 冗談めかして言った。なぜか涙が出てくる。
「結構、目が悪いです。勉強しすぎたし、本も読みすぎたし」
 先月に眼科に行った時の検査結果を思い出して、本当に涙が出てきた。
「何かひとつうまくいくと、何かひとつうまくいかない。そんなことばかりだなあ。わたし、この後60年は生きたいのに、今からこんな視力じゃ、やだなあ」
 涙がしたたる頬をなんとか隠そうと、手で顔をゴシゴシ擦っていると、伊澄さんがわたしのからだをすっぽりと抱きしめた。
 こんなに人がたくさんいるところで。あまりの密着に息苦しい。
「は、離してください!」
 言いながらも、涙が出てくるのも止まらない。
 観念して、彼の胸元に頭を預けて、少しの間、心臓の音を聴いていた。
 ディズニーに来てるような人たちは、遊ぶのに一生懸命で、誰もわたしたちのことなんか気にしちゃいないようだった。
 

 実の兄貴とは違う人に、「兄貴のふり」をしてもらった。
 彼同様、わたしも悪い人だったんだな。
 彼の胸に顔を預けていると、そう思えた。
 冷静になってみると、この何ヶ月か、自分の人生はキラキラしていた。
 実の兄貴とだって仲直りできたじゃない。
 架空の兄貴と架空の妹ごっこ。不健全にもなりうる「遊び」を、この人は、健全に真っ当にやってくれた。
「少しだけ、悪い子、やってみますか?」
 小さな声で、彼に聞く。
「こんな人が大勢いるところじゃ嫌だけれど、後で、木陰とかで、そっとキスしてください」
 優しくしてくださいね。と付け加える。
「わたし、初めてなんですよ。そもそも、ディズニーだって、ほんとの兄貴と2人でも来たことなんかない。家族みんなでならあるけれど」
「そうだね。キスもしたいし、ちゃんと、木陰で告白する」
 告白の予告をされるのもいかがなものかと思うけれど。

 木陰の、人通りが奇跡的に少ないベンチを選んで座る。ふたりで顔を近づけて、ほんのわずかに唇がふれた。でもその時、外国人のご一行が通りかかったので、ふたりとも慌てて顔を離した。
「ここじゃ、できないね。人が多い」
 伊澄さんは、あー、と額に手を当てた。だけど、そのあと、私に言う。
「俺とつきあってください。最初から、妹としてなんか、見てなかったから」
「わたしもほんとは、最初から」
 彼氏だったらいいな、と思ってた。
 そのことを思い出す。
 不健全に遊ぶのはもう終わりにして。
 夏休みはもう終わってしまうけれど、秋のわたしたちは何をして、どこに行くのだろう?

           (終わり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?