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この記事は2019年3月に書いて公開していなかったものを発見したため、加筆して何故か2025年に公開しております。
2019年3月24日 東京キネマ倶楽部
「Tokyo in Natural Machine」
・・・・・・・・・・(通称:dotstokyo、ドッツトーキョー、ドッツ等々)と呼ばれるアイドルグループのラストライブが行われた。
素晴らしいライブだった。本当に素晴らしいライブだった。
比べるものではないけれど、さまざまなアイドルの解散やラストライブを見てきたなかで、こんなに幸せな空間があるのか。というくらい良いライブだった。
ライブ終了後twitterではオタクたちによる様々な感想、考察、また運営による演出の解説がありTLを賑わせていた。ネットには漂ってこない中でもそれぞれの胸の内や仲間内で話し合ったこともあっただろう。
皆想い想いの視点で、これまでのことや、ラストライブを語っていて、ぼく自身、新たな発見も多かったし唸るものばかりで楽しかった。
・・・・・・・・・はとにかく特異というかへんてこなグループだった。見た目にはサングラスのようなモノを身につけてメンバーの顔は分からない。便宜的にニックネームはあるものの全員・(てん)ちゃんと呼ばれている。ぼくが出会った頃にはメンバーは固定され、主に5人の・ちゃんで活動していたが、何度か6人目の・ちゃんを観測したりもした。(ライブやイベントで彼女らを目撃する事を観測と言う)
楽曲はシューゲイザーアイドルを謳っているもののシューゲイザーやギターロック、エモ、テクノ、ノイズ、プログレっぽいもの、VOCALOID曲のカバー等々、多種多様だ。
コンセプト等々は詳しくは公式ページのaboutを読んでほしい。興味のある方は是非運営のコンセプトの解説の文も読んでいただきたい。
これがまた、まぁ長い、とにかく長いのだが、よく分からない小難しい事をやっていたグループだったということはよく分かると思う。
https://dots.tokyo/about/
掻い摘んで話すと、その名の通り「・」という記号、そして「都市」という大きなコンセプトがある。結局はそれらは同一のものであるのだが。
都市の幽霊
主催イベントでは「Tokyo in 〇〇」というタイトルがつけられ、ワンマンライブでは、これでもかと練られたコンセプトや演出があった。たまに運営による解説イベントなんかもあり、そこまでやんの…!?と突っ込みたくなることもあるくらい、非常に面白いものだった。
Tokyo in WWW 解説
この文章はそんなグループのラストライブを終えて、半ば自分自身の記録と記憶のためにも・・・・・・・・・と自分の考えに関することをまとめて綴ろうと思って書き始めた文章である。
もう既にまとまりもなく長くなりそうですが。
最初にぼく自身のことを少し。(いきなり自分語りで恐縮だが…)
ぼくはゴリゴリのアイドルオタクである。
普通の音楽好きの学生時代を過ごし、大学生になってある程度自由になってからは、テントを持って日本全国のフェスにも行くようになった。(この頃のフットワークの軽さはアイドルオタクになってからも大いに役立ったし、今思えばやはり当時から現場主義だった)
2009年くらいからAKBにハマり、当たり前の様に毎週握手会に行き、ももクロを通り2011年頃より地下に潜っていった。当時としてはお決まりの流れだったと思う。そこで出会ったのが、でんぱ組.inc、BiS、tengal6、Tomato n' Pine、バンドじゃないもん!等だ。当時は現在ほど多様なグループは無く、これらのグループは今でこそ当たり前なロックバンドやクラブカルチャーだけでなくファッション、アートとの相性もよく、出るイベントも様々なカルチャーの雑ざりあった面白いものが多かった。何よりも、よくわからないけどなんかやってやるぞ!感があった。これらのグループが現在に与えた影響やアイドル史的な流れはもういいだろう。
まぁ要するにぼく自身は典型的なサブカル楽曲派おじさんである。
2017年8月の事だ。当時のぼくはやさぐれていた。忘れもしない2017年8月6日、Tokyo Idol Festival最終日の夜だ。帰り際に仲間のオタクと「今年もTIF疲れたな〜もうオタ卒するから来年はお台場来ませんw」とか冗談ながらに話している最中に、それは発表された。その年の初めに活動休止を発表したでんぱ組.incの最上もがさんが脱退を表明したのだ。自分で言うのもなんだが、2011年に彼女が加入して以来、6年近くぼくは最上もがさんの熱心なオタクだった。TIFの楽しい思い出も何もかもが吹っ飛んだ。虚無、喪失感。まぁこれを読む限界オタクの皆さんなら大なり小なり一度は味わったことがあるだろう。もうなんかオタクとかも潮時かなあとも思った 。そんな中なんか面白いアイドルいないかなぁとか思いながらコンカフェに行っていた(オタク辞めました)。そんな感じの心理状態だった。
そんな中、・・・・・・・・・のことはおそらく、何かのネット記事でシューゲイザーをやるアイドルというのを読んだのが彼女たちを知ったきっかけだったと思う。youtubeで曲を聴いてみると耳なじみがよくとても心地よかった。そして吉祥寺HMVでの「CD」のリリースイベントに行き、初観測をすることになる。
この時は仕事で間に合わずライブはほとんど見れなかった。とりあえず音源も欲しいしCDを買い、せっかくなので特典会で写メを撮ることにした。
とりあえずかわいいな(たぶん)と思った・ちゃんと撮ることにした。が他の楽曲派おじさんたちはみんなよく分からないニックネームで女の子を指名している。意味がわからない。ぼくはスタッフの方に「あ、あのピンクのリボンの子で…」としか言えなかった。港ちゃんというらしい。
それまでyoutubeでちょこちょこライブ映像等は見ていたぼくにとって「CD」は念願の音源だったが、1トラック72分に、・ちゃんのささやきや環境音、ノイズ、アンビエントな音の中に「スライド」「トリニティダイブ」「ねぇ」というキャッチーな楽曲が浮かびあがり消えていくことで都市とアイドルを表現するという、これまたすごいものであった。いまこれを書きながら聴いているが改めてすごい。ototoyでも配信しているので機会があれば是非聴いていただきたい。
その後、吉祥寺ではライブも見れなかったし、リベンジだ!と行った直後の鹿鳴館でのライブはなかなかに凄かった。今思えばBones、Surfing、Goa Than Words、Dash de koiなどの変な曲たちをやっていたんだと思うけど、もちろん当時のぼくにはこれは曲?なのか、はちゃめちゃなパフォーマンスなのかもよく分からなかった。そしてそれらを20分ほど延々とやったあと最後に「スライド」(だったと思う)を歌い爽やかに去っていった。笑うしかなかった。すごいライブを観ると人は笑ってしまう。天気の良い休日昼間の鹿鳴館という限界突破感もあり、やりすぎだろ…と思った。
その後初めて五感チェキ会というものに参加したぼくはコンビニちゃんにもらったミンティアだかフリスクをポリポリしながらヘラヘラしていた。
もうこの時点で、すっかりぼくは魅せられてしまっていた。ヤバイ現場を見つけてしまった。
先の運営さんのコンセプトや解説を必死に読み、いけるライブにはちょこちょこ定期的に行くようになった。たまにある運営さんの解説イベントは本当に楽しみだった。自分なりに解釈や考察し、特典会で・ちゃんたちと話すたびにどんどん好きになっていった。
ぼくには今まで様々なアイドルグループを見てきた中で出来上がった、そのグループを好きになる基準がある。
・楽曲が良い(自分の好みである)か
・面白い事をしている(しようとしている)か
・大人(主に運営)に愛されているか
この3つだ。
当たり前だろ!と思う方もいるかもしれないが、当たり前が当たり前でまかり通らないのが地下アイドル、地底アイドルの世界だ。
オタクを長く続けて来てしょーもないものも多く見てきたから感じるのかもしれないが、特に3つ目は大事だ。いくら好きなメンバーが居ても愛とリスペクトのない大人に運営されているアイドルを見続けるのは本当につらい。この文章を読んでいる人間はまぁ9割方が限界アイドルオタクだろうから共感してくれる人もいると思う。
・・・・・・・・・にはそれら全てが揃っていた。というかこれらの全ての要素でもはや他のグループを逸脱していた。
・・・・・・・・・とはなんだったのか。
上述の公式サイトでのグループの解説を読んだ方はわかるかもしれないが、これはもはやアイドルと呼べるものなんですか?と少なからず感じたと思う。ぼくもそう思う。
それでも「dotstokyo」はぼくが今まで出会ったアイドルの中でも最も「アイドル」だった。
ぼくはアイドルグループにとって個つまりメンバーの持つ役割はアウトプットの装置、楽器のようなものだと思っている。
グループあるいは楽曲単位のコンセプトや表現の最終的なアウトプットはステージ上で歌い踊っている女の子たちである。(今更だが、ぼくは女性アイドルグループが好きなのでこの文章でいうアイドルは全部女性グループである)
もちろん、地下アイドルというのはステージで歌って踊る以外の部分も大きいのだが。
それじゃ私たちはコンセプトや楽曲を作る大人の人形ですか?と言われてしまうかもしれないが、それはその人としての個性とはまた別の話である。
・・・・・・・・・にとって・ちゃんは
個性を無くすというコンセプトのもとメガネをかけ、顔を隠し、みんな同じ名前で呼ばれる・ちゃんたち(実際はその時々のお題に即してニックネームで呼ばれる)
ラストライブのあと、あるオタクの方が書いていた、オタクとして地下アイドルとの距離感に疲弊しており、素顔も名前(そもそもどんなオタクとアイドルも多くの場合お互い本名ではないのだが)分からない・ちゃんくらいの距離感が心地よかった。的な投稿があり自分でもハッとされられた。確かにそうだなと。
ラストライブ「Tokyo in National Machine」 での運営さんの解説「人と神さまの間にある「アイドル」」という一文。
この一文を読んで自分としてはバチっとハマったというか自分がなんでここまで・・・・・・・・・に夢中になってしまったかという事に対して腑に落ちた感覚があった。
2014年7月、でんぱ組.incのオタク達と夏の魔物に車で13時間かけて青森まで行った。のだが直前で最上もがさんが体調不良で出ませんとのアナウンスがなされ、ぼくらは寝不足の中、朝からヤケクソなテンションで酒を飲んでいた。その時蒸し風呂のような屋内ステージでトリップに近い状況で、ゆるめるモ!のOO(ラブ)という曲を聞いたときに、まるで神に祈る巫女や祈祷だな感じた。昔の人の祭事はこういうことだったのか。ああこれが「アイドル」か。と。
この日のゆるめるモ!のライブは長いオタク人生でも強烈に印象に残っている。
この日の感覚と・・・・・・・・・の解説はまさに同じものだと思っている。人と神さまの間にある存在=巫女=アイドルではないかと。
神さま=宇宙と言い換えてもいいかもしれない。
でんぱ組もゆるめるモ!も巫女の衣装を着たり宇宙をテーマにしている作品があり、それぞれの宇宙を表現しようとしている。そこにも通ずるものがある。
・・・・・・・・・はでんぱ組.incやゆるめるモ!と「アイドル」グループの文脈としは同じ流れを汲んでいると勝手に思っているのだが(実際運営の方もゆるめるモ!に言及していたと思う)、個において全く逆のコンセプトを取っているように感じる。特にでんぱ組.incにおいてはピーキーな個こそがグループ自体の魅力になっている。
そんな個性を無くすというコンセプトだったがやはり現場に通ううちにどうしてもそれぞれの・ちゃんの人間味、個性を感じるようになった。
また顔を隠す、名前がないということ自体もアイドルという架空の人格を演じることへの一つの表現だったのかもなと感じた。今こうして書いていても凄い仕掛けだと思う。
そしてラストライブ
「Tokyo in Natural Machine」
である。
演出では過去、現在、未来をつなぐ凝りに凝った演出や・ちゃんの素顔を描いたであろう絵画まで用意されていてたまげた。
詳しい解説はこちらを読んでいただければと思う。
まさに集大成のようなライブであった。
・・・・・・・・・はこうした仕掛けやコンセプトが明確にあり全部ひっくるめて現代アートのようなプロジェクトだった。
それでもあくまで「アイドル」というアウトプットに拘り、・ちゃんたちの人間味やオタクの熱量がそれらのコンセプトを上回る余地を残したようなグループだったと思う。実際に数々のライブではそれを感じる場面が少なからずあった。
それはたぶん運営や大人達の愛あればこそなのだろう。
自分としてもでんぱ組.inc以降ここまで好きになり、せっせとイベントに通い遠征までしたりするグループに出会えふとは思っていなかった。感謝の気持ちでいっぱいである。
なんだかまとまりも無くなってしまったがこの辺で終わろうと思う。
(追記)
・ちゃんの1人が現在RAYというグループで活動している。こちらも同じ方々が運営しておりとてもよいグループなのでぜひ機会があればライブに行っていただければと思う。