帰路6
空はすっかり薄暗い灰色に染まり、ちらほらと街灯が点き始める。
日が落ちていくのを追うように、空気が向うから来る暗闇から逃げながら明かりのあった方へ流れていく。
浜辺を薄い波が行ったり来たり、次第にそれは奥へ奥へと。
嵐が来る日は決まってそうだ、自然が生み出す大きなそれは、周囲の”見えない何か”をエネルギーとして溜め込みながらじっと待っている。
管制室の大画面が赤く点滅し、警報が鳴り響く。
「課長!ガメザ先輩を中心とした地域一帯の重力場が、異常値を示しています!」
「…これは…!?」
庁舎を飛び出した少女は、来た道を、ビルさえも飛び越えて直線距離を走る。視界が開け、目的地の上空が目に入ると、ぼんやりと翡翠色に光っていた。
「先輩っ…!!!」
(バヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂ)
装備していた大爪が体の大きさと遜色がない程体が肥大化し、衣服を引き裂いて露出した翡翠色の毛並みは、淡く光る電気を帯びながら集まってきた空気に撫でられている。
「お、おい…な、何もかもが報告と違う…!」
(バヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂ)
姿が著しく人型から離れて狐に近づき、地面に両手をついて四つん這いの様な姿勢で眼前の獲物を見ている。
「おかしい…持ち出したのは”例の一本”だけではなかったのか!?」
男が呆気に取られていると、巨体のそれは男達を目掛け、耳を劈くような叫び声を上げ、ボロボロになった大爪を振りかぶりながら、地面を抉って飛び掛かった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!!!!!」
(ガキン!!!)
男に向かって振られた片腕を間に入って両手で止めるクローン、先ほどまでの圧倒的な優位は一瞬にして逆転していた。
「何をしている!早くソイツを殺せぇ!!!」
勢いがなくなった振りは既に押しつぶす力に変わっており、所謂強化状態を以てしても現状を維持するのがやっとだった。
「フッーーーーーーーア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!!!」
(メキメキメキメキ)
支えていた両手が乗せられた体重と腕力で悲鳴を上げ始めた次の瞬間、もう片方の大爪が腹部を大きく抉った。
「カハッ...!」
押さえつけられた力で吹っ飛ぶことは無く、ただその場で肉を抉られ、どうしようも出来ないまま力が抜けていくのがわかったが、気づいた時には体を鷲掴みにされ身動きが取れなくなっていた。
「グルルルルルルルル...」
握った獲物を目の前に持ち上げ、しばらく顔を見たあと、その大きな口で、鋭い牙で、足を噛みちぎった。
「...。」
既に意識は遠のき、痛覚も無い。自分の足が無くなったと言うのに、悲鳴を上げる余地もない。
「も、もう手が付けられん...!逃げなければ...!」
クローンが為す術もないまま食い殺されている様を、後ろでただ見ていた男は叫んだ。
「『開け』!!!!!急げ!!!!早くしないと私まで...!!!!」
叫びと同時に傍らにいた子供達が、黒服の男達と同様に薄紫色に発光しながら形を変えて膜を作った。
(バヂヂヂヂヂヂヂヂ)
「よ、よし!!!間に合った!!!!!これで生きて帰れr」
膜が出来上がり、後ろにいる巨体に目もくれず一目散に逃げようと手を伸ばしたが、逃げられる訳がなかった。空いた片手で横から鷲掴みにされ、あっさりと捕まった。
「ヒ、ヒィ!!!!嫌だァ!!!こんな所で死にたくないィ!!!!頼む、許してくれェ!!!!」
握られた手の内で必死に懇願するも、その声が届くはずもなく、両手に持った肉を交互に口へ運ぶ度に、叫びが裏路地の闇へと消えていった。
「ガメザ...先輩...?」
少女の声は音としか認識されなかったが、どこか聞き覚えのある音にソレは振り返った。
「…全く~こんなところで何してるんですか~?あ、もしかしてあんな量のラーメン食べたから、脳の代わりに胃が働いて帰り道わからなくなっちゃったんですか~?」
音は確かにソレの琴線に触れ、両手に持った肉の残骸を捨てた。
「ほら~瑠璃川が道案内してあげますから~帰りますよ~?」
少女は微かに笑いながら、いつもの調子で語り掛け、左手を差し伸べた。
ソレは首を傾げながらゆっくりと近づき、少女の目の前に来ると、大きく口を開けた。
(バクン!!!)
「いけない!!!!」
大きく開いた口が閉じると同時に、横から地平を飛んできた狼が少女を抱きかかえながらソレの目の前を通り過ぎた。
「うぐっ…!」
「チィ、少し遅かったですか…しかし、命までは取られなかったのは不幸中の幸いでしょうか。」
少女の左手は無くなっていた。
噛みちぎられた傷口から大量の血が流れ、声を押し殺しながら痛みに表情は歪んだ。
「少々痛むでしょうが我慢して下さいね、救護が来るまでの応急処置ですので。」
少女を抱きかかえたまま、シュルリと解いたネクタイで左腕の根本をきつく縛り付ける。血が大方止まったのを確認した後、少女をその場にそっと寝かし、立ち上がってソレと対峙した。
(ツーーーー)
「…課長、見えていますね?」
「ああ。」
「救護を…」
「とっくに向かわせている、合わせてこちらからも戦力を数名そちらに向かわせた。」
「そうですか。」
「狼森。」
「はい。」
「よくやった。死ぬなよ。」
「ええ。」
(プツン)
激しい痛みが体中を駆け巡り、ぼんやりと映る狼の後姿を見ながら意識が遠のいて行った。
「さて、後輩を痛めつけるのは看過できませんね、そんな教育をした覚えは無い筈ですが?もっとも、今聞いているかは存じ上げませんがね。」
狼の言った通り、その音は聞こえているが言葉は届いておらず、食いちぎった左手を食べながらこちらを見ている。
「行儀の悪い。」
一言呟くと、一瞬で距離を詰め腰に差した長巻を首元へ向けて抜いた。
(キーーーーーン)
「っ…流石にいつもとは違いますね。」
長巻の刃は首元に到達する前に右の大爪で握られた。すると、もう片方の大爪が狼目掛けて振り下ろされた。
「フッ…!」
瞬間、長巻を引き抜き、その勢いを利用し姿勢を極限まで低くして攻撃を避わす。
振りぬいた左腕で引っ張られ、ソレの顔が下に降りた。
すかさず下に溜めた重心をバネに、刃の向きを変えて逆側から首元に切りかかる。
「…ッリャァァァアアア!!!」
戦闘の勘が残っていたのか、狼の予備動作を見逃さなかったソレは、右拳を垂直に叩きつけて上体を反らした。
本命はかわされたが、左肘辺りに切れ込みを入れることは出来た。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!」
痛み…というよりも傷をつけられた事に対しての怒りが叫びに変わり、体を反った勢いで左斜め後方に宙返りをした。
「瑠璃川さんの貸しは返せませんでしたか…しかして、今の貴方に刃が通る事は分かりました。」
「フッーーーフッーーー…」
「リアムさんには申し訳ないですが、まずはその爪をどうにかしなくてはなりませんね。」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「いつにも増して会話が出来ないのは、返って行幸だったかもしれません。なにせ、こちらが”吐露”しても何も問題がない。」
どこかに向けて語ると、狼は長巻を構え、息を整え始めた。
怒りに狂ったソレは地面がめり込む程、両足と両手に力を込めて狼目掛けて飛んだ。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「…どっせーーーーーーーーーっい!!!!!!!!」
掛け声と共に頭上から青い巨腕が落下し、後頭部を強打した。
殴りつけた反動を利用して、ソレの後方へ着地すると口を開いた。
(ザザ)
「要請があったから来てみたけど、これホントにガメザさん!?」
「信じられないけどそうみたいですね…上から見てますけど色的にガメザっぽいので…あ、それと今の冴子さんに近寄らない方がいいですよ。”構え”に入っているので。」
「え?うん!なんとなくわかった!」
「僕は庁舎から向かっている救護係をこっちまで先導してくるので、お気をつけて!」
「うん!ありがとう!ハクトさん!」
インカムでそう告げると、庁舎の方向へ消えていく鳥人に手を振りソレに向き直す。狼越しに少女が血まみれで倒れているのが見えた。
「瑠璃川ちゃん!!!大丈夫!?」
「ええ、応急処置ですが止血は出来ています。救護が来る頃までは持つでしょう。」
「そっか…冴子さんがそう言うなら安心した!」
突っ伏しているソレを挟んで大き目な声でやり取りをしていると、ズムリと巨体が起き上がった。
「ワケンさん、申し訳ないのですがここだと位置が悪い。ガメザさんをこちらまで誘導していただけませんか?」
「わ、わかった!やってみる!ガメザさん!こっちだよ!」
先ほど飛び掛かった時に割れた地面の塊を投げつけて、意識をこちらに向かせる。ソレを中心に、大きく円を描きながら反時計回りに走ると、それを追うように体を仰け反らせて左腕を叩きつけた。
「おわっと!あっぶない!」
帽子を押さえながら叩きつけられた左腕を飛び越えると、スライディングしながら狼の後方へ着地し、入れ替わるように。
「冴子さん!」
「ありがとうございます、非常に良い位置です。」
一つ置いて。
「ヂィッ!」
一歩前へ。
「エェリァァャァァアアアア!!!!!!!!」
振り下ろされた長巻は、地面にめり込んだ大爪ごと5本の指を切断した。
これには流石に効いたのか、叫びながら腕を引っ込めて後退りした。
「ア゛ア゛ア゛!!!!!!…」
「腕を狙ったのですが、外されましたね…」
「え、これで外したの!?」
「ええ、しかしながら攻め手を一つ無くせたのは大きいです。」
すると狼に通信が入る。
(ツーーーーー)
「はい、なんでしょう?」
「狼森、今すぐガメザからできるだけ離れろ。」
「失礼、仰っている意味が分かりかねます。」
「今からHarpeを爆破させる。」
「…もしや、リアムさんのご趣味のアレですか?」
「いや、それがいつものお遊びではないらしい。先程、この事態を知ったリアム自ら打ち明けられた機能だ。威力は”ソレ”になったガメザを殺傷できる程強力なものだそうだ。」
「…そうですか、しかしながら場所が悪い。瑠璃川さんもいます、移動するにしても逃げ切るのは無理があります。」
「それなら心配いらない。その地点を狙撃できる位置にイオを向かわせた。そろそろ到着するころだろう。イオ、見えているか?」
管制室の大画面の隅でチャンネルが切り替わり、建設中の高層ビルの中腹、暗闇の中で月明かりに照らされた白髪が淡く光る。
『聞こえたね?イオ。』
(スコープを除きながら軽く頷く)
『こちらはいつでもいい、オーバー。』
「よし、ガメザの足の健を打て。」
『了解。』
(バァン!バァン!)
通信が終わると同時にどこかで二回銃声がなると、狼達の目の前で突然両足のアキレス健が弾けた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!!!!!!!!!」
足の力が抜け、その場に倒れ込んだ。
『目標の破壊を確認、オーバー。』
「ご苦労、じきに救護を乗せた輸送機が雲類鷲の先導で到着する。それまでそこで待機だ。」
『了解、アウト。』
両足を撃ち抜かれながらも、右手で這いずりながら近づこうとするソレを尻目に、狼達は路地を出た。
「課長!狼森先輩達が路地を出たのを確認しました!」
「よし、リアム、準備はいいな?」
「はい、いつでも…」
「流石のお前も心配か?大丈夫だ、ウチの医療技術も、ヤツの丈夫さもお前なら知っているだろう?それに、責任は全て私が取る。これ以上ない保険だろう?」
「…わかりました。ボク、やります。」
皇に檄を飛ばされ、覚悟を決めたリアムはHarpeの爆破スイッチを押した。
日が落ちたというのに、轟音と微かに聞こえた絶叫と共に辺りは昼間のような明るさに包まれた。
周囲は光と熱風で立ち込まれ、思わず顔を覆いたくなる程だった。
「ガメザさん…!」
「これは…」
「…。」
爆発の直前、首元に小さな痛みを感じた。
「私を失望させるな。」
誰かの声が聞こえた。
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