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泣きそうな顔で「これでもいいよ」・・・ 💗『ベニイ・グッドマン物語』 

《乱れ撃ちシネnote Vol.14》

番外編-60年前のノートより-

『ベニイ・グッドマン物語』 ヴァレンタイン・デイヴィース監督

1962年12月15日(土)14歳(中学3年)

ベニー・グッドマンといえばクラリネット、クラリネットといえばグッドマンといわれるようにクラリネット奏者では最高にイカシタ音をだす。

この映画で一番記憶に残っているのはグッドマンがまだ小さい時(1919年)、兄きが2人とも楽器の大きいのをかりたのでベニーも「僕も何かやりたいナァ」というとその白いヒゲの先生がたなから黒くて長い楽器をだして「きみにはこれだよ」という、するとベニーは「これフルートかい」っていう、すると「いやクラリネットだよ」という、するとベニーは兄きに「これかえてよ」という。誰もかえてくれないのでベニーは泣きそうな顔で「これでもいいよ」と小さな声でいう所だった。

それから最後のカーネギーホールで吹いている時、一人ひとりが古い昔のことを思い出す所がよかった。

もしグッドマンが先生の言う通りのちゃんとした音楽をやっていたら世界一の奏者になっていたのに自分からラグタイムに入ってそっきょうの音楽を作って吹いたのをお金持ちの娘(ドナ・リード)はけいべつする。

ドナ・リード

しかしグッドマンがその家に呼ばれてぶとう会でクラリネット協奏曲を吹いた時その娘はグッドマンを見直すという所、それに、夜一人で屋上で(たぶん「グッド・バイ」)を吹く所も印象に残った。

評:A下 1962年12月15日鑑賞。
14歳(中学3年)の時の感想文です。


ベニー・グッドマンやグレン・ミラーなどスイング・ジャズを好きになったのはぼくが3歳になるまで同居していた叔父貴の影響だ。
叔父貴はディキシー・ランドやスイング・ジャズが好きでレコード(SP)をよく聴いていたそうだ。
よちよち歩きのぼくは叔父貴に「タイガーラグ」をかけてくれとおねだりしたという。
「タイガー・ラグ」がかかると一緒に歌い始めるので面白がって叔父貴はかけてくれたそうだ。

中学の入学祝いに買ってもらったポータブル電蓄が手に入っ時にもすぐにグッドマンのシングル盤を買っている。

今でも部屋のどこかに埋もれているはずです。

ちなみに本作のアメリカでの公開日は1956年2月2日でぼくの9歳の誕生日。公開5年後に名画座で観たことになる


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