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更年期で指が太くなった!!
NHKの大河ドラマの「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」※を楽しみに見ている今日この頃、「(女性は)手と髪を自慢していけない」という価値観があった長野県で育ったわたし。
理由ですか?
「手が奇麗なのは働いていない証(あかし)」
だったからです。周りに水道がなく、子供(人間)が井戸から水をくみ上げ、薪を割り、おふろがぜいたく品の時代(母は昭和22年生まれ)では、普通に年齢を重ねれば自然とたくましい手になり、当時たくましい手は<きれい>と呼ばなかったからです。
<きれい>と呼ばれるのは<白魚のような手>つまり、生きるための労働をしない手と思われていたのでした。
手袋とかハンドクームそのものがない時代もありましたし、あっても金銭面や世間の目や無意識から使うことになれていなかったからでしょうか。
「髪」はそれ自体「若さを誇示する」ことにもなるから「髪自慢」は危険な行為だった。
高校生の頃(1973年生まれ)髪を伸ばしていて「きれいな髪ねえ」と知人の年配のご婦人から言われたことがあります。
自慢したわけではなく、お手入れに凝っていたわけでもなく、むしろ梳かしておしまい、というような風で、いつもと同じように、その人と同じ場所にいただけ。
わたしの「きれい」は「若い動物の持つ」きれいだった。(人間も動物のひとつ)。
その人の「きれいな髪ねえ」には<賛美>だけではない複雑な何か、失われてしまったものの悲しみような何か、を感じたのを覚えています。
もちろん、「髪」には「髪型」を含めますから
「おしゃれに現(うつつ)を抜かすのはよろしくない」
「おしゃれする暇があるなら働け」という価値観があったのです。令和の時代、事務作業が増えましたし、手はハンドリームを塗るものですし、髪型もまあ十人十色。いい時代です。
ともかくある日お洒落をして出かけようと指輪をはめました。
ぐさっ。
関節につきささりました。
「あれ? 入らないぞ? おまけに痛い?」
そう2か月ほど前には同じ指輪が緩くて、
「サイズをつめようかな」
と言ってたのに、何という事でしょうか!
指の関節が太くなってます!
調べるとこれも更年期の症状のひとつらしい。
それまで更年期のめまい防止のためミロ(麦芽飲料)を飲んでいたんですが、ネットの口コミでは「更年期には豆乳イソフラボン!」ということ。
「めまいより指だ。」
豆乳に切り替えました。たまにはめてみるのですが、1時間もすると痛くなる。
「無理かー」
はや数か月、
お正月にはめてみました。
「なんとかいける」
よかった。指輪のお直しもせずに済み、新しい指輪を買わずに済みました。
おまけ
指輪のサイズを大きくするのは地金の値段が上がってるので、避けたかったのです。まあ、豆乳代と修理代どちらが安いか、聞くのは野暮ということで。
※「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
第一話、吉原の闇、投げ込み寺が映像化されたのはまあ、びっくり。文字では散々読みましたが、視覚化されると別の衝撃を受けます。
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