空き家銃砲店 第十話 <食堂>
図面上、店の隣は「お台所(おだいどこ)」関係だった。銃の入ったガラスケースをどけるとこの部屋になる。本来は店と食堂は板戸で仕切られていたが、それをはずしてケースを置いたらしい。祖父が生きているとき、祖母はよくここにいたような気がする。調理する場所と食事をするための場所、食堂に分かれていた。
祖父は自分で作ったかき氷を仏間で私に食べさせたが、母が子供の頃は朝は食堂で、夜は居間で食べていたようだ。
食堂には小さめのテーブルとイス、明治時代の大きくて重い一間タンスに食器を入れていた。西の倉庫にあったものと同じものだった。
ここの棚に入っていたのは普通の、つまり日常使いのものだった。祖母は軽くて便利な物が好きだった。
お味噌汁のお椀はプラスチック、コップは、コーラやバヤリースオレンジをケースで注文し配達してもらっていたので、その景品がほとんど。一方、「かわいい」と言う理由で買ったガラスのストローが気まぐれに添えられたが、基本プラスチック愛好家だった。
お漬物がのせられた器は「あるから」という理由で使われた赤絵の骨董品で、ちょっと凝った緑の縁(へり)が欠けたまま使っていた。祖母は直すことも捨てることもしなかったが、陶器の捨て方が分からなかったのだろうか。わずかなカケで捨てるのがもったいなかったのか、それとも金継ぎで直すことを知らなかったのか、だれに修理を頼んだらいいのか分からなかったのか、そのままでいいと思っていたのか。いずれにせよ、私は何とも言えない気持ちでその皿を眺めていた。
お箸入れはお漬物入れに比べるともう少し新しく、横置きの陶器だった。祖父の象牙のお箸、祖母の塗りのお箸、私たちのプラスチックのピンクのお箸などが横向きにさしてあったのだが、色と言い形といい、葉がついた葡萄がそのまま食卓にのせられたようなものだったので、まるで「ブドウ、箸突き刺しの刑」にあっているようだった。
おまけ
祖母がなくなり、私に子どもが生まれ、この家を本格的に片づけようとしたときに小さな食器の裏から扉をみつけた。古い食器がいくつか入っていた。陶器の小さな線香立て、仏様用と思われる食器、男物だろう古めかしい大ぶりの湯飲み。この隠された棚は丁度階段の下に当たる。
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