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23/06/08 安い労働力

150/85。なかなかの高水準。

今日は、パート勤務先でまあまあ大きめの案件があり、私もそこに駆り出された。これまであまりパートに求められなかったことだった「会社の外の業務」。これからは、ちょくちょくお声がかかるようである。別に、パートの能力が買われたのではない。勤務先の社員不足が影響しているだけのことだ。

わりと大きなグループ企業だけど、もう社員を数名増やす程度の体力も持ち合わせていないらしいことは、働いていてよくわかる。そんな現状だから、私のように時給で働く人間をピンポイントで使えばいいじゃん!という流れになる。その仕事は私である必要はなく、「そこにいて」くれたら誰でもいい。そんなところに自分の身をおかねばならない運命を思う。

私の人生のどこをどうしたら、「ちゃんと」自立できる仕事で人生を全うできたのだろうと、時々振り返ったりもする。夫の病気が発覚した時。いや、子どもが小学校へ入学した時、本当は出産した時に仕事を辞めなければ良かったのだろうか。もっと遡れば、最初の仕事の選択が間違っていたのかも。そんなことを考えたところで、選ばなかった方の人生は取り戻せない。

今やれることを精一杯頑張れば、どこかで良い流れがやってくると信じるしかなかった私が行きついた先は、「最低賃金に近い時給で、これだけやってくれるならありがたい」という存在になるだけだった。頑張れば頑張るほど(私だけじゃなくて、他のパート仲間もだけど)自分たちの首を絞めることになる。安いまま、求められるレベルが上がるだけ。

私が今日気を付けたことは、「全力では働かない」ということだった。だけど、落語会を10年やっていれば、それなりに得てきた技術がある。全力でなくとも、それなりの働きはした。それで、今日の日給は6千円程度。やる気なんて出るはずもなく、ただただ、虚しさが増すだけ。

夫の死後わりとすぐに、夫に早く先立たれた妻の貧困率の高さを取り上げた記事を読んだ。自分もこうなるのだろうかと、落ち込んだ。絶対そうならないようにしようと思ったけど、この世は50過ぎのたいした取り柄のない人間に、そう優しくないようだ。頑張る方向を見誤らないようにしないと、利用され続けるだけ。うまく立ち回らないと、疲弊するだけ。絶対にこのままでは済ませないと、まだ思っているけど、果たしていつまで保つだろうか。

そのためにも、血圧を下げる。健康でいる。ここぞという時に戦える体でいることが最優先なのだ。

・・・なんて、綺麗な終わり方。このまま今日の日記を閉じても良かったのだけど、私の中の欲望がそうさせてはくれず・・・。

あー、これ最高。西村賢太、読み返そう。羨望の気持ちさえ抱くぜ。西村賢太に「これでいいんだ」と言われた気がした(言ってません)。

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