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【読書】文芸同人誌『青音色 創刊号』を読んだ


はじめに

 noteの記事で創刊を知った文芸同人誌『青音色』を購入した。

 本当は「文芸フリマ東京39」というイベントに向けて制作され、その会場で販売する予定の同人誌だったらしい。しかし当日は午後の二時には完売するほどの人気で、購入できなかった人たちのために後日通販もするようになった。私は地方在住者なので、その人気にあやかって購入できたようなものだ。

 この同人誌が創刊された経緯や意図については「青音色」同人の方々の記事を読んでいただきたい。私はその同人の一人とnoteのアカウントをフォローし合っていたために、この同人誌が制作される過程をつぶさに知ることができた。そのうえで手元に届いた時には感慨があった。表紙から、青を基調としたレトロなデザインが私の好みだ。それからすぐの休日いっぱいを使って一気に読み終えた。これから拙い感想を書いていこうと思う。

蒔田涼「なくて七癖」

 おそらく心理的な負担によって一時的に異形の姿に変じてしまう「異形化」に悩む高校生上杉は、同じように異形化する同級生、江藤里香と出会う。江藤との交流によって上杉の心境には徐々に変化が訪れる。

 学校や家庭に適応していくこと。しかしどうしても適応できそうにないこと。そうしたことへの憂鬱。その象徴としての異形化。同じ負い目を持つ者同士の共感と気安さで本心を語り合い、いたわり合うことで成長していく二人。異形化という非現実的な設定を用いながら、それに悩み語り合う言葉には普遍性がある。誰もが心理的に異形化することで自らの心を守る時期があるのだ。

 学生たちの無自覚な攻撃性と残酷さ。親のピントの外れた愛情。憶測で付与される属性。生きていくことの煩わしさをこれでもかと書きながら、やはり本心で、それも文字ではなく言葉でのコミュニケーションで対峙することで人生は拓けていくのだという希望も感じる。決して他者は敵ばかりではないのだと。

渡邊有「過去情炎」

 宮沢賢治の詩「過去情炎」の引用から始まる物語は、記憶を失った大学生林香織の主観による詩のようなおぼろげな文章で綴られていく。しかし突然現れた根岸諒と行動を共にするうちに、だんだんと霧が晴れるように記憶を取り戻していく。

 夢のようでありながら、現実に近づいていき、また夢に戻っていくような物語だ。その循環は輪廻の輪のようでもある。輪廻とは生きている時間の中で繰り返されるものなのかもしれない。生きている時間にどうにか自我を保とうと思っていても、本当にその循環から抜け出ることは難しい。情炎は人のわずかな理性を焼いてしまい、何度でも過去の過ちの模倣に引き戻してしまうのだ。

吉穂みらい「リミッター・ブレイク」

 社会人になり、歳を重ねながら文筆業を志す者。商業出版に携わる者。同人活動に携わる者。それら文芸に携わるそれぞれの立場の人間の思いが綴られていき、やがてそれらが交わっていく群像劇。

 商業文芸が直面する難しさは、もしかしたら多様化し、作者と読者が混在する現代の文芸のあり方に対応できていないからかもしれない。音楽の世界でもここ十年くらい言われ続けて模索が続いている問題でもあるので、その解決方法はここでは置いておこう。商業としての文芸が難しくなった一方で、人が何かを表現したい欲が無くなったわけではない。むしろ個人のままで文芸を創作し、出版し、交流する世界はかつてないほどの盛り上がりを見せている。

 この小説はそんな時代を丁寧に描写しながら、だからこそ自分たちで創作し、出版し、交流していくのだ、つまりこの「青音色」という活動をしていくのだという宣言になっている。

読み終えて

 『青音色 創刊号』は「癖は心の窓」というテーマに沿って書かれた三篇の小説が収められている。三篇とも癖というものについて、ままならない心境や葛藤の無意識の表現と捉えて、それをどのように自覚し克服していくのかということが物語になっている。

 テーマが一貫していることに加え、主人公が高校生、大学生、社会人とだんだん年齢を加えていくように編集されていることで、人が生きていくうえで直面し自覚する様々な悩みを乗り越えていく一つの大きな物語としても読むことができるし、最後に悩みを抱えた大人たちが文芸同人誌の世界に行きつくという終わり方が、これからの活動に向けて上げる狼煙のようでもある。

 実際に、青音色は次号から参加する同人を募集してもいるので、このはじまりの一冊を読んで、自分も文芸で何かを表現したい、文芸による交流の中に身を投じたいという人が集まってきたところの次号以降の活動にも期待と興味が湧く。そんな一冊だった。


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