![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56990646/rectangle_large_type_2_1680b77fa4a64f6b95db3754e3abe80a.jpg?width=1200)
あたりまえと正解
こんなことを子供のころからよく考えていました。
『あたりまえ』とは、、、
日本に生まれ日本で育っていると、「みんなと同じようにしなさい」「あたりまえでしょう」などという言葉をよく聞きます。
そして、『あたりまえ』にできなかった私には、「そんなことも考えられないのか」という罵声が飛んでくる。
『あたりまえ』は人によって違うはずなのにな。
小さいころから考えてきました。
しかし、そうかと思うと、「自分の頭で考えなさい」「人と同じことをしているばかりではいけない」などという言葉も。
あっちもダメ、こっちもダメ、永遠に右往左往して、こんな優柔不断な私ができたわけです。
自分の頭で考えて出した答えが、『あたりまえ』とずれていると、否定され、物事が白紙に戻ってしまう。
私の悩んだ時間は何だったのだろうか、そんなことなら『あたりまえ』のガイドブックでも作ってくれたら良いのに、
なんてことを考え日々を過ごしている人は、私だけではないはず…。
しかし、ここ最近になりやっと、私が今まで強いられてきた『あたりまえ』なんて、社会の片隅の『あたりまえ』にしかすぎない本当にちっぽけなものだったんだなと、身をもって知ることができています。
どうしたのかというと、
答えはとても簡単。日本の外に住んでみればいいんです!
私は3か月前、イギリスに来ました。
ここでは、様々な人種の人が互いの宗教や価値観を尊重して生きています。
私の今までの『あたりまえ』なんて、まったく役に立ちません。
私はそれが心底嬉しいと思いつつ、日本は律儀でいい国だなということにも気付かされました。
ただ、私が海外は自由だ!と思っているのは、まだ私がよそ者だからだと思います。
みんな自分の国のルールがあり、幼いころからの教育があり、価値観が違う。私のように、その国の『あたりまえ』に疑問を抱き、息苦しさを感じた子たちは、外に出ようとする。私のように。
私と同じ学校の子たちの留学の目的は、大学に行くため(祖国の大学が難関すぎる)もしくは、自国以外で働くためと言っています。
どこでも同じなんだなということにも、また気づかされました。
ただ、それは絶望ではなく、
どこに生まれ育ったって、同じように感じる人がいるんだなと私の励みになっています。
そう、どこに行ったって『あたりまえ』は、存在し続けるんですね。
"That's life"
余談ですが、最近この言葉をきいてビビっときました。
初めて聞いた言葉だったので、翻訳を調べると「しょうがない」「どうにもならないことだ」と出てきたのですが、
仕方がないより、それが人生だ!の方が前向きに聞こえませんか。
英語は時々、日本語より前向きで好きです。
もちろん日本語の素敵な言い回しや、語彙も好きです。
『あたりまえ』に付き纏われるのも、
人間として生きていく以上必要なことで、
それが人生なのかもしれません。
恵まれた話ですが、端から留学の目的は、語学習得ではなく異文化交流だったので、順調に留学生活を送ることができています。
もちろん、そのためには語学も必要なのですが、、、
刺激をたっぷりと受けて、また感じることがあればここに記したいと思います。
人生の大切な時間になりますように。
それではまた。