「暮らしと働くはイコールの関係だからこそ、価値が芽生え循環していく」を公開して感じたこと。
この度、WaseiSalon広報部新企画「メンバーインタビュー」の第一弾を担当することになり、ついにその記事が公開されたので「インタビュー」や「ライター」を通じて感じたことを綴ってみようと思います。
誰かの人生を追体験する
まずインタビューって、とにかく貴重な時間である、と思いました。ある人の人生をのぞき見させてもらえる時間は、普段あまりない。
誰の人生にも必ず春夏秋冬があります。それぞれの期間を生々しい感情とともに語っていただき、まるでその当時にタイムスリップしたかのような体験をさせていただく時間。
記事にするために最終的には文字に起こして、その臨場感とともに読者に届けることがライターの役割だと感じましたが、それでも圧倒的にインタビュー時と記事の向こうの読者とでは情報量が違うので、インタビューしている時のリアル感にはかなわない。
インタビューというその営み自体を、喩えるならば「誰かの人生を追体験すること」そのものだと感じました。
その分、インタビュアーとインタビュイーの信頼関係が何よりも重要になるな、と。
「この人だから話せる」感覚ってあると思うんですよね。
どこの誰かもわからない相手に対して自分の人生の軌跡を、憂いも交えて話すことはベースとしての信頼関係があってこそ成立する。
これはコーチングセッションで学んできた姿勢、在り方だったのでインタビュアーをする際もとても役立ちました。
どこを切り取るかで、物事の印象はいくらでも変わる
私は今回ライター初経験だったので、インタビューの内容をすべて録音し、試行錯誤しながら文字起こしをしていきました。
録音データは2時間以上ありましたので(雑談も執筆のヒントにしたため)、情報の取捨選択が難関となりました。
私はご本人にお会いしているからこそ、その方の魅力を余すことなく伝えたい。けれど一般的には文字数制限やテーマ性、記事の目的などがあるためライターが情報をある程度切り取り、「読者に記事として魅せる」必要があります。
そのプロセスで得たことは、広告やTVなどのマスメディアにおいても、同様の過程があるのだろうという実感です。
当たり前にそのプロセスが「ある」ことは頭で理解していましたが、自分が「切り取る立場」になって初めて実感は芽生えるものです。
そしてそれは、もちろん事実でもあるんだろうけど、ほとんどのメディア「誰かの切り取り(意見)」であるということ。
インターネットだけでなく、本や教科書も同様に。
何かわからないことがあったら即座に「ググる」世の中になりましたが、この「ググる」際にもヒットした記事=正解と短絡的な思考ではなく、ひとつの物の見方として受け取り、「本当に価値あるものは一体なんだろう」と思考を巡らせながら探求していく姿勢の大切さを身に染みて実感しました。
これはメディアだけでなく、SNSなどにも言えることですね。ある程度影響力のある方の発言を聞くと、あたかもそれが世界のすべてのような錯覚に陥ってしまうこともあります。
「私はこれに当てはまらないからだめな人間なんだ」
そんな風に受け取る必要はありません。あくまで、"切り取られた一部"ですから。
もしそう感じてしまったときには、「そういう切り取り方(意見)もあるなあ」としてあらためて受けとり直してみると少し楽になるかもしれません。
誰かの人生の物語を聴くことが好き
これは、私が今回のインタビュアー/ライター経験を通して改めて感じたことですね。
コーチとして活動をしていると、よく「人の話を聴くのって疲れませんか」と聞かれます。
私の回答は間違いなく「NO」です。
むしろ、「ひとりひとりの人生の物語を知る」プロセスと、「それをともに表現していくこと」は、私が気が付いたら夢中になっていることだなあ、と経験を通じて再認識できたことが、このインタビュアー/ライター経験の無形資産であるなと思いました。
この経験を通じてお伝えしたいことは、やっぱり「行動(アクション)」というプロセスこそが人に気付きや学び、そして成長をもたらすということです。
コーチとして、行動を促す理由はここにあります。新たな一歩を踏み出すことは、誰しもが怖い。けれど踏み出そうか迷っているこのプロセスこそが、無自覚でもすでに新たな一歩である、ということを私はお伝えしながら誰かの背中を押していくのだと、それが私の使命のひとつであると再認識したのでした。
私の初ライター記事、よければご一読ください。
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自分の「好きに気付く、ふれる」って向き合うために勇気がいることだと思っています。僕自身も、好きを仕事にするなんて理想論であり、途方もないことのように思っていましたが、結局は「好き」というフィルターを通ることがありたい姿を体現するための必須条件であり、結果として近道だったなと思っています。