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抗わない生き方をしよう。

抗わない。

普段、どれだけ出来ているだろう。

起きた出来事に抗わない。事件のような出来事さえ、起きるべくして起きたものだと認知して捉える。

なぜ私が。
あんなことしなければ。
あの時別の道を選んでいれば。

自分にとって不都合な出来事が生じると、思わず過去にタイムスリップし、後悔の念を抱いてしまう。

そんな時は、起きた事象それ自体をありのまま受け容れ、「さて、この出来事が私に伝えたかったことはなんだろう。」と思いを馳せてみる。

すると、「起きるべくして起きたのだな」ということが見えて来る。なにか意味を持って私のもとに起きたのだと。

こういう捉え方は、人によっては理解できないかもしれない。スピリチュアルに映るかもしれない。

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ナポレオン・ヒルの名著「思考は現実化する」でもお馴染みの通り、認知科学や心理学の世界では、本人が抱いている深層心理の前提(メンタルモデル)を引き起こすべくして引き寄せているという捉え方がある。

この捉え方を学んでから、自分の身に振りかかるあれこれの意味を察しようとする視点を得た。

例えば、頭痛や身体の痛みといったことも、自分自身へのメッセージではないかと捉えてみる。そうすると、やりたくないことを無理してやっていたことや、無意識にあった心配事、自分自身の本当の願いに気が付いたりする。

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友人に、「アトピーである自分の身体の声を聴いて生きる」をモットーにしている子がいる。

彼女も、身体から発せられるメッセージを丁寧に受け取っている。それを聴いて縁もゆかりもない奄美大島に移住したくらいだ。

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彼女のすべてで発せられるメッセージを直感的に察知し、行動に移す彼女の姿勢が素敵だ。

自分の内側からの願いを受け取る力が強い彼女は、彼女らしい環境を選び、ゆたかな恵みとともに暮らしをしている。

思えば私も、会食恐怖やパニック障害を抱える自分に対して、身体の声を聴こうという姿勢を身に着けている。発症当時は、こんな身体で生まれてきた自分を全否定をしていた。「こんな自分嫌だ、認めたくない。」と。

でも今は、身体から発するメッセージこそが私の願いのヒントであり、サインでもあると捉えるようにしている。だから、抗うことをやめた。

ストレスがかかると、あきらかに体調が悪くなる。それ以外にも、気圧の変化や季節の変わり目で自律神経が狂いやすい。(自律神経失調症という診断をされることも多い。)

たまに、ストレスで体調が悪くなる人のことを指して「メンタルが弱い」と揶揄されることもある。

そんなとき、私はこう思う。

「この人は嘘がお上手なんだな。」

心は思考によって騙すことができる。心は嘘がつける。それは本人さえも気が付いていない、無意識の嘘も含めて。

でも、身体は騙すことができない。外界から手当てをしなければ、騙すことが難しい。

だから「身体の声を聴く生き方」は、理にかなっていると、私は思う。

「ちょっと今日体調が悪いんだよね。」

この中には、インフルエンザなどの明らかな発熱だけじゃないと思う。理由不明な微熱や頭痛、倦怠感なども立派な体調不良だ。

これまで私たちが、皆勤賞が偉いとか、会社や学校は毎日休まずに行くべきだとかそういった教育を受けてきたが故に勘違いをしているだけで。

我慢することは、何の称賛でもない。

自分を痛めつけてしまうくらいの過度な忍耐や我慢を美とする日本文化は、どうにも気持ちが悪いとさえ思ってしまう。勿論0or100とか、全か無かという話はしていない。ある程度の協調性が無いと組織は、社会は成り立たない。

自分が望むなら、その先の未来に希望を感じるなら、耐えればいい。それで得られるものを欲しいと願っているのなら、それでいい。

でも、未来の希望があいまいな中で自分を騙して生きていくのは、私はつらいし、嫌だなと思う。

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何かが起きるということは、何かのサインである。
それは意図をもって、私たちの前に現れてくる。


大きな流れに逆らわない生き方。動物的なシンプルな生き方を取り戻したい。

夜になったら寝て、朝になったら起きる。
画面の向こう側の世界だけじゃなくて、ふれて、聴いて、コミュニケーションを取る。

その時その瞬間に、自分の内側から湧き上がるものをキャッチし、表現する。

そんな生き方をしていきたい。
自分がいつ消えてしまっても、後悔のないように。

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みづき @つながりの学校主宰
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