隣の席のエイリアン

地球外生命体の存在が確認されてから。つまり、誰もが感覚的に地球以外の場所に生命を感じることが出来るような発見がなされてから三十二年が経った。しかしながら、人類に対する地球外生命体の明らかに見て取れるような大きな影響力は全くなかった。すなわち、それは人類が未だ、地球外生命体と大々的に交流するにまで至っていないことを意味していた。その原因が何なのかはまだ分かっていない。もしかしたら、地球外生命体の知性の問題なのかもしれないし、人類の知性の問題なのかもしれない。ただ一つ確実に言えることは、僕の隣の席に座っている女の子、美咲・L・オイレンブルクが、自分のことをエイリアンだと思い込んでいるのには、地球外生命体の確かな存在が関係しているということだ。
「エイリアンシンドローム」。自分のことをエイリアンだと思い込み、エイリアンのようにふるまうといった行動で社会生活に支障をきたすことがあるモノ。特に思春期の男女がなりやすい傾向にあるらしく、無理に直そうとしないで放っておけば時間経過とともに自然に治るのがほとんどなのだそうだ。だいたい15歳程度で終わるモノらしい。
何物でもない自分を、自分の中で何者かに設定することによって精神の安定を図っているのだという話を読んだことがある。だから、子供がエイリアンシンドロームに陥りやすいのだとか。難儀な話である。
「ねえ、タカミネくん」
エレメントフレームの応用プラグイン「八橋蒔絵螺鈿」の導入を先生が説明している中、美咲さんが小声で話しかけてきた。僕は、授業中に話しかけるのが当たり前みたいな顔をしている彼女に半ば愛想をつかしていたのでそれを無視した。それでもなお、美咲さんは僕に話しかけてくる。
「ねえねえ、タカミネくんってば」
「…………」
「ねえねえねえねえ、タカミネくんってば~」
「…………」
「アオイ・タカミネく~ん!」
段々と大きくなる声。確実に先生にも聞こえているだろう声量で話しかけられても、僕はめげなかった。しかし、彼女も僕がちょっと反応しないだけでめげるような人間ではなかった。
「ねえねえ、タカミネくん! どうして無視するの?」
「…………」
「……もしかして、休み時間、タカミネくんがトイレに行ってる間に飲み物に入れておいた薬が効いた?」
「なっ!? お前、何か変なの入れたのか!?」
僕は思わず反応してしまう。その瞬間先生がこちらを見て口を開く。
「うるさいぞ、タカミネ」
「…………」
明らかにうるさいのは僕じゃないだろという思いが口から出そうになるのをぐっと我慢する。一人前が半人前に理不尽な言動をするのはどこも同じだ。僕は静かに呼吸をして気持ちを落ち着かせてから授業を聞く体勢を整える。
「怒られちゃったね」
舌を出しながら美咲さんは囁きぎみな声で僕にそう言った。
「誰のせいだと思ってんだ」
僕は同じく小声でそう返した。
「アタシのせいでないことは確かだよね」
クスクスと笑いながら言う彼女の、巻き毛気味な髪の毛が、笑う体と連動してばねのように揺れる。喋らなければ、今頃男子から絶大な人気を誇っていただろうにと、彼女の笑顔を見て思った。
「なに?」
ひとしきり笑った後、彼女が僕の視線に気が付いたのか、そう言ってきた。
「別に。何でもない」
僕は彼女にそう言うと、先生の方に顔を向けた。
「あれ~?なになに?もしかして、アタシのこと、好きなの~?」
いたずらっぽく彼女は言う。
「でも、残念だね、タカミネくん。私、エイリアンだからタカミネくんとは付き合えないよ」
「…………」
「ごめんね、タカミネくん」
そんな彼女の言葉に、僕は口を開いた。
「……どうして」
「え?」
「どうして、お前がエイリアンだと僕と付き合えないんだ?」
「え、えっと~、それは~……」
彼女の顔が急に赤くなるのが見て取れた。僕はさらに彼女に質問する。
「僕がエイリアンであるお前と付き合えないのは、何か身体的な構造の違いがあるからか? それとも、そういうしきたりみたいなのがエイリアンの中であるのか?」
「な、なんで急にそんなに質問してくるの!?」
普段はしない、僕からの質問の数々に彼女は戸惑っていた。
「ね、ねえ……なんで急にそんなに質問してきたわけ?……もしかして、本当にアタシと付き合いたい……とか……?」
僕はそれには答えず、ただじっと彼女の瞳を見つめた。
「ちょ、ちょっと……何か言ってよ」
「…………」
僕は瞬きだけをした。
「そんなに……その、アタシと付き合いたいって言うなら……付き合えないこともないけど……」
「どうやって?」
僕は久しぶりに声を発した。
「どうやってって……そりゃまあ、アタシはエイリアンだから?人間になれなくもないっていうか……」
彼女はそこまで言うと、急に黙ってしまった。しばらくして終業のチャイムが鳴る。クラスメイトが帰る準備をしているなか、彼女は顔をうつむけて座っていた。僕はそんな彼女の様子を横目で見ながら帰る準備を整えると、彼女に向かってこう言った。
「そう、ならよかった」
僕の言葉に反応して、彼女が顔を上げる。僕はそれ以上何も言わないまま、彼女の顔を見ないように教室を後にした。

「ただいま帰りました」
第四管理地域特殊業務区臼田宇宙空間観測所地球外生命体情報センター北棟の正面玄関から建物の中に入りながら僕はその言葉を発した。
「あれ、今日は早いね」
センター管理長のアサギリが僕に声をかける。
「第三区にある第二高校のエイリアンシンドロームだが、たぶん今日で終わりだ」
「あら、そう。相変わらず仕事が早いね~。じゃあ、簡単な報告書を書いて後で提出してね」
「ああ」
「で、今回はどうだった?」
僕が空いていた椅子に座ると、アサギリはいつの間にかお茶の入ったマグカップを僕に差し出しながらそう聞いてきた。僕はそのマグカップを受け取りながら言う。
「……それを報告書に書くのではないのか?」
「そうだけどさ。でも、気になるじゃん?」
アサギリはニヤニヤした顔を頬杖で隠しながらそう言った。
「はぁ……」
僕はわざとアサギリに聞こえるようにため息をついてから、先ほど学校で起こったことを話した。
「かっ~、憎い演出だね。君は何も言わずに、彼女にそう思わせたってわけだ」
「そう思われたかどうかは確認したわけではないが、表情を見るにたぶんそうなのだろう。まあ、そう思われるのは我々の体質のおかげかもしれないけどな」
「確かに、それはあるかもね。君たちムジュルニアンは、どんな性別の人間に対しても等しく効く化学物質を出してるからね」
アサギリの眼は、いつの間にか我々が地球に来た時に出会った科学者たちと同じ光を放っていた。
「ま、それも含めて君にしかできないことなんだから、良いんじゃない?」
一瞬垣間見せたあの雰囲気がなくなり、アサギリは先ほどと変わらないニヨニヨ顔を見せながら、僕に向かってそう言った。
 エイリアンシンドロームは通常、15歳前後で収まる症状だ。しかしながら、まれに自然に治る時期を迎えても治らずにそのまま成長していく子供たちが出現する。エイリアンシンドロームを抱えたまま大人の社会に出ることは、その人にとって非常に大きな困難を有するため、何とか未成年の内に症状を改善しようと、人類は様々な方法を試していた。そんな中、秘密裏に地球に来ていた我々、人間からはムジュルニアンと呼ばれている存在に白羽の矢が立った。我々が無意識にはなっている化学物質の一つに、人類を魅了する効果があるモノが発見されたことがきっかけらしい。その能力と、我々のもう一つの特質である、なんにでも変身できる能力を掛け合わせた、エイリアンシンドローム改善プログラムが組まれたのは六年程前のことだそうだ。
「そういえば、前から聞きたかったんだけどさ」
アサギリはマグカップを持った手をゆらゆらと振りながら言った。
「なんだ?」
「自分のことをエイリアンだと思っている子を、本物のエイリアンが見るのって、どういう気持ちなの?」
「……そもそも、僕は自分のことをエイリアンだとは思っていないが」
「確かに、そりゃそうだね。これは失敬」
「それとは別にしても、特に何とも思わない。むしろ、僕がこんなことをする必要があるのか疑問だ。別に放っておいても、彼女もしくは彼らは大丈夫だろうといつも思っている」
「うーん。まあ、人間の社会っていうのは、あの状態じゃやっていけないほど窮屈なのよ」
「それは何となく想像できるが」
そんな会話をしているなか、僕は一つ疑問が生じた。
「そういえばどうしてアサギリは、我々の出す物質に影響を受けない?」
「あれ、話してなかったっけ?」
アサギリは不思議そうな顔をしながら口を開いた。
「簡単に言えばまあ、体質かな。あんたたちの出す化学物質に生来的免疫があるらしいよ。だから、君とこうして仕事をしているわけだ。普通の人だったらこうはいかないからね」
アサギリは妙に誇らしげな声でそう言った。すると突然、電子音が部屋に響いた。
「おや、メールだ……仕事の依頼ですね、これは。どれどれ……」
アサギリはキャスター付きの椅子でパソコンのあるデスクに移動すると、メールを確認し始めた。
「仕事。今度は第五管理地域の高校だって。対象の子の性別は男、だってさ」
「男、か……面倒くさいな。まあ、女も面倒だが」
「そうだよ~。人類は男も女もみな面倒くさい生き物なのさ」
「……わかっている」
「第五管理地域って、ちょっとここからじゃ遠いから、向こうのセンターにいられるように手配しておこうか。あと、その高校の女子用の制服ももらわないとね」
「ああ」
「久しぶりだね、女子になるのは。私もついていこうかな」
「何故だ?」
「だって、久しぶりに女子制服姿が見たいから」
「……好きにしろ」
「そうしますとも……あ、いつもの通り、ターゲットの隣の席、確保しておくから」
「ああ、頼む」
今度は面倒くさくない人間であることを僕は祈った。

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