私にとっての「似合う」を定義してみた 〜自問自答×イメコン〜
私は「似合う」が好き。でも「似合う」って何?
人から「似合う」と言われても、自分では「似合わない」「私らしくない」と思うこともある。
結局、私が求める「似合う」ってなんなんだろう……。
今日のnoteはそんな、私の根っこにある「似合う」の定義のお話です。
似合うは外見だけのお話?
イメコンを始めたばかりのとき、私にとっての「似合う」は外見だけの話でした。
だから、内面の話は一旦置いておいて、まずは内面から切り離した外見だけの話をしてほしかったんです。
客観的な意見を求めていたし、内面を踏まえるのは忖度(そんたく)だと思っていました。
内面の話はあとで自分でよしなにアレンジするし、場合によっては外見に合わせてふるまえば、演じればいいと本気で思っていました。
「外見的に似合うと言われるならば、全身全霊でそうします!」
本気でそう思っていました。
とは言いつつも、やっぱり認識している「自分」と乖離していると、どうしても「自分らしい」とは思えず……。
なんだか、イメコンをしながら「私ではない誰かのコスプレ」をしているような気持ちになっていきました。
それって「似合う」と言えるんだろうか???と、次第に考えるようなりました。
見る人によって「似合う」とするものがちがうのは、プロデュース方法の差みたいなものかなとか、
「なりたい/好き/似合う」と「身に纏いたい/身に纏っていて落ち着く」ってちがうかもとか、
そもそも持っている素材をどう調理するか?って人によるよねとか。
いろいろと思考を巡らせては、思考を整理するために言語化のために都度noteにしたためてきました(もしかしたら今とちょっとニュアンスがちがうことも言っているかも)。
今日は24/5/26時点で私が考える「似合う」というものを、文字にして残しておこうと思います५✍
ズバリ! 「似合う」には内面も大事
結論から言うと、私は「似合う」は外見だけの話ではないなと思います。私はイメージコンサルタントでもなければ、ファッションスタイリストでもありません。「似合う」に向き合ってきたただの一般人の一見解として話半分にお願いします🙏
「似合う」とは「私らしさの投写」である、というのが私の中での暫定的な結論です。
わかりづらい言い回しをしましたが、「私らしさ」を反映したものこそが「似合う」だと思っています。
では「私らしさ」とは何か?というと、「私」を構成するありとあらゆる構成要素のことだと、私は定義しています。
それはもちろん、外見に表れる特徴もそうですし、好きなものや価値観、ライフスタイル、内面的要素や育ってきた環境、置かれている状況などいろいろなものが絡み合うと思います。
よく「外見は内面の一番外側」と言いますが、本当にそうだと思います。
スピリチュアルに聞こえるかもしれませんが、同じ器を持って生まれてきたとしても、外部環境によって及ぼす影響が変わりますし、中に入る魂がちがえば歩む人生が変わると思います。
内面や価値観、好むものによって、挙動や仕草、思考が変わり、口から紡がれる言葉が変わりますし、よく使う表情筋がちがえば顔つきが変わっていくと、私は思っています。
つまり、いろいろな要素が絡み合って、私という人間が作り上げられています。その構成要素は無数にあって、自分でも気づかない小さな小さなパーツ、ピースの複合体が私、というのが私の考えです。
「自分のことは自分が一番わかっている」ともいえますが、同時に自分という存在はあまりに身近にありすぎて、さまざまなことが「あたりまえ」と感じやすいのも事実です。
自分ができることは周りのみんなもできると思い込みがちですし、外部からの刺激がないとどうしても「自分」というものの輪郭がぼんやりとしがちです。
無意識下に留まっているもの、自分では気づかないものがたくさんあると思います。
外部の刺激によって、そこを意識化・表面化するのが、各種イメコン診断や、自問自答ファッションのワークなのではないかと、私は思っています。
ただ、価値観は人それぞれなので、運用法は人によって変わると思います。
たとえば、「好きなものを着たいしイメコンにとらわれたくない」という人がいたとします。
そういう人は「イメコンに頼らない」のが「その人らしさ」だと思います。なので、たとえイメコンで導かれる先が同じだとしても、イメコンに頼った時点で「その人らしさ」から外れてしまい、「似合う」から遠ざかってしまう可能性もあると思います。最終的な結果が同じだとしてもです。
同様に、「私は憧れの〇〇ちゃんみたいになりたい!」という強い想いをもつ人がいたとします。
〇〇ちゃんに近づこうとすると、外見的特徴やその人が持つ細かな要素を活かしきれないとしても、その強い想いを無視した時点で「その人らしさ」から離れてしまうことが予想されます。「イメコン的似合う」が「その人らしさ」から離れた結果、「似合う」ではなくなるという考えです。
イメコン各サロンが何を「似合う」とするかは流派や方針によってちがいます。
持っている要素を洗い出して、どう活かすか?を導いたり、「私」という人間を多角的に、または一方向から照射させて浮かび上がった像を押し出したり。
なんにせよ、価値観やスタンスに近い方針のサロン選びやイメコン運用をしたり、
(内面やライフスタイルを尊重してくれるサロンであれば)自己理解と自己開示によって導き出した「自分らしさ」を可能な限り伝えて、構成要素のすり合わせを行うのが重要な気がします。
「私らしさ」ってなんだろう?
では、私にとっての「私らしさ」とは、なんでしょう。
ここまでに書いたとおり、私がどういう価値観をしているのか?どうやって運用したいのか?が大事です。
私の理想については↓のnoteでも書いたので一旦置いておいて……
突然ですが、私はかなり重めの人間です。
会社勤めなので、仕事では「私一人がいなくなって回らなくなる会社なんてダメだ」と思っていますが、基本的には「あなただから」が好きです。
「あなたじゃなくていいよ」と言われると凹むし、「私じゃなくていいんだな」と思うと、やる気が一気に削がれます。
「個性的」が好きなわけではないし、TPOは遵守するし、社会生活を大事にしているけど、言葉どおりの「一人一人ちがう個性」が好きです。
流行やトレンドを反映した流行に敏感な〝オシャレ〟な服よりも、私のもつ特徴や価値観を尊重した「私だからこそできるファッション」が好きです。
冒頭で書いた「イメコンをしながら「私ではない誰かのコスプレ」をしているような気持ち」というのは、自分を構成する要素をいくつも無視していたせいで、「私らしい」と思えなかったのが、その理由でした。
サロン選びの相性もありますが、それ以前に私自身の自己理解が足りなかったことが原因です。
いろいろな外部刺激によって、「自分が大事にしていること」に気づいたり、自分を構成する要素がわかってきました。「私」という存在の輪郭がはっきりとしてきた今は、かなり他人任せだったな……と情けなく思いますし、反省しています。
自分の好きなところ、嫌いなところ、すべてひっくるめて「私らしさ」だと、今の私は思っています。
どんなに小さなことでも、自身を構成する要素すべてを強みに変えて、武器として活かしてあげたい。そのために多角的な視点から「私の構成要素」を浮き彫りにしたい、それが私の核となる価値観です。
自分を卑下することなく、ありのままを受け入れたうえで、コンプレックスに感じていたところも全部ひっくるめて「私らしさ」として強みに変えていく、それが私のスタンスです。
そんな私が指す「似合う」とは、私を構成する細かな細かな要素をすくい上げるように、活かす形でファッションに反映させる、ということです。
私を構成する要素は外見だけじゃないのは大前提です。内面や価値観、育ってきた環境やライフスタイルあってこその私だからです。そこを置いてけぼりにしてしまうと、「私」ではなくなります。
一人一人ちがう「個性」が好きな私は、細かく細かく外見的な要素を診ていって、「他の人にはできない「あなただから」を押し出す」「持っているものを活かす形でファッションに反映する」というのを土台にする、
そこと内面要素をすり合わせていく形のイメコンサロンが、価値観にもスタンスにも合ったようです。
私の「好き」は「自分だからこその「個性」を活かすこと」で、私の「なりたい」は「自分だからこその「個性」を活かした、私自身が満足してしっくりくる、自分のことを「好き」だと思える姿」です。
それよりも先にくる「好き」や「なりたい」がないので、「好き」や「なりたい」よりも「似合う」優先だと、他人軸だと自分に対して思っていましたが、
どうやら私の「好き」や「なりたい」は「似合う」に密接に絡んでいて、そこを含めて「似合う」とみなしているようです。
これからは胸を張って、そんな自分が「好き」で「なりたい」と言っていきたいです^^
思いのままに書いた文章なので、読みづらかったらすみません。私の基本スタンスや価値観が、「私らしさ」が少しでも伝わるとうれしいです。
最後に。こちらのnoteの内容はあくまで、私にとっての「似合う」の話です。スタンスがちがう人もいると思いますし、決して押しつける気はありません。
これを読んで「私とはちがう」と感じるところがあれば、きっとそこがあなたを構成する大事な要素だと思うので、「ちがう」ことに価値を見出してもらえるとうれしいです。
今日はこちらで失礼します!✨