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郁田はるきG.R.A.D.を読む
※この記事は性質上2024年10月9日に実装された郁田はるき『G.R.A.D.共通コミュ』のネタバレを含みます。
まあみんなもう読んだよなあ!
今回もサクッと書く。
どんなお話だと読んだか
郁田はるきのGRADコミュはストーリーラインを見れば非常に王道で単純である。自分の意志で入ったはずのアイドル業界はステージが上がるとともに技巧や役割と言ったものを強く要求してくるようになり、少しずつ身動きが取れなくなっていったはるき。
その中で、ふとした助言がきっかけになって、自分を見つめ直したことによって手段と目的の逆転に気づく。
そして、これまで自分を縛っていたように思っていたものの数々が自分をより深いところへ導くものであることを理解し、その通りにまた深みへと歩き出す。
このシンプルな話が、シャニマスというゲーム自体がこれまで培ってきた演出の空気感、他アイドルのシナリオからボイスを引用するという積み重ねの利用、そして何よりもはるきのもつ豊かな語彙で彩られることによって、このシナリオは成立している。
それらのひとつひとつがいかに巧妙であるかに着目しだすと時間がかかるのと、普通に全部拾いきれないので細かいところは各自で確認して欲しい。例を挙げると、エンディングのこういったシーンがある。
![](https://assets.st-note.com/img/1729099934-ESXcGFfzYOZNxsLHuK2tD13i.png?width=1200)
シナリオの間ずっと他者からの視点に振り回されていたはるきが、自分自身の原初の欲求を思い出したことで言葉にできるようになった、この感情。この後にも実に胸を打つ台詞が続くが、黒と光という、コメティックとしての郁田はるきの要素も内包した、この一連の会話は大変に味がする。
「くだらないや」になるまで
さて、つまりはそういった感じの話であったわけだが、その原因は何だったのか。それは作中でも言及されている通り、彼女が純粋、イノセント、ナイーブであることに理由がある。
彼女が自覚した通り、郁田はるきの出発点にはインプットがある。この「見たい、感じたい」という欲求が最初にあることは他のアイドルたちと比較してもおそらく独自のもので、それを叶えるためのアウトプット自体は他の子達と同じくアイドル活動だったとしても、そこに手段と目的の乖離が生じることになる。
これはW.I.N.G.時点で「人の心を動かしたい」という欲求の発露がPによって訂正されているところから一貫しており(その他、ファン感謝祭編で自分が不思議ちゃんとして扱われていることへの反応からも見受けられる)、はるきは定期的に本来の目的を履き違えていることがある。
その理由は本来の目的がインプットであるところにあり、基本的にインプットとアウトプットは対であるため、世界の常として、より良いインプットを得るためには相応のアウトプットを返す必要がある。そのローテーションを繰り返すうちに摩耗していき、いつしか手段と目的の逆転が生じる。
そうなった状態のはるきが、「嫌になっちゃうな」の状態なのだと思う。本来この歌の歌詞をはるきに当てはめることの妥当性は無いが、今回で内面が描写されたことによってこの状態のはるきは強い義務感あるいは責任感に突き動かされていることが判明したために、生来の真面目で体育会系な気質とマッチしすぎてしまっていると言える。
おそらく、彼女はこれからもインプットという欲求の対価としてアウトプットを要求され続ける。それはアイドルの技能であったり美術的知識であったりと様々だが、本来の目的を見失わない限り、その感性が生み出すはるきだけのアウトプットはきっと彼女の生きる助けとなるのだろう。
このあたりの現象をG.R.A.D.とはまた違う手際で解決してみせたのが【連綿と、桜】であり、はるきのインプットからアウトプットへの流れを見せてくれているのが【桜花拾】である、という認識である。両方ともいいカードなので機会があれば読んでほしいと思う。トワコレと限定だけど。
特に【連綿と、桜】はG.R.A.D.シナリオよりもはるきに余裕がある分、必然性に駆られていない状態の彼女がこの問題にこれまでどういったスタンスで接してきたのかを見せてくれる。トワコレだけど。(逆に言うと、G.R.A.D.と近い話をしているので無理して読まなくても良いということでもあるということを申し添えておく)
生きるということ
ところで、郁田はるきの持つ素敵な感性のひとつに、先述した2つのPカードでも触れられている時間の連続性に関するものがある。
![](https://assets.st-note.com/img/1729109160-prnHUCRGSc2Q5BklyEToM4L7.png?width=1200)
彼女は「続いていること」に対して強いこだわりを見せる。それは自分の行動の結果であったり花の絵としての表出であったり『永遠』の表現であったりと様々だが、それは「(線として)繋がっていること」でもあり、これはGRAD中で出た台詞との対応が取れる……とは思うのだが話が広がりすぎるのでそれは一旦置いておいて、彼女はインプットが自分の中に根付いているかどうかを重要視しているのである。
それはつまり、本質的に内向傾向にあり、外部からの干渉にナイーブなはるきがきちんと外界と時間的・空間的な同期を図っていることの顕れであり、インプットとアウトプットの輪の中に自身も含まれるということに強く自覚的であるということになる。
そこから得られるどこか超然的な視点は一抹の不安を抱かせるものの(【桜花拾】より)、それ以上に、今ここに「生きている」ということがどれだけ美しいのかということを、彼女は教えてくれる。彼女の原初の欲求がインプットであろうとも、それを彼女が他者と共有したいと思ったから、あるいは何かに残したいと思ったからこそ、彼女のアウトプットの腕前は向上を続け、いつしかそれが人を魅了するものになった。その全力の生き様が、とても好ましい。
まだ見ぬECHOESへ
ではそもそも、そんな彼女はなぜ必要に迫られ、自らの欲求を見失うほどに追いつめられてしまったのか? もちろん、アイドル業界に入ったからには避けては通れない問題である。しかし、はるきのそれはあまりにもハイスピードであった。その要因は、間違いなく斑鳩ルカにある。
ルカの放つ鈍く力強い光は多くの人間を魅了し、その魔性で狂わせる。すでに多くの功績を打ち立ててきたルカの隣に立つには、相応のものが要求される。ルカを求める人々の触手は、はるきが触れるにはどす黒かった。
では、はるきがコメティックにいるのが間違いなのかといえば、もちろんそんなことはない。彼女もまた、ルカの放つ輝きをそばで見たい、あるいは共に感じたいと強く思い、そしてそれが間違いでないことを確信している。(各種イベントコミュ及び【遠き明滅】【猫と犬みたいな雨】参照)この「確信している」というのがミソで、今回のように割と迷いやすいはるきがそこだけは間違いないと断定する強い感情は、ルカだからこそ呼び起こせたものである。それは逆も然り、ルカの前からいなくなろうとしないはるきは、ルカの視界にまた新たな可能性を与えるのだろう。当然、羽那にも同様のことが言える。純粋あるいは純真さという点で似通っているふたりの、それぞれ外向と内向で足りない点を、お互いが補えるようになることを強く願う。
彼女たちの向かった先で発見するのが歪みではないことを、これから証明してくれると嬉しい。