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発達障害児でも青春してほしい!
こんにちは。ADHD(注意欠如・多動症)とASD(自閉スペクトラム症)の特性を持つ小学生の男の子の母です。水やせっけんの泡が大好きで、動きがふわふわしている少年なので「くらげ坊や」と紹介させて頂いてます👦🫧
時々テレビやネットで、天才発達障害児のお子さんに出会います。
絵画や音楽の才能を開花させ、自分の力で生きている。
ご本人の凄まじい努力はもちろんのこと、ご両親や先生、周りの方の深い愛情と適切な支援で、世の中に出るほどの実力を発揮できているのだろうと心から尊敬の気持ちで見ています。
残念ながらくらげ坊やは天才発達障害児ではないので、同じように生きることは難しいと思います。
ですが、親のお金で生きられる10代のうちに、最低1つのことには必死に打ち込んでみて欲しいと常々思っています。
くらげ坊やは強いADHDと強いASDのブレンドです。ADHDも良いところがあるのに、ASDの特性が足を引っ張ってしまいます。逆もまた然りです。
何かにハマったら、寝食を忘れるほど頭がいっぱいになるのですが(←ASD)ちょっとした「挫折」や「飽き」で、あっさりやめてしまいます。というか忘れるのかも💧(←ADHD)
はたまた「失敗」が悪い思い出として残ってしまって続ける気力を出せないのか?(←これならASD➕ADHD?)何にしても理由はいろいろありそうです。
またまた別パターンでは、お友達や兄弟がやっていることが羨ましくてすぐに首を突っ込みますが(←ADHD)うまくコミニュケーションが取れず嫌がられてしまうこともあります(←ASD)で、悲しい思い出とともに嫌いになると。
※注 我が子の特性の出方です💦
こちらが知恵を絞り、将来の仕事に繋がるかもしれないとお金と時間を掛けている習い事には、ハナから「やらされている」「どうでもいい」の気持ち満載です。(←発想が貧困、意思がない。これは性格か?笑)
まー本当に厄介なわけです。
そんなわけで、くらげ坊やの習い事は基本的に途中退場ナシにしてます。
石の上にも3年。5年。いや10年。そこに居続けることにも意味がある。意思がないだけに!笑
年少や年中から始めているので、長いものは7年目です。
どれも普通のお子さんなら3年くらいで到達するレベルかもしれません。
そんなことは気にせず。正確には、気にできず💧
近い将来人生のエンジンをかけるべき時に、困らないような下地を作っておきたいと思っています。
本人がそれを好きかどうか?楽しんでいるかどうか?もはやそれはどうでもいいと思ってます。
気持ちは変えられるからです。気の持ちようです。
でもスキルは今身に付けないと付かないものがあります。
「俺って何者?」のアイデンティティ時代に、一般的に通用する得意なものがあって欲しいです。
そう考えると今のこの時間が、どれだけ貴重でしょうか。中学高校は6年しかありません。
やる気がないなら辞めれば?と言ったこともありますし、私自身も「もーやだなぁ」って思うこともあります。
そんな時はいつも「この先も永遠に子どもに振り回されるか、私よ?」
と自分に問います。
…否!!
お断りします。私も先があります。笑
意地でも自立してもらいます。
好きなことだけやって生きるなんて誰でもムリ!
日々の勉強と練習を大事にしなさい。
昨日の自分に勝ちなさい。
これは生きる為の訓練だよ。
「毎日コツコツ」ができたら、それは何にも変え難い力になるよ。
そうやって鼓舞します。自分にも。
がんばります。
↑決意表明でした。失礼しました🤣
得意分野に昇華できたら、努力をしたから今があると自信を持って生きて欲しい。フラフラせず、その時その時の目的をしっかり持って生きて欲しい。
そしてできれば
✨青春✨
して欲しいのです。
やりたくないことをやらなきゃいけないしんどい時間もあるけど、概ね楽しく生きる。
1度の人生です。楽しく生きている君が見たい!心穏やかにお友達と楽しく仲良く笑って過ごして欲しいと、願ってしまうのです。
その為の努力は惜しまないつもりでいます。
生活、勉強、習い事の1つ1つを身につくまでサボらず見張ります!笑
ソーシャルスキルを叩き込み、人を不快にさせない言動を学ばせます!
今しかないですよね。(自分に言い聞かせる…)
5年後にはもう私の言葉は届かないだろうと思います。
どんなに腹が立っても悲しくてもウンザリしても、今が大事だから目を背けられません。
世の中にはたくさんの競技があります。
優勝してすごく嬉しそう。みんなで喜び合っている。
でもそのシーンだけでは分からない、影の努力を想像できるようになって欲しいと思います。
何度辞めようと思ったのか、何度泣いたのか、どれだけ走ったのか、どれだけ勉強したのか。
テレビを観るだけでは分かりません。
自分自身で努力して、知って欲しいと思います。
努力は形を変えてもずっと続けていくもの。
君の役割は何だろうね?と。話し続けていこうと思います。
役割を果たして、楽しむ。
そんな素敵な人生が送れることを切に願って。
最後までお読み頂きありがとうございました。