突発性難聴と低音性難聴と私①

最近また低音性難聴が再発しまして。自分用の記録も兼ねて経緯と治療法などを記そうと思います。ちょっとでも同じ病状で悩んでいる人のお役に立ちますように。

重度の突発性難聴で入院

実は十数年ほど前、重度の突発性難聴で1ヶ月程入院したことがあります。
その時のことから書いていこうかな。

発症時のこと(と原因)

発症の1週間前から、ほぼ徹夜でテスト勉強をしていました。大学の単位をかけたテストがあったからです。たぶん5徹くらい?アホかと。当時の私はまさか徹夜で入院することになるとも露知らず、今までほとんど勉強せず遊び回っていたツケがまわって、本当に1週間必死でレッドブルやら眠眠打破やらをぶち込んで、睡眠は行き帰りの電車のみ(合計2時間くらい)という生活でした。

晴れてテストが終わり、バイト帰りに軽くカラオケで発散して帰路についた時でした。
「ん・・・?」聞こえ方に違和感。左耳にキーンという耳鳴りもあったように記憶しています。試しに片方ずつ耳を塞ぐと、左耳に効果の薄い耳栓をしているような、少し物音が遠く小さく聞こえるような感覚でした。と同時に、軽いふらつきがありました。いつもの電車の社内アナウンスが少し遠く聞こえました。
疲れているのだろう。今日は早く寝よう。そう思って、その日は帰宅後すぐに眠りにつきました。

異変、そして人生初の救急車

朝。なんとなくの不快感で目が覚めると衝撃の光景が。
なんと天井がぐるぐると回っていたのです。初めての光景にびっくりして、一旦目を閉じました。もう一度開く。やっぱりぐるぐるしてる!!!(誇張じゃなく、ホントに天井が回転してる?ってくらいぐるぐるしてました)
起き上がろうと思いましたが最早ムリゲーでした。ぐわんぐわん。そして起きようとした途端に襲ってくる吐き気。
(なんだこれ・・・・!?!?)
あまりの驚きと恐怖に混乱しながらも、枕元の携帯を探り当て、寝たまま必死に実家の母に電話。
『ひどいめまいで立ち上がることができない。どうしよう』
話した内容はもう忘れてしまいましたが、おおよそこんな感じだったと思います。救急車呼ぶか!?と思いましたが、めまいくらいで呼ぶのもどうか…と思いとりあえず母を待つことに。
母は私のアパートから電車で約1時間半くらいの距離に住んでいて、急いで駆けつけてくれました。

母「大丈夫!?どうしたの?まだ立てないの?」
私「立てない。目を開けるとぐるぐるする」
母「タクシーで病院行ける?むりそう?」
私「立てないから多分むり。あと吐きそう」
母「じゃあ救急車呼ぶしかないね」

確かこの会話をしたあたりで、左耳が聞こえていないことを自覚したんだと思います。
ということで人生初・救急車を呼ぶことに…。まさか20代で救急車呼ぶことなるなんて思ってもみなかった。。
ほどなくして救急車到着。救急隊員に担がれ(なぜか担架じゃなかった)救急車に乗せられる私。付き添う母。
その日は確か日曜日で、救急の受け入れをしている病院が少なかったらしく「少し遠くなりますが良いですか?」という会話が聞こえたのをなんとなく覚えています。ちなみに救急車のサイレンは社内でも割とガッツリ聞こえます(要らん豆知識)。社内で色々問診されたような気もするんですがあまり覚えていません。
命に関わる病気ではなかったですが、立てない(むしろ座ることもできない)以上、救急車を呼ぶしかなかったよな・・と今でも思っています。
ちなみにですが、あとから調べたところ起き上がれない(座れない)程の強い回転性めまいは突発性難聴としては重症な部類っぽいです。

病院に到着、入院へ

ストレッチャーに乗せられて治療室のような場所へ連れられ、ここでもいくつか問診されました。「吐き気がひどい。左耳が聞こえない」ということを伝えたんだと思います(記憶が定かではないですが・・)
いつ嘔吐してもいいように、口元に小さい桶みたいなものを置かれ、ひとまず吐き気止めの点滴を打ってもらい、その日はなんとか落ち着きました。
入院の手続き等はすべて母がやってくれました。本当に感謝。
そういえばこの時点でどれくらい入院するかとか決まってたんだろうか…?
まだ検査とかもしてなかったと思うんだけど。まぁ耳が聞こえないのと立ち上がれない程のめまいで突発性難聴だということはわかってたのかも。

そして地獄の入院生活が始まるのであった・・・。

長くなりそうなのでいったんここまで。次回は「人生で辛かったことNo.1、地獄の検査」と「点滴もう刺すところねぇよ・・」の2本立てでお送ります!!(適当)

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