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変わっていく私に「YES」と言うため服を着る

去年の夏は着れていたのに、今年袖を通すと「どうも変だ」と感じる服が何着かあった。

MOUSSYの大きな襟のトップス、JOURNAL STANDARD  relumeのTシャツ。

鏡の前で、「おう、お別れか…世話になったな…」と呟いてそっと手放した。

それは、去年の自分の服選びが甘かった訳でもなく、一年間で私がグッと老け込んだという訳でもなく、ただハッキリと、去年と違う私がそこにいるという実感があった。

ファッションは、自分の変化を肯定する儀式だ


服選びが難しいと思うのは、自分の人生の変化と連動して、服を更新していかないといけないことだ。

顔、体型、仕事、ライフスタイル、時代の流れ。

去年と全く同じものはなく、
「お前の人生はめくるめく変化をしてるんだよ!」
とまざまざと突き付けられるような気分になる。

人は、どこか変化することに対する恐れがあると思う。
慣れ親しんだ、いつも通りの私が居心地いいと感じるものだし。

私にとってファッションは、そういう変化を、
「サイコーだぜ!」
と肯定するような儀式かもしれない。

新しい服を身にまとい、新しい自分になっていくことを
面白がれるシステム、それがファッションの持つ力だと思う。

デートに行く、新しい仕事を始める、なんていうポジティブな変化から、

失恋した、嫌なことがあった、何かをあきらめた、のような
胸の痛む変化であっても、

新しい服やスタイリングをして、鏡の前で、

「よし、この自分で行く。」

と決める儀式ができる。

昔の自分がいかに輝いていようと、
今を生きているのはこの私で、
ファッションはいつでも現在進行形だということが
私にはものすごい救いのように思える。

今の服を着ていないとダサいことがむしろ救い


服にはトレンドがあって、どれだけ似合う服だったとしても、昔の服はなんかダサい。

同じ体型をキープできていたとしても、古さがにじみ出る。

たとえまだ使えるとしても、よっぽどの名品でない限り、
昔の古いブラウン管を見るような、時代の違和感を感じる。

譲れない自分のスタイルがあっても、オシャレでいるためには、
長いスパンで見たらどこか少しずつでも変わり続けていないといけない。

変わりたくない変化があっても、容赦無く時代のファッションは移り変わり続ける。

その諸行無常な仏教イズムみたいなものが、最高だと思う。

移り変わる心と、体と、時代を、
オシャレという一つの形にしてしまい、
問答無用で「今」を生きさせてくれる。

去年一年で、あきらめたものもいくつかあったし、
大きな悲しみも、いくつかあった。

似合わなくなったトップスには、去年までそれを知らなかった
無邪気さがつまっていた。

知らずに生きていけたらよかったなと
思うことも人生にはあるけれど、
新しく買ったブラウンのワンピースを着たら、
最新の自分がそこにあらわれる。

それは去年の自分よりよっぽど洒落てみえて、
今を生きる力を与えてくれる。

だからオシャレって最高なんだよな。


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