一年の色を感じなくなったきっかけ
去年まで 一年の始まりの色が わたしには見えていた。
年の暮れ頃になると、
なんとなく 脳内に浮かび出す色。
年を明けると 更にはっきり見えてくる。
明るい色が多いけど ちらほら薄い黒色が混ざったり。
どーんと暗い色しか感じなかったり。
最初 それが見えるようになった時は なんだろう、と思っていた。
そのうち、年が明けて 月日が経つと 近づく色。
黒色がある頃に たいてい 何か起こる。
そして、その黒色も
だんだん落ち着いて 明るい色になるのもわかる。
それがふと
今年から見えなくなった。
去年は金色だった。
去年は 卵巣がんの手術も受けたし、遺伝子異常もわかったし、わたしのことだけに留まらず、起こることは いろいろとあったけど
その金色がみえていたから
それらすべてがいい方向になることも わかっていた。
だからなのか
不安はあまりなかった。
むしろ へらへらと過ごしていた。
今年のはじめ、
なんで色を感じないのだろう、と思った。
恐らく、自分で思うのは、
去年の暮れ頃に
実は 義母に連絡したのだ。
数年 体調のこともあり、連絡していなかった。
連絡した理由は、
父の体調が気になったため。
父も国指定の大腸がんを患っていた。
何かあったら 連絡してほしい、と 義母にも話していた。
父や義母から 連絡をもらったことは 一度もない。
数年 連絡してなくても
全然 わたしのことは気にならないようだ。
それはもう さすがに慣れていた。
寂しくも悲しくも
なんともない。
もういい加減、連絡しなくてもかな、とも思っていたけど
病気を患っていた父のことを 改めて思い返しているうちに、
わたしができることは やっておこうという気持ちになり、連絡したのだ。
病院の帰り、
木枯らし吹く寒い日だった。
池の淵で 歩きながら 電話した。
頭上に 気持ちよさそうに飛ぶ野鳥を見ながら 電話した。
面倒くさそうに出る義母。
「元気?みぞです」
と切り出してみる。
「あーはいはい。なに?なに?忙しいんやけど」
毎回 こうです。
変わりない。
元気そうだ。
思い切って 父のことを聞いてみる。
「父はどうですか?元気ですか?」
義母が言う。
「数年前に亡くなったよ」
…あぁ、やっぱりか。
「父に何かあったら連絡してって言ったよね?」
と 少し苛立ちながら言うと
「連絡先知らんし」
と返ってきた。
何度も連絡先渡したけどな…。
それに この電話した時も
面倒くさそうに出たのになぁ。
わたしと知っての事じゃないのかな。
まあ、いい。
たぶん、父に何かあっても 連絡は来ないとは思っていた。
思っていたけど ふつう連絡するよね、と思っていた。
『ふつう』って 本当に人それぞれで変わるんだなぁ。
わたしも しょっ中 連絡することはできなかったし 仕方ないことなのかもしれないけど 酷いなぁ、と 他人事のように考えた。
いろいろ過酷な人生送っていたわたしは 目の前のことに必死で なかなか会いに行けずにもいたけど
義母にとっては わたしは来ない方が 幸せだろうし 父も そこまで わたしを思ってる感じでもないし、
親なんだけど、
子供として その親をどういう位置付けにしていいのかが よくわからないままだった。
ずっとわからないままで終わったけど。
暫く会えない時期を経て、
子供を連れて会いに行った時も
義母に言われたことが
「何しに来たん?」
なんにもしてないけど。
今までも。
父も弱ってるし 財産目当てと思われたのか。
その前に義母に手紙を書いたこともあった。
仲良くしたかった、
家族と思い、付き合いたかった、
と書いたと思う。
その手紙のことにも触れ、
「甘えすぎ」
とか言われた。
子供の前で
「あんたのお母さんは できそこない」
とも言われた。
子供たちには連れて行って 嫌な思いさせて 申し訳なかったな、と思った。
父はだいぶ ボケてもいたので
もう義母の方が強い。
それでも父は
「あんまりうるさく言うな」
と止めて
子供たちにも 優しそうな笑顔を向けていた。
広い大きな一軒家なのだが
ベッドの上でタバコに火をつけながら
いろいろ話しかけてくれて
そのタバコの火が ベッドに落ちかけたとき、慌てて 消していたけど
その後で すぐ
「まあ、周り家ないし 火事になったら また建てたらええの」
と にこーっと満面の笑顔で笑う父だった。
こういうところも 相変わらずだった。
父は 小さい子供は好き。
だけど親としての愛情までは… それはどうだったんだろう、今となってはよくわからない。
とにかく、父は亡くなっていた。
葬式も呼んでもらえない。
お墓も教えてはもらえない。
わたしはなんにもした覚えはないのだけど。
こういうこともあるんです。
いろいろと思ったけど
もう 全面的に斬りたかった。
わたしに 親はいなくていい。
心の中で
これで最後、と決めて
「まあ、いいです。お義母さんもお身体に気をつけて暮らしてください」
と さよならは言わず 切った。
すっきりした。
終わったー、と解放感もあった。
それがあってからか
その翌年(今年)の色は感じなかった。
相変わらず どちらかというと 色は見えなくなったけど きらきらしている。
きらきらしか感じなくなった。
ここからは 自分で改めて ここに生まれてきた感覚。
わたしは 親と斬ることがまず、必要だったのかもしれない。
ここからは 幸せにしかならんのです。
一年の色がみえていたことを書きたかったので 書いてみました。