見出し画像

生い立ちパズル⑫ piece:反発心と無気力の同居のはじまり

中学生時代も 日々、様々なことが 改善されることも無く、小さな不穏の波は 常にありました。

そうしてるうち、いつの間にか
自然に 瞑想して
 自分自身の内側に 居場所をつくることができました。

その居場所は 年々 時が経つにつれ、
その場所も 実際に時が経ったように 変化していきます。

今もあります。
感じようとすると、ちゃんとあります。

でも、行かなくなりました。
必要がなくなったのかな。

ときどき 懐かしくなるので
覗いて 風を感じて
背の高くなった一本の木を 見上げてきます。
やはり、今でも 行くと 温もりを感じます。 

この場所を わたしは いつも
自分の内側に 持ち歩いています。

中高生時代、いつも わたしを
守ってくれた場所です。



さて、中学生時代ですが、
目立つことが苦手なわりに
マラソンで 全校生徒の前で 表彰されたり、バスケのプレーだったり、
絵や歌や、
 学級歌の歌詞を書くというのが 宿題に出ると それが選ばれたり、と なんだか ひょんなところで
いつの間にか 目立つような場所に立つということが ちょくちょくありました。

 

どちらかというと
いいことで 目立っているはずなのに
幼い頃から 愛を感じたことがないせいなのか、(関係ないかもしれません)
『みぞは 出来損ない』という義母の言葉が 染み付いているからなのか、
褒められても褒められても
ピンと来なくて
自分のこととして 喜べずにいました。

ぼーっとしてるのです。
他人が褒められているような感覚です。
実感がないんです。

ただ バスケ部での秘密兵器の立ち位置に関しては 最高でした。
どんな練習も かかってこいです。
ここは 単純でたすかります。


そして、
月日が経ち、
将来 どんな職業に就きたいか、なんて
全く 考える余裕もなく
日々、一日 一日を まともに過ごすことで 精一杯だったので 
高校進学の際に
バスケの強豪校から 推薦が来たのも 蹴ってしまいます。

大人になっても バスケしたい気持ちは ずっとあったので 少々 後悔した時期もありました。
だけど 仕方ないです。
まともでいるための選択です。
反発心からのやる気のなさです。

 『もう どうでもいい』という気持ちで 特に受験勉強もせず、
適当に 合格した高校へ 入学します。

自身のことを考える、ということを知らなかったです。

この頃は 大人に対して
違和感しかなく、
反発心も ふつふつと芽生えていました。
『周りの大人のようにはならない』と 強く心に思っていました。


その反面、生きていたくないな、という重たい空気の中をひたすら足を引きずって 歩きさ迷うような日常を過ごします。


反発心と無気力が 同居です。
光も希望も安らぎもありません。家の中では。


常識の違う世界で ぽつんとひとり。
大人たちは わたしの言葉に耳を傾けてはくれないし、
不気味そうな目で見てくるし、
出来損ないだと言うし、

狂ってる世界で
「それは違う」、「間違っている」、という発言は伝わらないし、かき消されるし、
誰も頼れない。


先を思うと とてつもなく
人生が 長く暗く感じて すべてをやめたくなるのです。


 
自然や動物たちとの 繋がりが
わたしを 救い続けてくれます。


 高校に進学してから
バスケ部に入部しました。
だけど 中学時代のバスケ部とは 程遠い練習内容です。
 同好会のようなゆるいバスケ部でした。
 顧問も来ません。

それはそれで たのしいのですが…
わたしには 物足りませんでした。


あの時、推薦を蹴らなければ、
なんて考えても 
それで くよくよするのなら そこは考えるべきではない。

くよくよする時間があるなら 先へ進もう。
大人になると、そう考えられるようになりましたが まだ この頃は 周りの大人のせいにして ちょっと悔しい思いもありました。

この頃の自分には 必要なことだったのでしょう。


大丈夫。
ちゃんと引き受けたから。
わたしが 心地の良い場所で 放つから 大丈夫だよ、と むかしの自分に話しかけます。

高校生活は とても退屈でした。
つまらなかったです。
 だけど、心機一転には いい機会なので
改めて 勉強に励もうと 思ったりもしていました。


初めての中間試験で
ちょっと がんばって いい成績を とってみよう、と 深夜遅くまで テスト勉強やり始めます。


ところが



この時、
わたしにとっては とても精神的に 大きなダメージとなる事件が起きます。

夜中の二時頃だったと思います。
祖父母の家に 義父がやって来ます。
どんどんと 玄関の戸を叩きます。


その日は 祖父も家にいましたし、
祖母も寝ていました。
わたしは ひとり起きて 勉強していました。

祖母が 戸を開けます。


義父が言うには
 「みぞのお母さんが 頭がおかしくなって暴れている。みぞでないと たすけられない。」
と。

 今 思うと おかしいんです。
それに今思うと 義父の目がおかしかったのもわかります。

祖父母も わたしも その時点では 義父の言葉を わけがわからないまま 鵜呑みにするしかなかったです。

 わたしは 深夜に 義父に
母の元へ連れていかれます。
わたしひとりでなければ いけないと言うので わたしは 祖父母に
「大丈夫」と言います。

道中の車の中で
「みぞの父親は 実の父親じゃないんだよ。」
と 義父が言います。

「へぇ」
と言いました。

義父は 少し驚いて
「ショックじゃないん?」
と聞きました。

頷きました。
だって 一緒に暮らしたことも
そんなにないし、
ちゃんと会話したこともないし、
実父だろうが、実父じゃなかろうが、
今更…という感じです。

その後も 何か 話してた気がしますが あまり覚えていません。
夜のドライブのような感覚で 少しどことなく わくわくもしていたし、
母の様子が 想像つかないので
それも気になっていました。

それと 別なところで
母が わたしが来ないと 落ち着かないだなんてこと、そんなことが 今更 あるのだろうか、という気持ちもありました。
愛されている感覚がなかったから。
わたしの名前を呼んでいるなんて。

母は もしかして わたしが思うより わたしのことを思ってくれているのかもしれない、と 嬉しさすらありました。



車は 真っ暗な景色の池の淵で止まります。

「お母さんは?」
と聞くと
前方を指さして
「あそこにいる」
と言い、話を続けます。

「俺は みぞのお母さんに ずっと騙されてたんや。」


…ん?
何を話してるんだろう。

「お母さんに 復讐することを考えた。そしたら みぞの一生をめちゃくちゃにすることやと 思ったんや。」

…?
全く 何を話しているのか わかりません。


義父は、ぼんやりしているわたしの隣りにきます。
義父は わたしの一生を めちゃくちゃにするため 強姦しようと思っていたのです。

 恐らく強姦だと思うのですが
あまりにショックだったのと、
気持ちが悪いので そう思いたくなくて
ずっと大人になるまで
殺されかけた、と 自分の感情をすり替えていました。

どちらにしても
16歳には きついです。

その事件は未遂に終わりました。
なので こうして語れるのかもしれません。

負けたくないです。
そんなことくらいで 人生めちゃくちゃにできると思ってる大人が 本当に嫌いです。

 吐き気がする。

その時は 恐怖で 泣いてしまったわたしに 義父は 躊躇い、
「大声で叫んだら 警察も近い」
と 言われましたが それも出来ず、
ただ ショックで ずっと泣き続けていました。

義父は
「ごめん」
と言い、わたしに 口止め料なのか お詫び料なのか 一万円を渡しました。

突っかえすこともなく 受け取った その時の自分を 暫く許せなかったことも 思い出します。

なんにも考えられず
ただ 握らされるまま 受け取っただけなのですが とても弱者になった気がして、たまらなく嫌でした。

その一万円を どうしたかは覚えていません。


その後 祖父母の家に帰り、
祖父母は 起きてくれていて
母の様子を聞いてくるのですが
答えられることはなく、
そのことを どう話していいのか わからず
できることなら 気持ち悪いので 記憶ごと消したかったので 喋りたくもないという感じです。

どんなふうに
話したのか 覚えていません。

その後 眠ったのか 眠れず
話したのか 覚えていません。

大きなことがあると 暫く 把握できないことあるけど そういう感じだと思います。

あれは 夢だったのかな、なんて 思います。


翌日は 休日だったのか
わたしが学校を休んだのかも 覚えてないのですが、
義父から 話を聞いたであろう母が やってきます。
心配してきてくれたのだとは思いますが。

なんとも 陽気に、
「みぞちゃあん、ついていったらだめやーん」
と笑ってます。


なんだこいつ


それが その時のわたしの すべての感想です。
憎悪に似た感情。
初めて わたしの中から 現れた感情です。




未遂だったにしても
思春期の女子には 相当 ショックな出来事でした。

まだ 更に いろんな事が起きます。


そして、わたしは どんどん強くなります。
そんな大人を全否定していく気でした。
強いだけではなく、
優しさは なにがあっても 落とさないように、
傷だらけでも ひとりで 自分をやっていってやる、と 思うのでした。

時折 自死したい気持ちに駆られながらも
ここまで 生きて

今は ちゃんと こころが幸せです。
自分でいられることが幸せです。
自分のプロです。
わたしの生き方、好きな道は 自分がよく知っています。


たのしいんです。いまは。


だから 『生い立ちパズル』が書けています。外に出してあげたいなぁ、と思っています。
むかしの頑張ってくれた自分たちを。









  𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?