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わたしの家族 チョロ松

子供の頃 白い手乗り文鳥を飼っていた。


わたしは
小さい頃から 殆ど ひとりで家にいた。
夜は 母は小さなスナックをやっていたし
父も仕事でいなかった。

物心ついたころから ひとりだった。


あ。
今日はその話ではない。
わたしの家族のチョロ松の話だ。

チョロ松と初めて会ったのは
わたしが 小学生3年生頃。
両親は離婚はしてなかったが
それぞれ 家庭を持ち(また機会があれば書きたいです)
わたしは 母方の祖父母の家で育てられることになった頃だったと思う。

はっきりした記憶があまりないけど
チョロ松が わたしの心の支えであったことは 間違いない。

「チョロ松」という名前は
父がつけたもの。

今思えば
チョロ松は とても賢い鳥だった。

家の中で わたしがいる時は 放し飼いしていた。
祖母の肩にも乗るんだけど
わたしが呼ぶと
必ず わたしの元に飛んできた。

肩に、膝の上に、
時には 頭の上に。

狭い家だったが
いつもいっしょについてきた。

メロンやスイカの果物の汁が好きで
よく一緒に食べた。

チョロ松は 本当に美味しそうに
嘴ですくって くいっと上向いて
果物の汁を飲んでいた。

チョロ松がいれば
気持ちは癒されていた。




わたしは、チョロ松との信頼関係を 心から信じていて
試したくなったのか、
今では わからないが

ある日、ふと
チョロ松と
外に出た。
「大好き」と チョロ松に頬ずりして
そっと チョロ松を包んでいた手を開いた。


チョロ松は 空高く飛んだ。
青い空を高く、
飛んだ。

小さくなるチョロ松の姿を見て

綺麗だな、と思った。

それと同時に
怖くて怖くて どうしようもなく怖くて
思い切り
「ちょろ!」と呼んだ。

チョロ松は 近所の家の三階部分の屋根に
止まって
わたしを見てる。
あちこち周りも見渡しながら
わたしを覗き込んでる。


…帰ッテコナカッタラドウシヨウ…


もう1回 大きな声で
「ちょろ!!」と呼んだ。
泣きそうになりながら
祈りながら。


チョロ松は 
どこにもいかないよ、って
当たり前のように
わたしの手元に降りてきた。

涙が溢れ出た。

泣きじゃくって
チョロ松を大事に 手で包んで
家の中に入った。



何故 あんなことをしたのか 今でもよくわからないけど
チョロ松との心の繋がりの深さを感じたわたしは
心から チョロ松に感謝して
何度も
「ありがとう」を繰り返した。



ずっと愛を信頼できる存在がなくて
今でも 動物や自然たちとの繋がりの方が強い気がします。


マクロやミクロの世界がもともと好きで
ようやく今は 
何にも揺るがない自身を 掴めた気がしてます。
(まだそんな気がするだけでしょうけど)
それは
いろんな出会いから
紡がれたものだと思ってます。


今回は 真っ白な文鳥、チョロ松との話を書いてみました。

まだまだ書きたいことあります。

ゆっくりと書いていければ、と思います。



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