生い立ちパズル④ piece:母との別れ
父を迎えた3人家族の暮らしは 散々なものでした。
父は殆ど 家にいません。
たまにいると、
両親の大喧嘩が毎回、始まります。毎回です。目の前で 人が人を殴る蹴るの暴力。
ひとりで絵本を読んだり(当時のお気に入りは『バンビ』『ジャングル大帝レオ』『人魚姫』)、 絵を描いたり、玄関に置いてある水槽の熱帯魚たちを眺めていたり、そうしている時間に 突然 それは始まります。お昼寝していても始まります。
大きな音
何かが壊れる音
言い争う声
暴力を振るう音
胸が きゅううっと圧迫され、窮屈になって 呼吸の仕方忘れるような、心の肌にとげとげした破片が突き刺さるような鈍い空気が部屋を覆います。
チリチリした痛い部屋。
お皿もレコード盤もわたしの目の前で飛び交い 父は母の髪の毛を掴み、引っ張りあげ、引きずり…。
なんとも言えない光景です。
怖いと感じる間もない。ただ 呆然と それを見つめる。
恐怖を越えています。
そうすると 物音を聞き付け、隣りに住んでいる知人の家族が 入ってきて わたしだけを連れ出します。静かになるまで その家でいることになります。
怖い音が落ち着いて 帰ると 父は既に家を出ていて、家の中は物で散乱し、母の顔には 父に殴られたであろう痣が、赤くなっています。髪もぐしゃぐしゃになっていて そのまま座って 母は 笑ってるのです。
母は気の強い人でした。
こんなことの繰り返しの中、感じたのは 誰もわたしを見ていないということ。それは 強く感じました。
そして、『もうひとつ』のわたしの中にいるものが 一緒に見ています。
『もうひとつ』のことを書いています。
よかったら 覗いてくださると嬉しいです。
ある時、また ぞわっとする 嫌いな音と共に それが始まり、父が母を殴ろうと 拳を挙げた瞬間に 幼いながら 我慢できず、
両手を広げて
「やめて!ママを殴るんなら わたしを殴って!」と 前に立ちはだかったんです。
父の拳がぶるぶる震えて 堪えていたのを覚えています。
父はそのまま ゆっくり手を振り下ろし さっと服を着替え、外へ出ました。
子供ながらに 暴力を許せませんでした。それをただ見ているしかないのが嫌でした。
その時 殴られていたとしても 怖くはないし 更に立ち向かっていたと思います。こてんぱんにやられたとしても。
家族が 一緒にたのしくいる時間なんてなかったです。(一度だけ 隣りの知人家族と うちの家族と 他何人かで 旅行したことあります。一度だけです。)
残念ながら 記憶にはない。写真に残っている家族写真での記憶。
小学校に通い始めてからも 母は 夜の仕事で 朝起きれず、毎朝 学校遅刻です。タクシー呼んで 毎日 タクシーで通学です。
変でしょう、学校にタクシーで通学なんて(笑)
父の怒鳴る時の声が嫌で そのせいか 人が怒る姿は 今でも苦手です。苦手と言っても 怖くて縮こまるというのは 子供の頃 多少 ありましたが、大人になってからは ひたすら ちょっと冷静に見てしまいます。
大きな音、眩しい光、苦手です。
だけど 経験を重ねていくと 特になんとも思わなくなりました。
なので、『苦手でした』かな。
すべてが、なくてはならなかったものと思っています。自分のプロになるために。
わたしが 母を守らなきゃ、と思うようになります。
だけど、ある日、母は わたしを祖父母の家に預けて 「必ず 迎えに来るから」と言い残して 家出をするのでした。
わたしは、小学三年生でした。
小走りに荷物を持って小さくなって行く母の後ろ姿を 泣きながら見ていました。
あの光景も 今でも鮮明に記憶に残っています。
そして、わたしは 母方の祖父母のうちでの生活が始まります。
はっきり覚えてないけど 寂しい気持ちでいたと思います。
ただただ、その前から 大きな使命感と 孤独感はセットで わたしの中にはありました。
祖父母の家での生活が始まった後も ジョニーは、毎日会いに来てくれました。(『柴犬ジョニー』で書いた大切な家族です)
わたしは その頃 自分ではよくわからないんだけど、夢遊病にもなっていて 祖母が言うには、夜中 ひとりで目は開いてるらしいんだけど 呼んでも 聞こえないようで 人形で ひとり遊びをしていたそうです。(祖母は怖かっただろうな)
これは わたしの中の『もうひとつ』の視界で見てます。覚えています。
一度、昼寝していた時、いなくなった母の夢を見たようで、飛び起きて 裸足のまま 泣きながら外へ飛び出し、たまたま家の横を通っていた女性を追いかけて
「ママーママー、行かないでー」
と泣いてたそうです。
祖母が 「夢だよ」と 間違えた女性に謝りながら連れ帰ったらしい。
これも『もうひとつ』で覚えています。
それから すぐに迎えに来るんだと思っていた母には、数年会えなくなります。
毎日毎日 今日は会いに来るか、迎えに来るか、と待ちわびるわたし。
そのうち、ジョニーもいなくなり、会えなくなり。母も わたしに会いに来ませんでした。
ずっと 母が迎えにくることを信じて待ちながらも 少しずつ、新しい生活に慣れていきます。
祖父母の家も、喧嘩はなかったものの、祖父は殆ど 家には帰らず、ほぼ祖母との二人暮しの寂しい暮らしとなるのです。
でも、それが基本になると それが普通になっていく。可哀想なんかではありません。孤独ではあったけど、これを書いてる現在、こういうことすべてが なくては 今 感じている心の絶景はなかったと思うのです。
𝓽𝓸 𝓫𝓮 𝓬𝓸𝓷𝓽𝓲𝓷𝓾𝓮𝓭