命の河の時間
どーどーどーどー…
どーどーどーどー…
はたと気づけば 認識すらできないほどの大きく果てしない河の中に 命はあった。
人間に限らず 自然の生命たちは 同じ河の中にいて
それぞれが居る場所により 流れは変わり、速くなったり 遅くなったり、また 一時は 止まっているかのように見えたりする。
そんな時間の中で いっしょに流れている。
すべての命の時間は まさに 河である。
同じ時間の中で 気づく余裕もないほどに 大きな大きな宇宙のように 流れている。
生きているわたしたちは みんな何一つ漏れず この星の細胞みたいなものかもしれない。
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わたしは 今年、3年前に 罹った卵巣がんが再発しました。
他人事のように いろいろと話が進んで 8月から 抗がん剤治療を受けています。
納得する間もなく、よく考えて選択することもできず、淡々と 目の前のことが進んでいきます。
だいたい再発したら この流れというのがあって それが後々 自分が生きたい道となるのかどうなのか 確信のないまま なんとなく 周りにもすすめられて 選択している感じです。
といっても 決めたからには 文句なしで とりあえず 前向きにやろうという気持ちには変わりありません。
ここ暫く 感じたそのままを 書いてみようと思います。
目で見えている景色と、目では見えないけれど 感じる景色、いろんなところで 微かな変化が現れました。
微かだけど とても大きく変わった気がします。
初めての抗がん剤治療は 一日入院にて 行われました。
入院する前から 今までに味わったことの無いお腹の張りがあり、強い便秘で 苦しかったのです。
入院したら ついでに そのことも医師に話せるし 翌日 退院する時には きっと 楽になってるなぁ、なんて 呑気に楽観的に 考えていました。
一日だけの入院治療は 特に何もなく終了し、帰りに 担当医に お腹の張りのことなど 相談したのですが あまり聞き入れてもらえず 特に診察もなく、わたしが 強くお願いしたため 下剤を少し処方してくれたけど それだけで帰宅しました。
これには 少々 不満がありました。
が、それも仕方ないか、と思い お腹は苦しいままだったのですが 暫く 家で 様子を見ることにしました。
抗がん剤の副作用は 毎回 微妙に違いがあります。
初回のこの時は 治療後 数日は なんともなかったのですが 4日目くらいから 酷い味覚障害が出てきて 刻み海苔をたまたま 食べたら グシャグシャっという感覚があり、 食べてはいけないもののような、針金が口の中に入ってるような感じでした。
なんだこれ… と思いながら 味わったことない感覚なので 半分 面白がったりしていました。
味覚障害は なんとかなるものの、
お腹の張りは 相変わらず辛く 日増しに きつくなりました。
とうとう夜中に我慢できなくなって
病院に連絡して タクシーで 行きました。
立ってるのも辛くて 病院に着くと その場でうずくまってしまいました。
なんとか 自力で 踏ん張って立ち上がって 長椅子に座ったものの、やはり 普通に座っているのが難しくて 椅子に倒れるように横になっていました。
夜間でも 数人の患者さんが待っていて そこにも順番があります。
その時のわたしは 我慢しなきゃと思うけど 我慢をしていると 意識も朦朧としかけて とにかく 堪えることだけに集中しました。
自分の中では かなりきつくて辛くて 堪えきることができるかな、という不安があったのですが、ふと思いました。
みなさん しんどそうではあるけど 普通に座っていて ぐったりとなっているのは わたしくらいでした。
このしんどい中で あとから もっと辛そうな人が現れたら わたしは すんなりと順番を譲る気持ちになれるんだろうか。
早く診てほしい、処置してほしい、と 心の中では思っていたので もしそういう状況になったら わたしはどうするんだろう。
なんて思っていたら
すぐに呼ばれました。
身体は 限界が来ているのに 何故か 考える余裕があります。不思議です。
すぐにCTを撮って 画像診断してもらって その場で できる処置をしてもらいました。
結局、がん細胞のひとつが イレギュラーな成長をしていたのが原因だったようです。
細胞の内側で 出血していて それで 物凄い速さで 成長していて 腎臓に負担をかけていました。
翌日 担当医に診てもらって
外来で そのがん細胞に 針を入れて 排液を 何度も取りました。
『こんなにイレギュラーな成長してると思っていなくて 大変でしたね、すみませんでした』
そう担当医が仰いました。
この頃には そのひとつのがん細胞が もとの大きさより 3倍くらい成長していて とうとう排泄全般できなくなっていました。
なので、尿管カテーテルをつけて 暫く過ごしていました。
排泄ができないことを考えたことがなかったのですが、とにかく 辛かったです。
外来でも 待ち合い室で座って待つことができず そこにいるだけで精一杯。
長椅子に 倒れ込むようにして 座っていました。受付の方が声をかけてくださって 途中から 車椅子で 連れて行ってもらったり 診察室の奥にあるベッドで 休ませてもらったり。
こんなに大変だったのは 初めてです。
外来で 何度か 廃液をとってもらったおかげで 少しずつですが 体調もましになってきました。
抗がん剤治療が始まって 初回でのことだったので 治療が始まるのが もう少し遅かったら どうなってたんだろう、と ぼんやり思ったりしました。
担当医が
『んー… 排泄も ちょうど イレギュラーな成長しているがん細胞のひとつが 通りを邪魔していたのですが お薬は効いていて 小さくなってるものもあるので がん細胞が成長するのが速いか、薬が効くのが速いか、というところです。しんどいですけど 何度か廃液をとって お薬がんばっていきましょう』
と説明してくださいました。
家に帰って いろいろ自由に考えていると、今 わたしが苦しんでる原因になったがん細胞たちも はじめは わたしの体内にある、至って 普通の細胞のひとつだったんだよなぁ。
よそから 突然 現れたわけじゃない。
いろんな体内の環境の変化とか 様々なことがあったんだなぁ。
がん細胞って 家庭や環境に 逆らって 暴れている子供みたい… ふとそんなことを思いました。
わたしは 抗がん剤治療を受けながらも がんと闘ってる気持ちがありません。
どちらかというと 抗がん剤がきついので その副作用と闘ってる気持ちです。
もちろん それががんと闘ってることになるのかもしれないけれど 少し 違う気持ちがあります。
死ぬということも
わたしにとっては 『命の卒業』で 抗う気持ちが 特にないのです。
そのまんまを受けいれて
そのまんまの、知らなかった景色を ゆっくり静観しながら 自然の流れを見ていたいというか。
元気にはなりたいんですけど…
ちょっと いろいろ思うところがあるのです。
今は 5回目の抗がん剤治療も終わり、残すところ 1回となりました。
様々な副作用があって その度 寝込んでいて わたしの副作用は 末梢神経に 強く出てるので 全身の痛みと手足の痺れがあり、歩行が 少し難しくなりました。
回を重ねるごとに どんどん歩けなくなります。
それでも 無理して歩くのですが
体力も全体的に落ちていて 以前は 数時間歩くのが楽しかったのに 今では すぐ近所の片道10数分のコンビニでも 息切れはするし、足を引きずるようにして歩くようになっています。
しんどーい…と思いながら
道端のお花に目をやると 花や葉が
『こんにちは』
『がんばれ』
なんて声をかけてくれてるように 感じて
「うわぁ、ひさしぶり。ありがとう」って 心から思います。
近寄って ふふふふ、と花たちと笑い合って 通り過ぎます。
やっぱりいいなぁ、外の景色は。
気持ちいい。
身体が痛いながらにも、感じるものは 感じられるのです。
抗がん剤治療が始まって がん細胞が大きくなっていて、身体を動かしづらくなった時、何か 大きなものが 暴れだしそうなイメージを わたしの内側で感じました。
というのも ちょうど 大型の今まで経験していないほどの台風がくるとか、南海トラフ巨大地震ニュースが出たんですが
あれ?なんかおかしいぞ、という感覚があったんです。
その辺りに ふと気になった友達 ふたりに連絡をしたところ
ひとりは ピースメーカー埋め込む手術が決まったと言い、
もうひとりは いつも元気な友達なのに
連絡したその日に
『今から頭の手術』と言い、
えっ?と 驚くばかり。
でも それをなんとなく察知したんだろうなぁ、と思いました。
心配はしたものの 大丈夫と思ったので なんだか変な気持ちはしたけど 友達のこれからを信じよう、と思いました。
ふたりとも 今は 手術も無事 終えて 元気にやっているようです。
そういうことが重なったからなのか、それとも 関係ないのかわからないけれど
わたしの内側で 龍が現れた感覚があったんです。 龍が 何かに驚いて 暴れて地面が割れていくようなイメージがあって
わたしは その龍に 必死で 「鎮まれ鎮まれ」と心の中?魂の中? どこなのかわからないまま 感じるものに 恐さを抱いたので 真面目に真剣に 龍を抑えました。
ところどころ 緑なのか青なのかが光ってるような、全体的には白い龍でした。
目には見えない景色の話です。
そこから 見た目 全く変わっていないようで わたしの生きてる時間が流れる場所が大きく変わりました。
うまく説明できないのですが、
現在 抗がん剤治療していて 全く知らなかった景色を目の当たりにしてる感じなのですが それだけではなく、自身の考え方、感じ方も そこは大きくは変わらないけれど 知らない景色や現状を見ることで 知ってることだけで出来上がっていた自身の世界が 大きく広く開かれて、
この世は知らないことだらけなのだ、と思い知らされました。
龍が暴れてくれたおかげで 新たな道が繋がった気もします。
もう、こわくないよ。
ただあることを 自分の目で見て 耳で聞いて 心で感じて 触れられるものは 自分の手で触れていくだけだから。
命あるもの みんな死にいくのだ。
そんなことも 教えてくれた気がします。
真実を知りたいというわけでもない。
でも もう少し ゆっくりスピードで 丁寧に、記憶に残していきたいのです。
そうしながら
また わたしは 自分が苦しい時に 他に苦しい人を お先どうぞと 笑顔で 先に診てもらってください、なんて言える人間なのだろうか、と考えるのです。
その答えは そうならないとわかりませんが 譲れる人だといいなぁ、と なんとなく思います。
龍を抑えた時(個人的に そんな印象があるだけです)、感じたことは
わたしが見ているこの世界は わたし自身が目を閉じない限り 終わらない。
わたしが生きてるうちは わたしの世界は続くのだ。
他の人の世界と わたしの世界は 似てるところもあれば 全く違うところもある。
交わるところもあれば 永遠に交わらないこともある。
人それぞれ 祈る神は違っているのも 不思議だと 思っていたけれど
そう考えると 真実も 人それぞれ違ってくるのかな。
起こる出来事によっても
それぞれ立場も 性格も違うから いろんな見方があって いろんな感じ方があって そこで 摩擦が起きるのも仕方がないのだなぁ。
仕方ないけど お互いに 譲り合って 解決していく方法は きっとゼロじゃない。
時間やタイミングにもよるだろうけど。
わたしのこれから先が どうなっていくのかは 分からないけれど、
怒り狂いそうになる龍を なだめて抑え、そのまんまを見て 状況をよく考えて 悔いのない決断をし、
それでいて のんびり自分の時間で 生きたい。
命の河には 大きな岩があったり、
流れが急な場所や
ゆっくり流れる場所があったり、
日陰もあれば 日向もあって
それぞれの悦びや苦悩があるのだと思うけど 河は 絶えず流れを止めることがないから 変わらないことに ひがんでしまっても ずっと変わらないことなんてないのだろうと思います。
悦びに影りが見えても また同じ。
それもまた流れていくのだから
そのことを 知って なるべく 嫌な顔は見せずに 先に進むことが 命の道の救いになるのかなぁ、なんて 思うようになりました。
これは、今まで 経験してきたどれもが わたしの種になっているからなんだと思うのです。
抗がん剤治療は あと1回なのですが 次は 点滴の抗がん剤の効果が見られているということで 維持療法が始まるようです。
抗がん剤治療終わるー、やったぁ!と思っていた矢先に 説明されたので ちょっと がっくーんとなりましたが とりあえず
がんばってみようと思います。
わたしが BRCA(遺伝子異常)患者なので その患者に効くと言われている抗がん剤の飲み薬を 約2年飲むことになるようです。
この抗がん剤もまた副作用がきついようで 話を聞いていると やる気がなくなってしまいます(笑)
もうがんばるの休みたい… と 思ったりもするのですが 始める前に 担当医に 聞きたいことを まとめて いろいろ聞いてみるつもりではいるのですが 恐らくがんばるしかないんだと思うので すんなりいうこと聞いときます ·͜·
さて、まだまだ どんな景色が待っているのでしょうか。たのしみです。
なかなかnoteに来れませんが 感じてることを そのまま書くのが好きなので まだ書きたいのに書けていない話もありますし、家で寝ている間に ちょこちょこ書けるといいな、と思っています。
なっがーいなっがーい『わたしの考えてること』でした⑅
最後まで 読んでいただいてありがとうございます。