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現代日本で「就労請求権」が認められる場面【地方独立行政法人市立東大阪医療センター事件・大阪地裁令和4年11月10日決定・労判1283号27頁】

本来、労働契約とは、労働者が使用者の指示する時間・場所において指示する内容の労務を行い、その対価として賃金の支給を受けるという契約です。
すなわち、労働者にとっての労働とは義務であって権利ではありません。

そのため、日本の労働法の世界では、基本的に使用者に対する「就労請求権」は認められないものとされています。

しかしながら、自らの資格を維持するために一定の実務経験が要求される職種の場合も同様に考えてよいか?

今回は、そのような点が問題となった事例として地方独立行政法人市立東大阪医療センター事件(大阪地裁令和4年11月10日決定・労判1283号27頁)を取り上げます。

どのような事件だったか?

本件は、債務者によって運営されている大阪府立中河内救命救急センターにおいて勤務していた医師である債権者が、債務者による地方独立行政法人市立東大阪医療センターへの配転命令が無効であるとして、①東大阪医療センターにおいて勤務する労働契約上の義務がないことを仮に定めるとともに、②中河内センターにおける就労請求権を前提に、同センターにおける就労を妨害しないことを命じるよう求めた仮処分の申立て事案です。
裁判所は債権者のいずれの申立ても認めました。

認定された事実

裁判所が認定した事実は以下のとおりです。

債権者の配置転換までの事実経過

  • 債権者は外科専門医及び救急科専門医に認定された昭和48年生まれの医師

  • 債権者は、平成26年6月から平成29年12月まで中河内センターにて(平成28年4月以降は部長として)勤務し、平成30年1月から平成31年3月までHセンターH1センターにて副部長として勤務した後、債務者により割愛採用(公務員が他の自治体等に籍を移すこと)され、平成31年4月から令和4年3月まで再び部長として勤務

  • 債務者は、東大阪市が設立した地方独立行政法人であり、東大阪医療センターは二次救急医療機関(全身状態が安定している患者等への救急医療を行う)

  • 債務者は、指定管理者として、東大阪医療センターに隣接する中河内センターを運営。中河内センターは中河内医療圏地域内唯一の三次救急医療機関(重度外傷、脳卒中、多臓器不全、中毒、熱傷、各種ショック等の二次救急では対応不可能な全身状態が不安定な重篤患者や特殊疾病患者への高度な処置や手術を行う)

  • 中河内センターの医師の定員数は19名。令和3年当時の常勤医師数は11名(所長を含む)。また、同センターは集中治療室(ICU)を有していることから集中治療室専従の1名と救急外来に対応する1名の最低2名の医師が当直として必要となる

  • 令和2年3月に中河内センターの所長にJが就任。その後、J所長がに新型コロナウィルス陽性患者を人工呼吸器から離脱させる際にPCR検査による陰性確認を行うことなく離脱させる方針に変更しようとしたこと(同年4月頃)、債権者らに諮ることなく、購入予定であった人工呼吸器の機種をそれまで一度も使用したことのない機種へと変更しようとしたこと(同年6月頃)などをめぐって、修復困難な対立が生じる

  • 令和3年7月20日、債権者が医局会において労働契約書が交付されていないことや三六協定を締結する労働者代表の選出方法に問題があることを指摘

  • 令和3年7月30日、債権者が大阪府と東大阪医療センターコンプライアンス委員に対し、J所長とその指示を受けたL医師が、交通事故で中河内センターに搬送された患者に関する保険会社や警察からの照会について、飲酒運転であることを隠ぺいする虚偽の内容を記載した回答書を作成するなどしたことを報告

  • 令和3年7月28日から同年9月30日までにかけて、債権者が、看護師に対して「死ぬ、もうあかん、頭おかしい」などの発言を行ったとしてパワハラの調査を受ける。調査報告書には対象の看護師が「口が悪く思ったことを発言する先生であり、(中略)きちんと対応してほしいとの思いがある」、「先生の医師としての力量は尊敬できるし、現場においては安心できる先生である。中河内センターには必要な先生であると思っている」などと述べた旨が記載される

  • 令和3年12月28日、債権者、債務者より同年3月29日に呼吸管理を要する患者の治療において、必要性や緊急性がないにもかかわらず人工呼吸器をスタンバイモードに切り替えて呼吸困難状態とするなど不適切な治療を行ったことを理由に戒告の懲戒処分を受ける

  • 令和4年3月18日、債権者、債務者より東大阪医療センター救急科への配転命令を受ける。これに先立ち、中河内センター所属の常勤医師8名が、債権者は中河内センターに欠かせないメンバーであり、同センターから異動した場合、三次救急としての機能が著しく低下し、慢性的な人員不足も助長されるので配転を再検討してほしいとの嘆願書が出される

  • 令和4年3月31日、J所長退職。同年4月1日、債権者が配転命令に基づき東大阪医療センターに異動したことで中河内センターの常勤医師が8名に減少する

  • 令和4年4月1日、債権者、東大阪医療センター救急科に配転される。債権者は異議を留めつつ同センターの外科救急担当部長として勤務

  • 令和4年4月以降、債務者は中河内センターについて常勤医師の求人募集を行う

配転後の債権者の稼働状況

  • 債権者は、Hセンターに在職していた平成30年1月から平成31年3月までの1年3か月間で、NCD(National Clinical Databaseの略。一定の要件を充たす手術が登録されるものであり、過去5年間にNCDに登録された100例以上の手術に従事することが外科専門医の更新要件とされる)に登録された件数だけでも104例の手術に従事

  • 令和2年1月1日から令和3年12月31日までの2年間でNCD に登録された手術108例に従事

  • 令和4年4月1日の配転以降は、配転先に常勤医師がいないため、トリアージが業務の中心となり事実上手術を行うことができなくなる

  • 配転以降、令和4年10月3日までに債権者が従事したNCD登録可能な手術は3件に止まる

裁判所の判断

裁判所は、以下のとおりの理由を述べて債権者の申立てをいずれも認めました。

勤務場所を外傷・救急外科医に限定する合意の成立が認められるか

  • 債権者は、中河内センターに割愛された平成26年6月以降、5年弱にわたって三次救急である中河内センターやHセンターで部長などの役職を歴任するなど、一貫して救急科の医師として稼働していた

  • 債権者が割愛されたのは、当時の中河内センターの所長から、債権者の重症救急医療に関する技能や経験を有することを前提として、三次救急たる中河内センターの医師不足等を補うようにとの要請を受けたからである

  • 中河内センターから東大阪医療センターに本人の同意に反して異動を命じられた医師の前例がない

  • これらの経緯や債権者が従事してきた医師業務の内容、配置転換の実情からすると、「債権者が平成31年4月に中河内センターに割愛されるに際し、債権者と債務者との間で、勤務場所を中河内センターとし、勤務内容を外傷・救急外科医としての業務に限定する合意が成立したものと推認するのが相当」である

  • したがって、債権者に対する配転命令は、勤務場所・勤務内容限定合意に反するものであるから、その余について判断するまでもなく無効というべき

本件配転命令は権利濫用に当たるか

  • 仮に、申立人に対する配転命令が不可能ではないと仮定しても、「少なくとも債権者が中河内センターに割愛されるに当たっては、中河内センターで外科医・救急科医として勤務することが想定されており、債権者もそのような前提で割愛に応じた」のであるから、「債権者が中河内センターで外科医・救急科医として勤務できるとの期待は十分保護に値する」。そのため、そのような期待は「本件配転命令の権利濫用該当性を判断するに当たっては、上記期待の存在を十分考慮することが必要である」

  • 配転命令が権利濫用となるのは、「業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存在する場合であっても、当該配転命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき、もしくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合」に限る(最高裁昭和61年7月14日第二小法廷判決・東亜ペイント事件)

  • 本件では、債権者の言動について2件のヒアリング調査が行われているが、「債権者の言動に問題があったものだとしても、その問題性は必ずしも大きいものとはいえず、他の職員らとの関係の悪化の原因が主として債権者の不適切な言動にあるとも認められない」

  • また、「現在も中河内センターにて勤務している複数の医師や職員らが、債権者が中河内センターに復帰することを強く要望」していること、「元々医師数が不足していた中河内センターにおいては、令和4年3月31日付けで医師1名が退職するとともに、本件配転命令により債権者が異動したことによって医師の人員不足に拍車がかか〔り〕・・・かえって職場環境が悪化しているおそれすらあることにも照らすと、・・・基本的に中河内センターで外科医・救急科医として勤務することが想定されており、そのような期待を有していた債権者を、その意に反して中河内センターから東大阪医療センターに異動させることを肯認し得るような業務上の必要性があると認めることはできない

  • さらに、「債権者は、過去5年の間にNCDに登録された100例以上の手術に従事していることを更新要件とする外科専門医の認定を受けている」ところ、「このままの状況が続けば、債権者は、今後予定される外科専門医の資格更新に必要な数の手術に従事できないおそれが相当あるといえる」

  • 加えて、東大阪医療センターにおける業務にそのまま従事せざるを得ないとすると「通常の外科や二次救急においては経験し難い外科手術を要する外傷症例等を経験したり、診療科を横断した主義や高度な手術を実施したりする機会を喪失することは明らか」というべきである

  • 以上のとおり、「現在の状況が続けば、債権者は外科専門医の資格更新に必要な数の手術に従事できないおそれがあること外科医、救急科医としての技能、技術については、日々臨床の現場において患者に対応し、処置や手術を行うことによってこそ維持されるものと推認できること・・・に加え、・・・債権者は、三次救急たる中河内センターにおける勤務について保護すべき期待を有していることなどを勘案すれば、本件配転命令により債権者が被る不利益は、通常甘受すべき程度を著しく超えるものと認定することができる」

  • したがって、「本件配転命令は、配転命令権の濫用にも当たるから、いずれにせよ無効である」

中河内センターでの就労請求権を認める必要性

  • 就労請求権については、「当該雇用契約等に特別の定めがある場合、又は業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有するなどの特段の事情がある場合」を除いては認められない。

  • また、「保全の必要性が肯定されるのは、仮処分を命じなければ、債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けることができない特段の事情が認められる場合に限られる」

  • その上で、債権者については、それまでの経歴や中河内センターに割愛された経緯、そして東大阪医療センターでの勤務を余儀なくされる場合の不利益に鑑みれば、「中河内センターにおける労務の提供について特別の合理的な利益を有する」

  • また、「債権者の就労先を明確にしておかなければ、関係職種を含む医療の現場における不安や困惑を招来しかねず、ひいては十分な連携が図られないことが強く懸念される」

  • したがって、本件の債権者については「中河内センターにおいて就労する事への妨害を禁じることにより、債権者の就労先が三次救急たる中河内センターであることを明確にした上で、中河内センターでの就労の機会を確保することが是非とも必要というべき」であるから、上記の特段の事情が認められる

決定に対するコメント

結論、理由付けともに賛成で説得的であると感じました。

今回の決定については、「配転前の職場での就労請求権」が「仮処分」手続で認められた点に大きなインパクトがあります。

先にも述べたとおり、労働契約とは使用者の指揮命令する労務に従事する対価として賃金の支給を受ける契約であるため、通常、労働者側には使用者に賃金を請求する権利しかありません。
そのため、裁判において就労請求権が認められることは極めて稀です。

しかも、仮処分は、迅速性の観点から十分な立証を経ないで一定の権利を仮に実現するものであることから、前例に乏しい就労請求権を認めることは一層例外的な事態ということになります。

それでも今回の「配転前の職場での就労請求権」が「仮処分」手続で認められたのは、一定の手術実績がないと債権者の外科専門医の資格を剥奪されるという極めて重大な不利益が生じる具体的危険があったからであると考えられます。

すなわち、今回の決定の認定によると、債権者は5年間で100件以上もの手術を経ない限り、外科専門医の資格の更新ができないということになります。
そして、それまでのキャリアのほとんど全てを外科・救急科を専門としていた債権者にとって、そのような事態は自らの将来の収入獲得手段を大幅に制約されることにつながります(仮に医師の資格自体はあっても、外科専門医であるか否かによって待遇に大きな差が生じることは容易に予想されます)。

そうすると、債権者としては、仮に民事訴訟の場によって「配転の無効」と「配転後の職場における就労義務の不存在」を勝ち取ったとしても、それだけでは手術実績を前提とした外科専門医の維持には何の意味もないため、将来の収入手段を維持するためには何としても「配転前の職場における就労請求権」を「仮処分」で認めなければならないということになります。

このように、本件では「5年間に100件以上のNCD対象の手術実績」という実務経験の有無により外科専門医という極めて専門的な職業の命運が決まるという事例の特徴から、「配転前の職場における就労請求権」を「仮処分」で認めたということができそうです。

また、本判決は、この就労請求権の結論を導くに当たり、①債権者には三次救急病院たる中河内センターの外科医・救急医としての職種・勤務地限定契約を認め、②仮にこれが認められない場合でも業務上の必要性の不存在+重大な不利益を理由として配転は権限濫用であるとのロジックを用いています。

このように、専門性のある職種における配転無効事件では、①まず職種限定契約を主張し、②仮に職種限定契約が認められなくても配転の権利濫用を争うという手法は、仮に職種限定契約が否定される場合でも、裁判所に対して「配転の可能性が低い労働契約」であるという印象を与え、配転の権利濫用の場面で「業務上の必要性の不存在」や「重大な不利益」そして「不当な動機・目的」を浮き彫りにできるため、労働者側弁護士としては今後の訴訟戦略を組み立てる際にも参考になると感じました。

最後に

以上のとおり、今回は就労請求権を仮処分段階で認めた非常に珍しいケースとして地方独立行政法人市立東大阪医療センター事件を紹介いたしました。

今回の事例は、外科専門医という極めて専門性の高い職種に対する職種・勤務地限定契約や就労請求権の成否が問題となりました。

しかしながら、近年話題となっている「ジョブ型雇用」では、今回の事例ほど専門性の高い職種でなくても、労使の合意によって労働者が担うべき職務・業務が具体的かつ詳細に定めることが想定されます。

そうすると、今後「ジョブ型雇用」が広まり、かつ、ジョブの継続のために一定の実務経験を前提とした資格が必要という場合には、今回の事例が有力な先例となるかもしれません。

そのような意味で、今回の事例は新しい働き方の時代における配転のあり方についても考えさせられる意義深いものであったと感じました。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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