読書note3:『物語の役割』

『物語の役割』
著者:小川洋子
発行:2007年2月1日

物語構成の基礎的なものが身についていない私の現在は、勉強しながらネームを描いている日々です。
そういう時にはどうしても自分のできていないことや足りないことにばかり意識が行ってしまいます。
「こういうふうではだめ」「こういうのはよくない」「こうしなくてはいけない」に、とらわれてはいけない…と思いながらとらわれていました。

しかし、この本を読んで肩の力が抜けました。

「廃墟に立って浮かび上がってくる映像を観察する。じっと目をこらし、見えてくるものを描写する。人間の内面という抽象的な問題にとらわれず、目で観察できるものにひたすら集中する。そこから初めて、目に見えないものの存在が言葉に写し出されるのでは、と思っています」(本文中p.69より)

”人間の内面という抽象的な問題にとらわれず”
まさにこれは、自分に言って聞かせるべき、出会いたかった言葉だと思いました。
私は何をしようとしているのか、その最初の気持ちに戻ってこられたような気がします。

私は人間の心をとても大切にしたいと思っていて、なのでそういうことを丁寧に描いていきたいと一生懸命になっていました。
しかし、物語は私が生み出すものではないのだから、そんなことよりもまず、もっと自然体の自分で世界に立つことの方が大切ではないか。
そういう自分で、あの子の気持ちに思いを巡らせてみよう。あの子のそばにいってみよう。
今はそんな気持ちです。

きっと、出来上がらないということはいうことはないのだと思います。
完成させることができないから苦しいのではないのだということが分かりました。
できないやり方でしようとすることに苦しさがあるのかもしれません。
まだ自分の行けない場所にいきなり行こうとすることが苦しいのかもしれません。


小川洋子さんはこのようにも書いていらっしゃいました。

「私の今理想としている小説は、その小説のなかに出てくる登場人物が「ここにいるからね」と声を発して、小説の中の実在しない人物と現実にいる読み手が目配せを交わせるような小説です。
『お互いほんとうに現実を生きていくのはいろいろたいへんな、困難なことだけれども、とにかく僕はここにいるからね』『私もここにいるからね』と言って、声なき声で目配せを交わせるような作品を書きたい。」(本文中p.51より)

まさに私もそのようなものが描きたいと思いながらああでもない、こうでもないとやっています。
また自分自身も、そのようなもの達にたくさん支えられここまでやってきている、と感じます。


最後に。
私のこのnoteでは、作品として物語を捉えるような語り口に寄ってしまいました。
しかしこの本は、受け入れられない現実を誰もが自分の心の形に合うように転換しているもので、つまり物語は誰にとっても必要なものであり誰もが日々作り出しているのだ、というところから始まっています。


そのように、広い意味での「物語の役割」について書かれているため、多くの人に染み入るところのある本だと思いました。

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