Para: PAULO
愛が重傷である。
愛そう愛されようと必死に動き回る人々に遭遇した。
ここに嫌悪感を感じたのは、彼らは愛されようと行動しているのではなく、欲求、それは性欲に限らず、承認欲求、所属欲求…、様々である。
自身のエゴともいうべき”それら”を”愛”という都合の良い言葉に置き換えて、ただひたすら実現しようと奔走する。
愛の対象となる存在ことをどう考えているのか、ただ欲求の実現のためだけに利用しているに過ぎない。そう感じてしまってから、愛が汚い。
愛しているの拳を振り翳して、結果的に相手を傷つけている。
欲求を満たすために右往左往する人間は醜いと感じてしまう。そこが人間の本質であることは承知の上なのだが、その本質がつまりは動物臭い。
そもそも愛のような漠然とした、各個人によって定義が曖昧なものに振り回され続けるのが我々であるのだが、一方で、そんなものに”リソースを割く”必要がわからないと言っている、”意識高い”かつ”合理主義”な同世代の友人はひたすら嫌悪する。君も人間だよ。
愛とは何かなんて永遠の課題です。そもそもこの国に愛なんて概念は存在しなくて、西洋思想の一部だろ列強の押し付けだなんていう暴論を考え始めたところで思考を停止します。
お分かりだろうが、一見高尚なことを考えているようで、単純な事象を複雑なものとして論じているだけのことです。
しゃらくせえ。
そして、僕は美しき愛を目撃する。
僕の稚拙な考えは一瞬にして吹き飛ぶ。
2023年10月31日。
トレヴィの泉で多くの人々が目撃したその瞬間は、誰もが認める愛だった。
二人が出会ったのは2017年。
Para siempre.
永遠の愛を誓い合ったのはそれから6年と半年が経った日のことだった。
お互いの人生に寄り添い合った日々が出した答えだった。
それはPauloからOrianaへ。
そして、OrianaはPauloへ彼への想いを音楽に乗せた。
DE: Oriana
末長くお幸せに。
二人を愛する者より。
Orianaについて知りたい方はこちらもどうぞ。