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高円寺でのDerby

2019年3月。まだ家族は眠る4:15。
眠い目を擦りながら、僕は人生初のDerby della Capitaleを観た。あの試合に日本語実況が付いてたかどうかはもう覚えていないが、あのスタジアムの雰囲気。
赤と黄、水色の発煙筒合戦。いつもより多いイエローカードとレッドカード。ティフォージの声量。
これがサッカーなのかと、強い衝撃を受けた。

試合は記したくもない完敗であった。その後解任されたEDFはフロジノーネを指揮。DDRは今やローマの監督。彼の近くでプレイしていたLolloはカピターノ。
5年の月日が過ぎた。

あの時は、左手にスマホ、右手にモンスターで実家のベットの中。今は、多くのロマニスティと東京のスポーツバー。そんな日が来ようとは当時思ってもいなかった。よく知ったロマニスタは勿論、SNS上では知っているが初めて会ったロマニスタの方、そして何故か日本にいるイタリア人たち。

店に入って、イタリア人とビール片手に乾杯。か細い声でSalute。やっぱり日本人が出てしまう。

何となく試合前に口ずさんでいたRoma Romaも、大勢のロマニスティと歌えば身体が高揚する。これは、一昨年の国立競技場での合唱でも感じた。僕はローマ人でもましてやイタリア人でもないが、自分の血液はマジで黄色と赤色なんじゃないかと錯覚してしまう。

E la lazio merda, e la lazio merda, e la lazio merda

理由なんて野暮なこと聞くもんじゃない。Lazioだから嫌いなんだ。

因みにイタリア語を最近少しばかり勉強しているのだが、たまに試合中イタリア人がぼやいてる言葉が理解できた。成長を感じた。

Mancioのゴールが決勝点となり試合は終了。
彼のユニ着てくれば良かったと強く後悔。

Guidaが笛を吹いた瞬間、時間にが経つにつれてゆっくりと膨らんでいた風船が、勢いよく音を立て破れ、中に入っていたらしい大量の赤と黄色の水が溢れ出す。

イタリア人と肩を組んで喜んだ時、自分もローマ人になれた気がした。どこかでコンプレックスを感じてるのだろう。感じる必要があるのかは置いといて。

偉大なAlessandroがみんなにビールを奢ってくれた。
体も心もでっかい彼みたいなおっさんに将来はなりたい。格別の美味しさだった。Grazie Ale。
企画していただいたRCTの皆さんにも感謝です。

Twitter(現X)はローマのような日本にファンの少ないクラブにとって、ファン同士が容易に繋がることのできる貴重なプラットフォームだと思う。僕自身、Twitter上で親交が深まったロマニスタと、試合外でも交流することが多々ある。試合中に盛り上がるタイムラインは、自分が一人で観戦している訳ではないことを自覚させてくれる。

一方で、毎試合Twitterでボソボソと呟きながら観戦することの虚しさや違和感を最近感じることが多い。ゴール裏で声を枯らしながら、試合内容そっちのけで叫びまくる。ここにサポーターとしての魅力や意義、そして義務を個人的に感じてしまう。かくいう自分、ゴール裏での観戦経験はJリーグでさえも乏しいのだが、やはり自分の中で一番納得かつ腑に落ちる観戦スタイルである。残念なことに、僕の愛するクラブは日本から遠く離れたローマにある。毎試合現地に行って声を出すことは現実的に不可能だ。ぴえん。

次点で優先することは他人と観戦すること。
得点の瞬間、不快な判定、失点の絶望。様々な場面で他人とリアルタイムの喜怒哀楽を共有してこそ、得られる楽しさはある。その場にいる人間全員でRoma Romaを歌うあの空気は、そこにいなければ感じられない。いまだ行ったことのないオリンピコでの、Roma Romaの大合唱には及ばないだろうが。

ここまでだらだらと語ったが、結局言いたいのは、この前の観戦会良かったってこと。
一人ベッドの上でスマホ片手に試合観るより多分いい。
だから毎試合、誰かが観戦会開くような雰囲気になると多分最高。

人それぞれ色んな観戦スタイルがあることは勿論。
僕はみんなで観戦するのが一番好きかも。

Marco Conidiも言ってる、Mai sola mai。
今回の観戦会で改めて実感した。

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