水の空の物語 第5章 第44話
ふいに背後で、ドアがノックされた。
星夜が入ってくる。トレイにティーセットを乗せていた。
「うれしーっ。ありがとう。星夜」
「夕食前だけど、いいよな。……食前茶ってことにしよう。オレも聴いていいか?」
「もちろん」
ゆり音は両腕を広げ、全身で応える。
しばらくすると、月夜も入ってきた。
月夜はピアノの前にすわり、ゆり音とセッションを始める。
月夜は特に音楽が好きなわけではないが、なんでもうまくこなす天才なのだ。
二人は演奏を続けながら、星夜とクラッシックについての雑談を始めた。それは長々と続く。
わたしの家はいつも賑やかだと、風花は目を閉じた。
風花の家族の会話のバックには、よく音楽が流れている。それは風花の家の特徴だ。
街でも、学校でも、どんなに騒がしい場所に行っても、クラッシックと雑談を同時に聞くことはあまりない。
だからこれを聞くと、家にいるんだと安心できる。さっきまでの重かった気分も消えていた。
ありがとう、ママ。
月お兄ちゃん、星お兄ちゃん……。
そういえば、この音を聞くのは久しぶりだと、風花は思った。
最近は夏澄たちのところに行ってばかりだったから、ゆり音の演奏を聴く時間もなかった。
風花は息をつめる。
あたり前だったゆり音たちの声と、聴きなれた音楽を、少しだけ昔のことのように感じた。
いつの間にか、ゆり音たちとの距離が開いている。
住む世界が少しだけずれている。
ふいに、そんなことを思った。
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