水の空の物語 第5章 第43話
ゆり音は、強引に風花の手を引く。防音室まで引っ張っていった。
「なにが聴きたい? なにが聴きたい?」
同じ言葉を繰り返す。
「ねえ、ママ。なんで急に?」
「いいから、ここにいなさい。そのほうが治りが早いわよ」
こんなに疲れた顔しちゃってと、風花の頭を撫でる。
風花は涙が出そうになった。
ずっと、そうしていて欲しいような気持ちになる。
「みぞれとなぎさも、心配してるわよ」
防音室に入ると、愛犬のみぞれとなぎさが駆け寄ってきた。
風花がソファにすわると、二匹もぴょんと飛び乗る。
風花の肩に前足を乗せ、じゃれついてきた。
ふわふわのしっぽが目の前で揺れる。風花はみぞれたちを抱っこした。
「なにが聴きたい?」
「じゃあ、ヴィヴァルディの四季」
「任せてー」
ゆり音がヴァイオリンをかまえる。
暖かな旋律が、風のように流れはじめた。
四季は子供のころに、よく家でかけられていた曲だ。前はなんとも思っていなかったが、最近になって、曲の良さが分かってきた。
「風花の歴史の中で、七度目くらいかしらね」
ゆり音は風花を見て、ため息をつく。
「え、歴史?」
「そう。かわいい風花ちゃんの、生まれてから今までの歴史の中で、あんまりないことなの。そんな疲れた顔して帰ってくるの」
「あのね、ママ」
風花はつい、今日の優月のことを話しそうになる。あわてて言葉を止めた。
そんな風花を見ていたゆり音は、また風花の頭を撫でた。
「話さなくていいわよ」
「え?」
「私は風花に幸せでいて欲しいから、ここに呼んだの」
幸せでいてねと、ゆり音は繰り返した。
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