2025年7月5日 何がある?考察4
1999年、ある漫画家が静かに引退しました。その人の名前はたつき諒さん。彼女が描いた平成の奇書『私が見た未来』は、知ってる人もいるかもしれないけど、ちょっとミステリアスな作品なんです。特に注目されたのが、表紙に書かれていた「大災害は2011年3月」という一文。なんと、出版から12年後、本当に東日本大震災が起こり、「幻の予言漫画」として再び注目を浴びることになったんです。2025年7月5日を考察する前に、たつき諒さんのインタビューを紹介するね。彼女が「夢日記」を描き始めた理由って、ちょっと不思議なんです。
彼女が夢日記をつけ始めたのは、1985年からなんだって。きっかけは、お母さんからもらったまっさらなノート。これ、私たちがノートに日記書くみたいな感覚だったのかな。彼女は特に変わった夢を見るわけじゃなくて、ほとんどが個人的な内容だったみたい。だから、最初からマンガのネタにしようとは思ってなかったんだって。でも、夢を深層心理の表れとして分析するのが面白くて、それが夢日記をつける理由になったみたい。
しかも、たまに夢で見た場所とか顔が現実でも出てくるデジャヴ体験をしたことがあって、それも夢への興味を深めた理由の一つみたい。そういうの、ちょっとわかる気がする。私もたまに、これ前に見たことある!って思うことあるもん。でも彼女にとって、夢日記はあくまで自分が楽しむための記録だったみたい。
その後、90年代には怪談とか恐怖体験の雑誌に描くようになったらしい。でも、彼女はスピリチュアルな能力を持ってるわけじゃないから、そういう話を描くのが怖くなかったみたい。もし霊能とかがあったら、あまりに現実的すぎて描けなくなっちゃうかもね。だから、マンガのネタは自分自身の体験じゃなくて、周りの人たちから聞いた話ばかりだったみたい。
でも、やがてそういうネタも尽きてきて…。彼女の義姉が看護師だったから、病院で起きた怖い話をよく教えてもらってたんだけど、雑誌にすでに出てる話とダブって描けなくなっちゃったみたい。それで、苦肉の策として、夢日記をめくってデジャヴ体験や不思議な夢をかき集めて、2つのマンガを描いたんだって。その中には、彼女が若い頃に見た津波の夢も含まれていたみたい。
その津波の夢は、すごく印象的だったみたい。「その年」は春になっても気温が不安定で、小さな地震があちこちで起こってた。そしてある夏の日、津波が迫ってきて、逃げ惑う人々の叫び声の中で彼女は意識を失った…って感じの夢。目が覚めてもその夢が頭から離れなくて、作品にしようとしたんだけど、寒気と吐き気がして断念したんだって。
でも編集者が「大津波の夢を見たからマンガにしてほしい」っていう読者の投稿が多いから、たつきさんの見た夢も描いたら面白いんじゃないかって背中を押してくれたの。それで「私が見た未来」という作品が生まれたんだね。
その後、彼女はネタ切れで漫画家を引退することにしたんだって。担当編集長にそのことを伝えたら、「最後にうちで発表した作品をまとめて単行本にしよう」って言ってくれて、その夢日記を元にしたマンガも収録されることになったの。
単行本の表紙絵は、締切前日にはほとんど出来上がってたらしい。絵柄は女性の周りに白い紙を何枚か描いて、そこに夢日記の絵と文字を書き込んでたんだけど、1枚だけ空白のままだったんだって。それで何を描こうかギリギリまで悩んでた時、奇妙な夢を見たんだって。真っ白なスクリーンに「大災害は2011年3月」って文字が表示されたの。それを見た瞬間、「これを書いちゃおう」と思って、その空白にその文言を書き込んだんだって。それが引退前最後のペン入れとなって、『私が見た未来』の表紙絵が完成したんだね。
1999年の7月のことだったんだけど、ちょうどその頃、『ノストラダムスの大予言』で人類滅亡の日が話題になってたみたい。でもたつきさんはそれを意識してたわけじゃなかったみたい。でも、編集者は「なんでこんな未来予知みたいなこと描いちゃったの。外れたらどうするの」ってすごく嫌がってたみたい。当時は2011年なんて10年以上も先だから、そんなに覚えてる人もいないだろうって思ったらしいけど、やっぱりちょっと不安だったのかな。
漫画家を引退した後、たつきさんはいろんな仕事をしてきたんだって。コンピューターグラフィックや医療事務、建築関係とか、1年単位でいろんなことを試してみたみたい。漫画家を一生続けるつもりはなかったから、「たつき諒」というペンネームを完全に離れて、本名での生活を楽しんでたみたい。漫画家時代の友人関係も自然と切れていったみたいだね。
そんな忙しい日々を過ごしていたたつきさんは、2011年3月に東日本大震災が発生した時も、自分が書いたことをすっかり忘れてたんだって。だから、その時「あの夢の年月どおりだ!」とは全然思わなかったみたい。自分で書いたことさえ覚えてなかったんだね。
それに気づいたのは、たつきさんじゃなくて他の人たちだったんだって。震災が起きて間もなく「夢が当たってたってインターネットに載ってるよ」とか「一部の人が騒いでるみたいよ」とか言われて思い出したみたい。でもその時は「ふーん、そうなんだ」って受け流して、そのまま忘れられていくと思ってたらしい。
でも、状況が変わり始めたのは2020年のことだったんだって。何があったのか、次回のコラムで詳しくお話しするね。
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