後にトラウマへと昇華される原風景


原風景を好きな形で文字にしてこいって課題。内容がすごくアホなのに、Aをくれた先生ありがとう。

私にとっての原風景は、トラウマで残っている記憶である。
保育園生くらいの頃だったと思う。じりじりと暑い夏の真っただ中だった。その日は保育園が休みで、長女は学校に行き、妹は母が面倒を見ていたように思える。私の実家は農家のため、平日だろうか休日だろうが必ず家に人はいる。ただ、畑に出ていたり、仕事場にいたりと、家の中自体にはあまりいない。その時は確か次女と二人だったと思う。私たちは二人で外にでて畑の土をこねたりなんかして遊んでいた。すると、そこに父がやってきた。「おい、おもしれえもんあるから見にこい。すげえから。」好奇心旺盛だった私にとって、その言葉は魅力的だった。しかも、父の顔は高揚を抑えきれないといった表情で、子供のように早く早くとせかしていた。興奮した私は、嬉々として父についていった。一方姉はというと、少々めんどくさそうではあったが、所詮はまだ子供である。あっさりとついていった。連れていかれたのは、畑の端に建てられている、小屋だった。この小屋には、大型トラクターや農耕機、薬品、子供が扱うには危ないものまであった。その小屋の入り口付近に、3つの排水溝があった。1つは大きく、2つは小さく、某ネズミのキャラクターように配置されていた。普段は蓋で閉められているが、余分な液体や不要物を流したりするのに、そこは使われていた。そこまで私たちを導いた父は、一番大きい蓋に手をかけた。「ほんとにすげえからな、びっくりするぞ~」といって、父は蓋を取った。その瞬間の光景こそ、いまでも私の脳裏に濃く焼き付いている。
直径20cmほどの穴の中をみっしりと埋めていたのは、1匹の大きなネズミだった。排水された、草木や藁の混じった濁った水が穴の中には溜まっていた。その上に、ぷかりと、まるでテレビから本物が出てきたかのように、立体的にネズミは浮かんでいた。目を閉じて、口を半開きにし、毛で覆われていない生々しい手足としっぽが、もがいていた姿をそのままにして固まっていた。穴の中に納まるために、背中は丸まり、縮められたことで膨らみを増した後ろ脚の付け根と、きれいに湾曲した背中のカーブが、ただただ大きかった。そのあまりの存在感から、生きているのではないかと錯覚した。排水溝のまわりのコンクリートの床、床にかぶさるように散乱している乾いた土の色、蓋を持ち上げようと近づいた父の長靴を履いた左足、小屋の奥に見える黄色のタンク、その一瞬を切り取ったかのように鮮明に覚えている。
しかし、最初にトラウマと銘打っているが、実はこの時、私には恐怖なんてものはなかった。もちろん、少々の驚きはあった。実はこの時、私はまだ本物のネズミを見たことがなかったのだ。本や話に聞くよりも、そして父の反応を見るに、規格外の大きさなのだということは理解した。生きているかのような姿と、その重々しさから、私はこのネズミに襲われるのではないかと思い、一歩後ずさった。「生きてるの?」そのネズミから目が離せないまま、私は父に聞いた。「いや、死んでる。どうだ、こんなでっけえネズミ見たことねえだろぉ?お父さんもえれえビビったよ、最初ここあけた時。」隣にいた姉も、恐怖よりは驚きが勝っていたようで、一瞬硬直したものの、近づいてまじまじとネズミの姿を見た。「多分ネズミの親分だろうな。ここに落っこちて、出られなくて苦しんで、おぼれ死んだんだよ。」なおも父は、きらきらとした目で、楽しそうに、そのネズミの最後の瞬間を私たちに語って聞かせた。「かわいそうだね。」「苦しんだろうね。」私と姉がそれぞれ口にした言葉は、子供ながらに純粋だった。今の私では、ネズミ捕りに引っかかったネズミをみるのでさえ恐怖し、死んだと分かれば「ざまあみろ!!家荒らすからだ!!」とさも悪役のような感想しか出てこないというのに。この瞬間では、まだそんなにトラウマとして植え付けられる恐怖はなかったのだ。これが本当のトラウマとなったのは、そのあとである。
私の家は古い家屋で、いまだに土間があったり、履物をはいてトイレに行ったり、2階は元養蚕部屋である。そのため、ネズミが多く住みついている。ネズミとの生活は、決して快適なものではなく、日々様々なことで悩まされては、刈るか刈られるかの真剣勝負だった。私の部屋は、養蚕部屋が物置になっている2階に増築した部屋で、家の中にもう一つ家があるような作りになっている。そのため、部屋の中にいると、ネズミがしょっちゅう壁をひっかくカリカリという音が聞こえ、いつかこいつらは壁を突き破って部屋に侵入するのではないかとおびえていた。前に一度、枕もとの壁で、ネズミがカリカリという音と一緒に、激しく鳴いていた。今日はやけに騒がしいなと思っていたら、耳元で、壁を這うような、質量のあるものがズルズルと進む音を聞いた。そして、乱闘のような激しい音と、ネズミの悲痛な鳴き声が聞こえたと思うと、一瞬鋭い息を吐くような音が聞こえ、その騒音はおさまった。アオダイショウである。この家には守り主とされる蛇すら住み着いているのだ。猫を飼っていない分、この守り主が、私の生活を安泰にしてくれているのだと思うと、爬虫類が好きになった。
ネズミとの攻防はこれだけではない。奴らは台所に入り込むと、パンの袋を破り、乾物を食べ、しまいにはゴムベラですらかじるのだ。家に住み着き、様々なところを動き回るネズミは寄生虫を多く持ち、ダニやノミを体中につけている。自分の生活に、そんなに恐ろしい毒のような存在が我が物顔で生活していたら、誰だって苦手になると思うのだ。奴らは唐突に顔を出すこともある。米櫃の下、戸棚の裏、冷蔵校の横と、突然現れては、素早い動きで地をかけ、長い尻尾をはためかせるのだ。ひくひくと鼻を動かしている姿を想像するだけで鳥肌が立つ。私はネズミ科の動きがたいそう苦手なのだ。以前、曲がり角で奴とばったり遭遇したことがあるが、胸キュンなど起こるはずもなく、叫び声をあげて壁に激突した私の完全敗北である。そしてそんな生活の中で、奴らが犯した最大の罪は、米を台無しにしたことだ。前述で、私の実家は農家だと記したが、秋には米を作り、お得意様にだけ販売する。あとは、1年間の私たちの食糧だ。ある年の冬場に、倉にある木でできた米櫃を開けると、大きな穴が開いていた。そこに保管されていた米袋の中で、ネズミの親子が冬眠していたのだ。生まれたばかりでまだ毛もない子ネズミと、丸々太った親ネズミが、幸せそうに排泄物まみれになった米の上に鎮座していたのだ。これには家族中で大騒ぎした。こんな状態になった米を食べるわけにもいかず、その一帯の米はネズミの親子とともにすべて廃棄となった。そこまで豊作という年でもなかったため、食糧問題に私たちは少々頭を悩ませた。まさかここまでするなんて。奴らは完全に、私たちの生活を脅かす敵である。動物愛護など知らぬ。毒を盛り、罠を仕掛け、必ず駆逐してやるわと私は意気込み、すべて母に託した。
こんな生活を産まれてからずっとしてきたのだ。子供の頃はよく理解できず、自分の中にあったネズミの概念よりも大きなサイズを目の当たりにして、驚いただけだったが、ふと、脳裏にこびりついているあの光景を思い出すと、身震いしてしまう。あの時のネズミが死んだ瞬間、悲痛な鳴き声を上げて、重い体を音がなるほどバタバタと動かしていたのだろうと想像すると、その瞬間を見ていなくてよかったと思う。あの光景がトラウマというよりは、ネズミ自体が私にとってトラウマであり、そのネズミと生活して毎日こそが、私の原風景となりうるのだ。


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