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ヒップホップ史上、"最高の年"ランキングTOP20【翻訳記事(出典:Complex)】

公開日: 2024年10月22日
※本記事は、原文をできる限り忠実に翻訳しつつ、わかりやすさを重視して一部再構成しています。

https://www.complex.com/music/a/dimassanfiorenzo/the-best-years-in-rap-history

「ヒップホップ史上、最高の年は?」──この問いに対する答えは、10人のファンがいれば10通りの異なる意見が返ってくるだろう。

音楽の嗜好は極めて個人的な経験であり、多くの場合、その"黄金期"は青春時代に没頭していた音楽と密接に結びついている。

しかし、この主観的な問いに対して、より分析的なアプローチを試みることも可能だ。

ヒップホップの年代記において、革新性と影響力の観点から傑出した年が確かに存在する。特定の年のリリースを振り返ると、その創造的なエネルギーの密度に圧倒される瞬間がある。

それは、音楽的革新、アーティスト間の創造的競争、産業構造の変革、時代の社会的背景が完璧に交差した瞬間だ。

真に偉大な年には、メインストリームの巨匠たちの輝きと同時に、アンダーグラウンドシーンも独自の生命力を放ち、支配的な文化に対する挑戦者としての役割を果たしている。

本稿では、これらの「特別な年」を厳選し、序列化を試みた。評価基準は明確だ─その年にヒップホップファンであることの充実度である。

この検証には、以下の3つの主要な評価軸を採用した。

①音楽そのものの質的評価。年間の傑作アルバム・楽曲群、その即時的衝撃と長期的影響力を精査した。

②新たなブレイクスルーを果たしたアーティストの台頭。彼らのその後のキャリアの展開と、文化的影響力の広がりを考察した。

③その年を特徴付ける象徴的な出来事。1995年のSource Awardsのような具体的イベント、DrakeとMeek Mill間の確執のような象徴的な瞬間、さらにはSoundCloudラップムーブメントの勃興など、ヒップホップカルチャーの本質的な展開を映し出す広範な現象を包括的に評価した。

なお、2024年は除外し、Run-DMCがデビューを飾った1984年以前、ヒップホップがローカルな生演奏文化として存在していた時期も考察の対象外とした。

それでは、ヒップホップ史における「最高の年」トップ20の検証に移ろう。


20位: 2010年

その年を象徴するエピソード
2010年は、Drake、J. Cole、Nicki Minajが後の伝説となるキャリアの礎を築いた記念碑的な年だった。

Kanye WestがG.O.O.D. Fridayシリーズを始動させ、同時期にRoc Marcianoが『Marcberg』を発表。

後者は、続く10年間のNYアンダーグラウンドヒップホップの方向性を決定づけた。革新的なサウンドと美学を携えた新世代のアーティストたちが、永遠に記憶される足跡を残した年でもある。

Wiz Khalifaの『Kush & OJ』は、カウンターカルチャーを体現する若者たちにとって、まさに『アバター 伝説の少年アン』における「ソジンの彗星」のような象徴的存在となった。

Waka FlockaはプロデューサーLex Lugerとのコラボレーションで『Flockaveli』を制作。トラップミュージックを極限まで昇華させ、不朽のバンガーを連発した。

その衝撃は瞬く間に広がり、Rick Rossもまたlugerとタッグを組み、「BMF (Blowing Money Fast)」という時代を超越した傑作を生み出した。

この楽曲は、誰もがBig Meechになれると錯覚させる魔法のような一曲だ。

J. Coleは『Friday Night Lights』で、夢追い人たちの心を掴む至高のアンセムを完成させた。

そしてこの年の双璧が、DrakeとNicki Minajである。『So Far Gone』の成功を追い風に、DrakeはラップとR&Bの境界を溶解させた『Thank Me Later』でメジャーデビュー。

まるでLeBron Jamesのように、音楽シーンでの圧倒的な支配を開始した。

一方のNickiは『Pink Friday』で鮮烈なデビューを飾り、後のDoja Catをはじめとする次世代アーティストたちに、卓越したワードプレイ、ジャンルを超えた表現力、唯一無二の個性的スタイルという遺産を残した。

この年は、既に確固たる地位を築いていたアーティストたちにとっても黄金期となった。特に秋季、Kanye Westはヒップホップ界のサンタクロースと化し、G.O.O.D. Fridayで毎週のように傑作を投下。

Big Sean、Lupe Fiasco、Yasiin Beyとの夢の共演を実現させ、「Looking For Trouble」「Runaway」「Monster」といった名曲群を世に送り出した。

Pusha Tの加入に関する公式発表はなかったものの、Funk Flexとの伝説的なフリースタイルセッションがその瞬間を雄弁に物語っていた。

壮大なホーンセクションにRihanna、Elton John、Kid Cudiらによる圧巻のコーラスワークが重なる「All of the Lights」は、天上の扉が開かれたかのような荘厳さを湛えていた。

そして『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』は、2010年という伝説の年を締めくくるに相応しい傑作となった。

華麗で、多彩で、狂気じみた完璧な最高傑作である。

ベストアルバム

  • Kanye West『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』

  • Drake『Thank Me Later』

  • Nicki Minaj『Pink Friday』

  • Waka Flocka『Flockaveli』

  • Rick Ross『Teflon Don』

ベストソング

  • Rick Ross and Styles P「B.M.F. (Blowin' Money Fast)」

  • Kanye West and Pusha T「Runaway」

  • Eminem「Not Afraid」

  • Drake「Over」

  • Waka Flocka Flame, Roscoe Dash and Wale「No Hands」

躍進したラッパー
Nicki Minaj


19位: 1997年

その年を象徴するエピソード
1997年、Bad Boy Recordsはヒップホップの商業的可能性を未知の領域へと押し上げた。

同時に、この「jiggy era(華やかで商業主義的なスタイル)」への反動として、アンダーグラウンドシーンが胎動を始める。また、Hype Williamsによるアフロフューチャリスティックな映像美学が確立された年でもあった。

Bad Boy Recordsは、この年の約5ヶ月半という長期にわたってBillboard Hot 100の首位を独占。

80年代ポップスのサンプリング、陽気なクラブバンガー、Hype Williamsが手がけた光沢のあるスーツと魚眼レンズによる映像美―これらは「jiggy era」を象徴する要素となった。

その多くは、レーベル主宰Diddyの手によるものだ。近年の訴訟や連邦捜査でCombsに関する深刻な告発が浮上し、当時の輝かしい栄光には暗い影が差している。

しかし、功罪はあれど、Bad Boyは1997年にゲームのルールを一変させた。ラッパーたちのサンプリング手法、MVの制作アプローチ、売上の基準値に至るまで、すべてを再定義したのだ。

この年は、悲劇と勝利が交錯した時期でもあった。3月9日のBiggieの死から16日後、彼の遺作となる傑作『Life After Death』がリリースされる。

ヒップホップコミュニティがその死を悼む中、DiddyとMaseのデビューアルバムが多重プラチナを獲得し、Bad Boyの勢いは衰えることを知らなかった。

興味深いことに、1997年のダークホース的成功者たちであるMissy ElliottとBusta Rhymesは、かつてDiddyがBad Boyへの勧誘を試みたアーティストだった。

Missyは天才プロデューサーTimbalandとタッグを組み、他アーティストへの楽曲提供で実績を積んだ後、『Supa Dupa Fly』で衝撃的なデビューを飾る。Busta Rhymesも『When Disaster Strikes...』をドロップ。

独創的なフロウとアニメーション的かつエンターテイメント性に富んだミュージックビデオでMTVを席巻した。

一方で、Nas、AZ、Foxy BrownによるスーパーグループThe Firmの期待外れのアルバムや、Jay-Zの過渡期的な作品『In My Lifetime Vol. 1』は、「jiggy era」が内包する課題を浮き彫りにした。

NYのリリシストたちは、この新たな華美な基準への適応に苦心していた。確かに、Bad Boyの全盛期にあってもWu-Tang Clanの『Wu-Tang Forever』のようなハードコアな作品は健在だった。

メインストリームのラップが巨大化し、物質主義的かつ画一的になっていく中、アンダーグラウンドヒップホップは独自の信念と美学に自信を深めていった。

Company Flowの『Funcrusher Plus』や記念すべき『Soundbombing』コンピレーションの登場により、Rawkus Recordsは急速に台頭。

1997年は、あらゆるヒップホップファンに何かしらの価値を提供した年である一方で、ファン層の分断は深まり、その亀裂は後年さらに拡大していくことになる。

ベストアルバム

  • The Notorious B.I.G.『Life After Death』

  • Puff Daddy『No Way Out』

  • Missy Elliott『Supa Dupa Fly』

  • Wu-Tang Clan『Wu-Tang Forever』

  • Jay-Z『In My Lifetime, Vol. 1』

ベストソング

  • The Notorious B.I.G.「Hypnotize」

  • Puff Daddy, Lil' Kim, The Lox, and The Notorious B.I.G.「It's All About the Benjamins」

  • Missy Elliott「The Rain (Supa Dupa Fly)」

  • Busta Rhymes「Put Your Hands Where My Eyes Could See」

  • Mase「Feel So Good」

躍進したラッパー
Missy Elliott


18位: 2005年

その年を象徴するエピソード
Young JeezyとGucci Maneが台頭し、50 CentがNYの半数とビーフを展開。地域性とテーマ双方において、多様性に富んだヒップホップが開花した年だった。

2005年を『Paid in Full』に例えるなら、まさにAce Boogieが「みんな食えてる」と叫ぶ瞬間だ。豊穣なリリースの数々に、ラップファンたちは満ち足りていた。

バックパッカーたちは時代を見据えた作品を投下し、西海岸は短期間ながら救世主を獲得。新鮮な音楽を渇望していたファンたちにとって、この年のリリースラインナップは神々からの贈り物に等しかった。

各ファン層に向けて究極の音楽が届けられ、それぞれのプレートには完璧な料理が盛り付けられた。

カリフォルニアのファンには、50 Centのバックアップと Dr. DreのプロデュースによるThe Gameの傑作『The Documentary』。

コンシャスラップファンには、Commonの『Be』、Little Brotherによるアンダーグラウンドの金字塔『The Minstrel Show』が用意された。

ストリート―いやトラップのファンには、Young Jeezyによるギャングスタラップの最高峰『Let's Get It: Thug Motivation 101』。ポップ志向のファンには50 Centの第二作『The Massacre』、Kanye Westの『Late Registration』が届けられた。

『College Dropout』が彼をA級アーティストへ引き上げたのなら、『Late Registration』は彼をヒップホップのS級へ昇華させた。

Jamie Foxxを迎えた「Gold Digger」は紛れもないポップヒットとなり、初週86万枚という売上はJay-Zのどの作品をも凌駕。弟子が師を超えた瞬間だった。

2005年は、GOATの称号に近づくLil Wayne、通称Weezyの転換点でもあった。

すでにプラチナアーティストだった彼は、ミックステープシリーズ『Suffix』『Dedication』と『Tha Carter II』を通じて、スーパースター「Weezy F. Baby」へ進化。

「Fireman」「Hustler Musik」は、感情表現、卓越したワードプレイ、圧倒的カリスマ性が融合した傑作として記憶される。

2005年は単なる優れたアルバムの集積を超え、次の10年のヒップホップを形作る礎石が築かれた年となった。

トラップシーンをJeezyが制覇し、サウスはWeezyを手にし、世界はYeezyを獲得した。

熱心なヒップホップファンにとって、この豊饒な時代を体験できた幸運は計り知れない。

ベストアルバム

  • Kanye West『Late Registration』

  • Young Jeezy『Let's Get It: Thug Motivation 101』

  • Common『Be』

  • The Game『The Documentary』

  • Lil Wayne『Tha Carter II』

ベストソング

  • The Game and 50 Cent「Hate It Or Love It」

  • Kanye West and Jay-Z「Diamonds From Sierra Leone (Remix)」

  • Gucci Mane, Young Jeezy, and Boo「So Icey」

  • Young Jeezy, Three 6 Mafia, Young Buck, and Eightball & MJG「Stay Fly」

  • Young Jeezy and Akon「Soul Survivor」

躍進したラッパー
Young Jeezy


17位: 2018年

その年を象徴するエピソード
SNSの人気者から本格的なラップスターへと変貌を遂げたCardi B。Kanye Westによる5週連続5作品のリリース。

DrakeとPusha Tのビーフから生まれた不朽のディストラック「The Story of Adidon」。2018年は確かにヒップホップの黄金期だった。

新世代のラップスターたちが次々と台頭する一方で、その輝きには深い影が付きまとっていた。

影響力を放つ作品群の中には、若きラッパーたちの遺作となったものも含まれていた。Mac Millerは音楽的進化を遂げた傑作『Swimming』を発表してわずか1ヶ月後、過剰摂取により命を落とす。

XXXTentacionは『?』でチャートを制した3ヶ月後に殺害され、LAの英雄Nipsey Hussleは待望の商業デビュー作『Victory Lap』を世に送り出すも、翌年初頭に銃弾に倒れた。

新時代の旗手となり得た彼らの突然の死は、今なおシーンに深い喪失感を残している。

既存のAリストと新世代の間の断絶は一層深まりを見せた。

Travis Scottの『Astroworld』とPlayboi Cartiの『Die Lit』が若い世代に「Rage」の作法を伝授する一方、J. Coleは『KOD』でSoundCloudラップ世代の価値観に一石を投じた。

Lil BabyとGunnaによる『Drip Harder』は、アトランタが誇る2人をYoung Thugの正統な後継者として位置づけた。

Cardi BはSNSスター、リアリティTV出演者を経て、デビュー作『Invasion of Privacy』の大成功でマルチプラチナアーティストの座を獲得。

一方、業界の頂点に君臨するDrakeは、『Scorpion』で自身初となる3曲のHot 100首位を記録しながらも、長年燻っていたPusha Tとのビーフで痛手を負う。

Pushaのディストラック「The Story of Adidon」は、Drakeの隠し子とBlackface写真の存在を暴露。

グラミーにノミネートされた『DAYTONA』は、Kanyeプロデュースによる「G.O.O.D.サマーシリーズ」の白眉として、売上では『Scorpion』に及ばずとも、リリックバトルでの勝者は明白だった。

ベストアルバム

  • Cardi B『Invasion of Privacy』

  • Travis Scott『Astroworld』

  • Playboi Carti『Die Lit』

  • Nipsey Hussle『Victory Lap』

  • XXXTentacion『?』

ベストソング

  • Travis Scott and Drake「Sicko Mode」

  • Lil Baby & Gunna「Drip Too Hard」

  • Kendrick Lamar, Jay Rock, Future, and James Blake「King's Dead」

  • Drake「God's Plan」

  • Juice WRLD「Lucid Dreams」

躍進したラッパー
Cardi B


16位: 1989年

その年を象徴するエピソード
Public Enemyがスパイク・リー監督作『Do the Right Thing』のサウンドトラックに革命的アンセム「Fight the Power」を投下。

Prince Paul、Bomb Squad、Dust Brothersらプロデューサー陣がヒップホップ・プロダクションを芸術の領域へ昇華。

Jungle Brothers、De La Soul、Queen Latifahの傑作群が結実し、Native Tonguesムーブメントが開花した年でもあった。

楽曲への無許可サンプリングは90年代初頭、法的・金銭的問題からヒップホップのサウンドとビジネスモデルを根本から変質させることになる。だが1989年は、まさにサンプリング黄金期の絶頂だった。

De La SoulとPrince Paulが放った処女作『3 Feet High and Rising』は、ジャンルの垣根を超えた遊び心溢れるサンプリング手法で創造性の新境地を切り拓いた。

Beastie Boysは『Licensed to Ill』のロックリフから一転、Dust Brothers制作の『Paul's Boutique』でサンプル・コラージュの金字塔を打ち立てる。

Public Enemyのプロダクションチーム・Bomb Squadは、グループ初期の2作品で自由奔放なサンプリング・スタイルを確立。

1989年唯一のリリース「Fight the Power」では、5分間に20種以上のサンプルを織り込んだ。

EPMDの『Unfinished Business』やJungle Brothersの『Done by the Forces of Nature』といった比較的抑制的な作品でさえ、1曲に5、6種のサンプルを内包していた。

野心的なMCたちもライミング技術を進化させた。Juice Crewの重鎮Kool G Rapは、DJ Poloとの初作『Road to the Riches』でストリート色濃厚な多音節ライムを開拓。

N.W.A.と親交深いテキサス出身The D.O.C.は、Dr. Dreプロデュースによるウェストコースト屈指の傑作『No One Can Do It Better』を世に送り出す。

不運にも5ヶ月後の交通事故で声質が変化し、キャリアに大きな影響を受けるも、Death Rowのアーティストたちのために楽曲を書き続けた。

『Rapper's Delight』から10年、ヒップホップは飛躍的な進化を遂げた。

1989年の革新的試みは、90年代の黄金期への扉を開いたのである。

ベストアルバム

  • De La Soul『3 Feet High And Rising』

  • Beastie Boys『Paul's Boutique』

  • Kool G Rap and DJ Polo『Road to the Riches』

  • EPMD『Unfinished Business』

  • Jungle Brothers『Done By the Forces Of Nature』

ベストソング

  • Public Enemy「Fight The Power」

  • Big Daddy Kane「Smooth Operator」

  • EPMD「So Wat Cha Sayin'」

  • The D.O.C.「It's Funky Enough」

  • Queen Latifah and Monie Love「Ladies First」

躍進したラッパー
De La Soul


15位: 2016年

その年を象徴するエピソード
XXL Freshmanカバーの発表とKanye Westの『The Life of Pablo』がマディソン・スクエア・ガーデンで壮大な幕開けを飾った2016年。

Rae Sremmurdの「Black Beatles」と#MannequinChallengeがポップカルチャーを席巻し、時代を象徴する現象となった。

この年は、カラフルなドレッドを纏う「反逆児」たちの台頭が印象的だった。Lil YachtyやLil Uzi Vertといった新世代が、NasやBiggieに代表される伝統的なヒーローの対極として登場。

世代間の断絶は「my generation vs. your generation」というミームを生み出し、若い世代の音楽性は「マンブルラップ」と揶揄された(この呼称は2014年にVladTVのMichael Hughesが提唱し、2016年夏にWiz Khalifaによって再注目を集めた)。

SoundCloud発のラッパーたちはメロディ重視の前衛的アプローチを採用。一方、リリシズムを重んじる「Blog Era」のMCたちとの分断は鮮明になった。

ストリーミング台頭により、音楽消費の形態は大きく変容。Soulja Boyが2010年代半ばに示したDIY精神を、新世代が継承した。

この分断はファン層のみならず、アーティスト間でも顕著だった。Snoop DoggがMigosのフローを揶揄し、J. Coleが「False Prophets」で「Lil Whatever」と呼ばれる若手を批判的に捉えた。

2016年のXXL Freshmanは「1996年NBAドラフト」と称される歴史的な布陣となった。

※1996年NBAドラフトは、NBA史上最も才能豊かな選手が揃ったドラフトの一つとして知られ、後に殿堂入りを果たすコービー・ブライアント、アレン・アイバーソン、レイ・アレン、スティーブ・ナッシュなど、リーグの未来を形作るスター選手が次々と指名された伝説的な年。

21 Savage、Lil Yachty、Lil Uzi Vert、Kodak Blackという中核メンバーに加え、Dave East、Anderson .Paak、Lil Dickyといった「Blog Era」の系譜を引くアーティストも共演。

だが、サイファーの再生回数には明確な差が生まれ、SoundCloud勢が2億回を超える一方、G HerboとDave Eastは1,100万回に留まった。

『Views』と『The Life of Pablo』は現在こそ傑作と評価されるが、当時は賛否を呼んだ(Joe BuddenのDrake批判は新たなキャリアの契機となり、Kanyeは『Pablo』発表後も数週に渡って改訂を重ねた)。

J. Cole、YG、Chance the Rapperの続編も高評価を得たが、前作を凌駕するには至らなかった。

2010年代最高のヒップホップ・イヤーと称される2016年。

しかしそれは、むしろ新時代の幕開けだった。

未来への予兆に満ちた年であり、たとえその全容を理解できなかったファンにとっても、重要な転換点となったのである。

ベストアルバム

  • Drake『Views』

  • Ye『The Life of Pablo』

  • ScHoolboy Q『Blank Face LP』

  • Travis Scott『Birds in the Trap Sing McKnight』

  • Chance the Rapper『Coloring Book』

ベストソング

  • Kanye West and Kid Cudi「Father Stretch My Hands, Pt. 1」

  • Rae Sremmurd and Gucci Mane「Black Beatles」

  • Chance the Rapper, 2 Chainz, and Lil Wayne「No Problem」

  • Lil Uzi Vert「Money Longer」

  • Young M.A「OOOUUU」

躍進したラッパー
Lil Uzi Vert


14位: 2013年

その年を象徴するエピソード
6月18日、Kanye West、J. Cole、Mac Millerによる伝説的な同時リリース。『Yeezus』時代の幕開け。Kendrick Lamarが「Control」で放った衝撃。

1998年9月29日(JAY-Z『Vol. 2』、OutKast『Aquemini』、A Tribe Called Quest『The Love Movement』、Brand Nubian『The Foundation』、Black Star)が史上最高のリリース日として語り継がれる中、2013年6月18日も歴史に刻まれるべき一日となった。

J. Cole、Kanye West、Mac Millerが『Born Sinner』『Yeezus』『Watching Movies With the Sound Off』を同時投下。この日程は偶然ではない。

「I'mma drop the album same day as Kanye/ Just to show the boy's the man now, like Wanyá アルバムはKanyeと同じ日に出すぜ/今じゃ"ボーイズ"じゃなくて"マン"だって見せつけるためにな、まるでWanyá(Boyz II Menのメンバー)みたいに」とColeが「Forbidden Fruit」で宣言。

2作目を携えたColeは、大御所Kanyeとの直接対決を求め、発売を1週間前倒しした。

この対決精神こそ、2013年を黄金期たらしめた原動力だ。Jay-ZとLil Wayneが長老の域に達し、Kanyeが実験的フェーズへ、

Drakeが玉座目前という過渡期。支配者不在の真空地帯で、競争は激化した。A$AP Rockyの「1 Train」のようなポッセカットでも、MCたちは最高峰のヴァースを競い合う。

その頂点がBig Sean「Control」でのKendrick Lamarによる挑発だった。ラップ界の重鎮たちを名指しで挑発し、王座を巡る論争は熱を帯びる。

豊穣の年は、5月のKanyeによる「New Slaves」全米プロジェクションマッピングで加速。"God complex"は最高潮を迎え、『Yeezus』というタイトルすら物議を醸した。

しかし、この工業的サウンドは賛否を分けながらも、Playboi Carti、Trippie Redd、Travis Scott(制作参加)ら次世代への道標となる。

シカゴの新星Chance the Rapperも見逃せない。セカンドミックステープ『Acid Rap』のネット公開とComplexの表紙で、その年の躍進者となった。

2013年の異常な高揚感。それは、アーティストたちが恐れることなくペンを執り、戦いを選んだ証だった。

ベストアルバム

  • Kanye West『Yeezus』

  • Drake『Nothing was the Same』

  • Chance the Rapper『Acid Rap』

  • Migos『Y.R.N. (Young Rich Niggas)』

  • Pusha T『My Name Is My Name』

ベストソング

  • Kanye West「New Slaves」

  • Big Sean, Kendrick Lamar and Jay Electronica「Control」

  • Drake「Started from the Bottom」

  • J. Cole and Miguel「Power Trip」

  • Migos「Versace」

躍進したラッパー
Chance The Rapper


13位: 2002年

その年を象徴するエピソード
50 CentとDipsetがミックステープの概念を革新した2002年。EminemとDr. Dreによる50 Centとの契約締結。Eminemの映画「8 Mile」がサウンドトラック、興行収入共に首位を獲得。

XXL誌の表紙を飾ったアーティストたちは、時代の転換期を象徴していた。

『The Great Depression』後のDMX、セールス低迷に喘ぐWu-Tang Clan、Biggieのアニバーサリー、Suge KnightとDeath Row、Phil CollinsをフィーチャーしたBone Thugs-N-Harmony、低迷期のBirdman、2Pacの追悼─これらは過去の栄光と現実の狭間を映し出していた。

だがこの年の真髄は、ストリートから湧き上がる革新的エネルギーと、R&Bとの融合を深める商業ラップの共存にあった。

Murder Inc.の覇権は頂点に達し、Nasとの契約さえ噂された(Boondocksの風刺漫画が象徴的)。

真の革新は地下で進行していた。

90年代を通じてDJが主導してきたミックステープ文化は、2002年、アーティスト主導の新たな表現へと進化。

The Diplomatsの「Diplomats Volume 1」と50 Centの「50 Cent is the Future」は、オリジナル楽曲とリメイクを融合した現代的ミックステープの先駆けとなった。

既存曲のリメイク自体は目新しくなかったが(Ice Cubeの「Jackin' for Beats」等)、50 CentとCam'ronは大胆かつ中毒性高いアプローチで既存曲を変容させた。

DipsetはProduct G&BとSantanaの「Maria Maria」を性病警告ソングへ、G-UnitはJonellの「Round and Round」を遊び人の賛歌へと昇華。

この戦略で頭角を現した50 Centのリミックスと「Wanksta」は、Ja RuleとAshantiの甘美なサウンドを凌駕。

EminemとDr. Dreとの契約は、NYシーンを一時的に復権させ、ヒップホップに野性的エネルギーを取り戻した。

映画出演とオスカーノミネートを果たしたEminemにとって、50 Centとの契約はストリートとの紐帯を意味した。

2003年2月、『Get Rich or Die Tryin'』発売直後のグラミー賞で、Eminemがドゥーラグを纏って登場したのは象徴的だった。

ベストアルバム

  • Eminem『The Eminem Show』

  • Scarface『The Fix』

  • Clipse『Lord Willin』

  • 50 Cent and G-Unit『50 Cent is the Future』

  • The Diplomats『Diplomats Volume 1』

ベストソング

  • Eminem「Lose Yourself」

  • 50 Cent「Wanksta」

  • Clipse「Grindin」

  • Missy Elliott「Work It」

  • Nas「Made You Look」

躍進したラッパー
50 Cent


12位: 1986年

その年を象徴するエピソード
Rakimの衝撃的デビュー。BDPのKRS-OneとJuice Crewを率いるMarley Marlによる「Bridge Wars」の勃発。Run-DMCが『Raising Hell』と「Walk This Way」でメインストリームを制覇した転換期。

ヒップホップ黄金期の定義は、ベストMC Top5の議論同様、見解が分かれる。

Run-DMCの「Sucker MCs」からDr. Dreの『The Chronic』までの「boom-bap era」(1983-1992)と、『The Chronic』以降からファイル共有時代までの「platinum era」(1993-2000)の二期説。

あるいはDef Jam設立から2PacとBiggieの死までとする説も根強い。

だが1986年は、文化が「wopping」「snaking」「cabbage-patching」と進化を遂げ、革新が連鎖的に起きた特異点だった。

年初にはRun、LL Cool J、Melle Mel、Slick Rick、Roxanne Shantéが頂点を形成していたが、夏までにRakimがその序列を破壊する。

ロングアイランド出身、18歳のRakimは「Eric B. Is President」でリリシズムの地平を押し広げた。

「My Melody」と共にリリースされたデビュー作は、フローの概念を創出し、MCの表現力と言葉遊びを革新。一聴して歴史的転換点と認識される衝撃だった。

音楽的進化も顕著だった。

Run-DMCがストリートの息吹を映すミニマルなビートを確立する一方、DJ Marley MarlはRoland TR-808でJames Brownのドラムをプログラム。

「Eric B. Is President」の匿名プロデューサーとして、MC Shanの「The Bridge」やBiz Markieの「Make the Music With Your Mouth, Biz」を手掛けた。

2 Live Crewは「We Want Some Pussy」で性的表現の扉を開き、Ice-Tは「6 in the Mornin'」でギャングスタラップの先鞭を付けた。

Beastie Boysは『Licensed to Ill』で白人ラッパーの可能性を示し、オークランドではMC Hammerが「Feel My Power」でポップ路線を模索していた。

1986年はリリシズムの再定義とJames Brown的グルーヴの融合という、ヒップホップの分水嶺となった。

ベストアルバム

  • Run-DMC『Raising Hell』

  • Salt N Pepa『Hot Cool & Vicious』

  • Beastie Boys『Licensed to Ill』

  • Schoolly D『Saturday Night!: The Album』

  • Stetsasonic『On Fire』

ベストソング

  • Eric B & Rakim「Eric B Is President」

  • Ice T「6 N The Morning」

  • Run-DMC「Peter Piper」

  • Boogie Down Productions「South Bronx」

  • Ultramagnetic MCs「Ego Trippin'」

躍進したラッパー
Rakim


11位: 1996年

その年を象徴するエピソード
Jay-Zが評論家絶賛のデビューを飾るも商業的成功には至らず。Lil' KimとFoxy Brownが女性性の表現を革新。

2Pacがチャートを支配しながら悲劇的な最期を迎えた激動の年。

1996年は、多くのヒップホップ史家が黄金期の終焉と見なす転換点となった。

ブーンバップは商業的サウンドの陰で影を潜め、リスナー層の多様化とともに、ジャズ・サンプリングや生々しいプロダクションへの渇望も薄れていく。

De La SoulはPrince Paulとの蜜月を終え、A Tribe Called Questは『Beats, Rhymes and Life』で初期三部作の輝きを再現できなかった。

NasはTrackmasters色を深め、『It Was Written』で『Illmatic』の純度からメインストリームへと舵を切った。

この変容の只中、Fugeesが1994年の未完成なデビューを経て再始動。ラップと歌唱の融合で、ヒップホップをポップ界へと新たな形で届けた。

夏にはJay-Zが登場し、リリシストの仮面を纏ったハスラーという新機軸を打ち出す。

Lauryn Hillの再来、Lil' KimとFoxy Brownの相次ぐデビューは、卓越した才能を持つ女性MCたちの新時代の幕開けを告げた。

9月の2Pac暗殺は激震をもたらした。ヒップホップのアイデンティティ拡散とグローバル化は自然な流れだったが、その推進力を担う存在の死は別次元の衝撃だった。

わずか半年後のThe Notorious B.I.G.殺害は、ラップと暴力の切り離しという課題を浮き彫りにした。

「過度なギャングスタ性」「華美」「粗暴」「過剰な洗練」──ヒップホップは自らのスティグマと対峙を迫られた。創造性にとって祝福と呪いの両面を持つアイデンティティの危機が始まったのだ。

1996年は、必ずしも祝福に満ちた年ではない。

しかしヒップホップ史上最重要な年の一つであり、ある意味で、すべての序章に過ぎなかった。

ベストアルバム

  • 2Pac『All Eyez on Me』

  • Jay-Z『Reasonable Doubt』

  • OutKast『ATLiens』

  • Fugees『The Score』

  • Lil Kim『Hardcore』

ベストソング

  • Jay-Z「Dead Presidents II」

  • Nas & Lauryn Hill「If I Ruled the World (Imagine That)」

  • OutKast「Elevators (Me & You)」

  • The Fugees「Ready Or Not」

  • 2Pac & Dr. Dre「California Love」

躍進したラッパー
Jay-Z


10位: 1993年

その年を象徴するエピソード
NYがラップの中心地として復権を果たした転換期。

11月9日、A Tribe Called Questの『Midnight Marauders』とWu-Tang Clanの『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』が同時リリース。

Snoop Doggの『Doggystyle』がSoundScan記録を更新した。

1992年、Dr. Dreの『The Chronic』が第一次黄金期を終焉させ、新時代の幕を開けた。

N.W.A、Ice Cube、MC Hammer、西海岸移住のBeastie Boysによって重心が移動した後、1994年のNas『Illmatic』とBiggie『Ready to Die』でNYの復権が完遂される。その布石となったのが1993年だった。

A Tribe Called Quest三作目の傑作『Midnight Marauders』、De La Soulの実験的傑作『Buhloone Mindstate』、スタテン島の9人組Wu-Tang Clanによる革新作『Enter the Wu-Tang』は、NYの創造性が健在であることを証明した。

この復興は、多様なスタイルの共存を可能にした。

Jeru the Damaja「Come Clean」のアンダーグラウンドな荒々しさ、Dr. Dre「Nuthin' But a 'G' Thang」の洗練、Method Man「Method Man」のファンキーな不規則性、2Pac「I Get Around」のラジオフレンドリーな商業性─すべてが同時代に花開いた。

1993年は、ヒップホップがNY、カリフォルニア、アトランタ、ヒューストン、ニューオーリンズの地域性を超え、コースト代表者たちが共存できる成熟を見せた年でもあった。

メインストリームの受容も加速。

Janet Jacksonがアルバム『janet.』でChuck Dを迎え入れ、John Singleton監督作『Poetic Justice』で2Pacと共演。

『CB4』は『This Is Spinal Tap』の系譜を継ぎ、ヒップホップの常套句をパロディ化する知性を示した。

1993年の卓越性は、この多様性の共生にある。「二者択一」ではなく「両立」を実現した年として、ヒップホップ史に刻まれている。

ベストアルバム

  • Wu-Tang Clan『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』

  • A Tribe Called Quest『Midnight Marauders』

  • De La Soul『Buhloone Mindstate』

  • KRS-One『Return of the Boom Bap』

  • Snoop Doggy Dogg『Doggystyle』

ベストソング

  • Wu-Tang Clan「C.R.E.A.M」

  • Souls of Mischief「93 'til Infinity」

  • Snoop Doggy Dogg「Who Am I (What's My Name)?」

  • A Tribe Called Quest「Award Tour」

  • Jeru the Damaja「Come Clean」

躍進したラッパー
Snoop Dogg


9位: 2015年

その年を象徴するエピソード
DrakeとMeek Millのビーフがラップバトルの新時代を切り拓き、Futureが年間5作品を投下。Kendrick Lamarの「Alright」が時代を超えた抗議のアンセムとなった。

2015年を象徴する瞬間は、ガーデンステートパークウェイを走行中に耳にしたFetty WapとMontyの「My Way」Drakeリミックス。

特に「All I gotta do is put my mind to this shit. I like all my S's with two lines through them shits(このことに集中するだけでいいんだ。俺はSには2本のラインが入ってるのが好きなんだよ)」という伝説的なラインが鮮烈だった。

この時期、Drakeは絶頂期に突入。ローカルで萌芽したムーブメントを瞬時にグローバル化する力を手中にしていた。

ヒップホップ史上トップ10に値する2015年。音楽体験における「リアルな場」の重要性が際立った年でもあった。

暗いテーマですら、コミュニティの結束によって昇華された。

Drakeの「Know Yourself」、Futureの「March Madness」、Big Seanの「Blessings」―声を合わせて叫ぶアンセムに溢れた一年だった。

アルバムの系譜も輝かしい。

Futureの『DS2』、Travis Scottの『Rodeo』、Young Thugの『Barter 6』、Drakeの『If You're Reading This It's Too Late』。

Kendrick Lamarの政治色濃厚な『To Pimp a Butterfly』も、「Alright」によってデモや集会の象徴的存在となり、ストリートへと浸透していった。

この年を境に、メロディックなエモラップがチャートを席巻し始める。だが2015年を歴史的転換点としたのは、DrakeとMeek Millのビーフだった。

Twitterにおけるサポート不在への不満がゴーストライター疑惑へと発展し、SNS上で初の本格的ラップバトルが展開される。サマー・ジャムのステージがTwitterタイムラインに置換された瞬間だった。

「Back to Back」でMeekを圧倒したDrakeは、トロントのOVO Festでツイッター発のミームを武器に完勝。

2013年のDJ Khaled「No New Friends」でミーム文化を受容して以来、今や敵を打ち負かす手段としてフォーマットを昇華。

10月の「Hotline Bling」MVで、その技法は完成の域に達していた。

ベストアルバム

  • Kendrick Lamar『To Pimp a Butterfly』

  • Future『DS2』

  • Drake『If You're Reading This It's Too Late』

  • Young Thug『Barter 6』

  • Travis Scott『Rodeo』

ベストソング

  • Kendrick Lamar「Alright」

  • Future「March Madness」

  • Fetty Wap「Trap Queen」

  • Travis Scott「Antidote」

  • Drake「Back To Back」

躍進したラッパー
Fetty Wap


8位: 1987年

その年を象徴するエピソード
Boogie Down ProductionsとPublic Enemyが社会政治的視座をヒップホップに注入。

Beastie Boysの『Licensed to Ill』がBillboard 200初のラップ首位作品となり、Run-DMCとの「Together Forever」全米アリーナツアーを実現。

Eric B. & Rakimの『Paid In Full』は、MCたちの価値観を根底から覆した。

「Eric B. For President」「My Melody」で示された練り上げられたリリックと冷静なフロウは、"パーティーピープル向け"の時代を終わらせ、洗練されたメタファーと気高さの時代を開いた。

だが1987年の豊穣さは、それだけにとどまらない。Ice-T、Eazy-E、Ice Cube、Dr. Dreという後の巨人たちが誕生。

彼らはSchoolly DやSpoonie Gのストリート感覚を継承しつつ、人種問題、政府の腐敗、警察暴力への批判を鋭く織り込んだ。

Ice-T『Rhyme Pays』とN.W.A『N.W.A and The Posse』は、西海岸の潜在力を解き放ち、東海岸と肩を並べる基盤を築いた。

Public Enemy『Yo! Bum Rush The Show』は、後の黄金期を予告する政治的覚醒と爆発的表現を胎動させ、Boogie Down Productions『Criminal Minded』も不正義への抗議とエンパワーメントを体現。

1987年、ラップは純粋なエンターテインメントから、強力なメッセージ性を帯びた表現媒体へと昇華した。

Paul C、Marley Marl、Bomb Squadらによるスタジオワークとサンプリング技術の革新は、プロダクションに新たな次元をもたらした。

ラップは多様なスタイルへと分岐し、アーティストたちは競争心と表現欲求に駆られ、互いを強く意識し始める。

1987年は、新たな声、地域、アイデアが交差する革新の年であり、以後数十年にわたってヒップホップの音響と影響力を形作るレジェンドたちの揺籃の地となった。

ベストアルバム

  • Eric B. & Rakim『Paid in Full』

  • Boogie Down Productions『Criminal Minded』

  • L.L. Cool J『BAD: Bigger and Deffer』

  • Salt 'n' Pepa『Hot, Cool & Vicious』

  • Too Short『Born to Mack』

ベストソング

  • LL Cool J「I'm Bad」

  • Public Enemy「Rebel Without A Pause」

  • Eric B and Rakim「Paid In Full」

  • Boogie Down Productions「Criminal Minded」

  • Big Daddy Kane「Raw」

躍進したラッパー
N.W.A


7位: 2000年

その年を象徴するエピソード
Eminemが最高峰のラップスターへと上り詰め、Nellyがセントルイスをメジャーシーンに押し上げた。Jay-ZとOutKastが『The Dynasty: Roc La Familia』と『Stankonia』で同日対決を果たした激動の年。

ヒップホップ史上最高セールスを記録した2作品が中西部から誕生。

Nellyのデビュー作『Country Grammar』はセントルイスから突如として現れ、メロディックで親しみやすいラップスタイルと独特のスラングで1000万枚超の売上を記録。

1999年にブレイクしたデトロイトの雄Eminemは『The Marshall Mathers LP』で自身初のダイアモンド認定を獲得し、商業的頂点を極めた。

両者は異なる手法と魅力で大衆の心を掴み、90年代のNYとLA支配体制に終止符を打った。デトロイトのSlum Villageは『Fantastic, Vol. 2』でアンダーグラウンドを席巻。

プロデューサーJ Dillaは、Commonの初ゴールド作品『Like Water for Chocolate』とヒット曲「The Light」で才能を開花させる。

Ghostface Killahは『Supreme Clientele』でWu-Tang Clan最強のソロアーティストとしての地位を確立。

シュールで独創的なスタイルを確立したものの、NYの最も野心的なアルバムが商業的に伸び悩んだ事実は、時代の変化を予告していた。

アトランタは南部、そして全米を代表するヒットメイカーの拠点へと変貌。OutKastの第4作『Stankonia』は評論家絶賛の大ヒットを記録するも、Andre 3000とBig Boiが全編で共演する最後の作品となった。

彼らのツアーでオープニングを務めたLudacrisは、デビュー作『Back for the First Time』で瞬く間にアトランタを代表するスターの一人となった。

ベストアルバム

  • Ghostface Killah『Supreme Clientele』

  • Eminem『The Marshall Mathers LP』

  • OutKast『Stankonia』

  • Nelly『Country Grammar』

  • Slum Village『Fantastic, Vol. 2』

ベストソング

  • OutKast「B.O.B.」

  • Eminem「The Way I Am」

  • MOP「Ante Up」

  • dead prez「Hip-Hop」

  • Black Rob「Whoa!」

躍進したラッパー
Nelly


6位: 1995年

その年を象徴するエピソード
伝説的なSource Awards、東西対立の深刻化、Wu-Tang Clanの黄金期が交錯した激動の年。

「アーティストとして輝きたいなら、プロデューサーがMVやレコードで踊り回るのを気にせずに済むよう...Death Rowに来い」―1995年のSource AwardsでのDeath Row Records CEOのSuge Knightによる一撃。

Diddyへの直接的な挑発は、時代の緊張を象徴する瞬間となった。

Busy BeeとKool Moe Deeの時代から存在したラップビーフ。しかし東西対立がここまで大規模化し、文化全体を危険水域へと導いたのは前例がない。

複雑な様相を呈した1995年だが、この対立から生まれた傑作群が、この年をヒップホップ史上最高の一つへと押し上げた。

その中心にいた2Pacは、年初から性的暴行罪で服役(9ヶ月)。その間にも1位作品『Me Against the World』を放つ。一方、旧友The Notorious B.I.G.は「Who Shot Ya?」を発表。

前年のQuad Recording Studios銃撃事件(5発)を受け、獄中の2Pacは陰謀論を募らせ、Biggieへの疑念がNYとカリフォルニアの分断を加速させた。

しかし時代は多面的な進化を見せていた。Lil' KimとFoxy BrownがセクシュアルでスタイリッシュなMCとして台頭。J DillaがThe Pharcydeの『Labcabincalifornia』で革新的リズムを創出。

RZAはRaekwon『Only Built 4 Cuban Linx…』、GZA『Liquid Swords』、ODB『Return to the 36 Chambers』と傑作を量産。

ヒップホップがポップカルチャーと融合を深めた1995年、『Yo! MTV Raps』の終了は時代の転換を象徴した。

Mobb Deep「Shook Ones Pt. II」やODB「Brooklyn Zoo」といった即座にクラシック認定された楽曲群と、シーン内の確執が交差する中、1995年はラップ史に金字塔を打ち立てた。

ベストアルバム

  • Raekwon『Only Built 4 Cuban Linx…』

  • Mobb Deep『The Infamous』

  • 2Pac『Me Against The World』

  • Goodie Mob『Soul Food』

  • Smif N Wessun『Dah Shinin'』

ベストソング

  • Mobb Deep「Shook Ones, Part II」

  • Ol' Dirty Bastard「Shimmy Shimmy Ya」

  • The Pharcyde「Runnin'」

  • Raekwon「Incarcerated Scarfaces」

  • 2Pac「Dear Mama」

躍進したラッパー
Mobb Deep


5位: 2017年

その年を象徴するエピソード
Kendrick Lamarが『DAMN.』でピューリッツァー賞を獲得。ヒップホップがついに米国最大の音楽ジャンルへ到達。SoundCloudラップがメインストリームへの扉を開いた記念碑的な年。

数年来、ロックスターに代わってラッパーが米国文化の最有力な表現者となっていたが、2017年、ヒップホップは正式にトップジャンルの座を獲得。Nielsenの年末報告がその事実を数値で裏付けた。

その支配は頂点から始まった。年間を通じて巨匠たちがキャリア最高傑作を連打し、チャートと批評の双方を制圧。Jay-Zは『4:44』で円熟の極致を示し、Kendrickは『DAMN.』を放つ。

Migosはアトランタトラップの金字塔『Culture』を築き、Tyler, The Creatorは傑作三部作の起点『Flower Boy』を完成。Futureは『Future』と『HNDRXX』を立て続けに発表。

年末には米国トップ10アーティストの8割をラッパーが占めた。

だが2017年がラップ史トップ5に君臨する理由は、それだけではない。真に偉大な年には、メインストリームの隆盛とアンダーグラウンドの躍動が不可欠だ。SoundCloudラップはその年、メジャーの扉を打ち破った。

サウスフロリダからXXXTentacion、Ski Mask the Slump God、Lil Pumpが台頭。轟音のモッシュピットアンセムで巨大なカルトファンを獲得。

先駆者のLil Uzi VertとPlayboi Cartiは『Luv Is Rage 2』と『Playboi Carti』で新世代の指標を打ち立てた。

メジャーレーベルの争奪戦を経て、彼ら"アンダーグラウンド"アーティストたちはメインストリームでも次々とヒットを放つ。

多くのファンは2016年(ランキング15位)を黄金期と回顧するが、その記憶の一部は2017年に由来するかもしれない。

2016年は『Blonde』『Lemonade』『Anti』といったR&B傑作とSoundCloudラップの胎動で彩られたが、2017年こそがヒップホップの真の転換点だった。

常に時代の先端を行くヒップホップは、ストリーミング革命の時代に最も効果的にテクノロジーを活用し、インターネットの速度に呼応してヒットを量産していった。

ベストアルバム

  • Kendrick Lamar『DAMN.』

  • Tyler, the Creator『Flower Boy』

  • Migos『Culture』

  • Jay-Z『4:44』

  • Lil Uzi Vert『Luv Is Rage 2』

ベストソング

  • Kendrick Lamar「HUMBLE.」

  • Future「Mask Off」

  • Lil Uzi Vert「XO Tour Llif3」

  • Playboi Carti「Magnolia」

  • Cardi B「Bodak Yellow」

躍進したラッパー
XXXTentacion


4位: 2003年

その年を象徴するエピソード
50 CentがデビューでBillboard記録を塗り替え、Lil Jonがクランク時代の幕を開け、Jay-Zが『The Black Album』で「引退」を宣言した激動の年。

夏、雑誌に謎めいた広告が現れる。空白のテープに12曲分のラベル、「12曲、12人のプロデューサー」の文字。

DJ Premier、Ski、The Neptunes、Kanye West、Just Blazeの名が連なった。Jay-Zの最終章を告げるティーザーだった。

結末は周知の通り。11月の『The Black Album』は14曲を収録し、DJ PremierもSkiも不在。マディソンスクエアガーデンでの「引退」公演後、数年で復帰を果たすJay-Z。

しかし、これを単なる偽装引退と片付けるのは早計だ。彼は確かにある意味で引退し、C-suite(経営者)へと昇華。アクティブなラッパーから"名誉ラッパー"へと変容した。

次作までの3年間、S.Carter Reeboksのプロモーション用ミックステープ以外、沈黙を守り続けたことがそれを物語る。

NasとOutKastが新境地を模索し始めた2003年は、世代交代の年でもあった。3つの大きな潮流が風景を一変させる。

50 Centは『Get Rich or Die Tryin'』でセールス記録を打ち砕き、Ja Rule時代の終焉を告げつつ、独自の領域を開拓。

南部―特にアトランタ―が完全な覚醒を遂げる。LudacrisとOutKastがNo.1を獲得し、T.I.とLil Jonが時代を定義。T.I.はJay-Z的なストリートの信頼を獲得し、Lil Jonはクランクミュージックを全国現象へと押し上げた。

北部勢がLil WayneやT.I.による東海岸スタイルの借用を指摘するのは、現象の単純化に過ぎない。2003年はCam'ron、Nas、Mobb Deepらがクランクの波に乗りながら、地域性の融合を実現した年だ。

そして、この年はThe Neptunesの全盛期でもあった。

豪紙「The Age」は2004年5月、彼らが2003年米ラジオ楽曲の43%をプロデュースしたと報じた。

出典不明ながら、その数字に違和感を覚えない程、PharrellとChadのサウンドは遍在した。「What Happened to That Boy」「Frontin'」「Beautiful」──彼らを抜きに2003年を語ることは不可能だ。

ベストアルバム&ミックステープ

  • 50 Cent『Get Rich or Die Tryin'』

  • Jay-Z『The Black Album』

  • T.I.『Trap Muzik』

  • OutKast『Speakerboxxx / The Love Below』

  • The Diplomats『Diplomatic Immunity』

ベストソング

  • Jay-Z「Encore」

  • Ludacris & Shawnna「Stand Up」

  • T.I.「Rubber Band Man」

  • YoungbloodZ feat. Lil' Jon「Damn!」

  • Young Gunz「Can't Stop, Won't Stop」

躍進したラッパー
T.I.


3位: 1998年

その年を象徴するエピソード
9月29日、Jay-Z、OutKast、A Tribe Called Quest、Black Star、Brand Nubianが史上最高の同日リリースを実現。DMXが同年に2枚のNo.1アルバムを放ち、Lauryn Hillが女性ソロラッパー初のチャート制覇を果たした。

1999年2月、Lauryn Hillは『The Miseducation』でラップ史上初のグラミー年間最優秀アルバム賞を受賞。

Whitney Houstonから賞を受け取った彼女は、驚きを隠せない様子で「これがヒップホップだなんて信じられない」と語った。この一言は1998年の本質を象徴している。

25年に渡って認知を求め続けたジャンルが、ついに商業と批評の双方で圧倒的な影響力を獲得した瞬間だった。

「gettin' jiggy with it」が流行語となる中、多くのアーティストは独自性を保ちながら成功を収めた。Lauryn Hillのデビュー作は、ラップと歌唱の自然な融合で10年後のDrake的存在を予見。

「シャイニースーツ時代」の終焉とともに、DMXはストリートの現実を体現し、Bad Boyの洗練に対抗してDef Jamを復権させた。

南部ではNo Limit Recordsの圧倒的勢力、Cash Moneyの華美なスタイル、Dungeon Familyの神秘性と、多様な表現が開花。1998年、成功への道筋は無数に存在した。

9月29日は、その多様性の結晶だった。Jay-Z、OutKast、A Tribe Called Quest、Black Star、Brand Nubianによる同日リリースは、商業的ストリートラップから意識的アンダーグラウンド、レガシーアクトの終章まで、ジャンルの広がりを証明した。

個性と成功は両立するのか?答えはイエスだった。

ポップの公式に従うことも一つの選択肢となり、魂を守りながらの成功も、魂を売り渡す道も、等しく有効な戦略となった年である。

ベストアルバム

  • OutKast『Aquemini』

  • Jay-Z『Vol. 2... Hard Knock Life』

  • Lauryn Hill『The Miseducation of Lauryn Hill』

  • DMX『It's Dark and Hell Is Hot』

  • Black Star『Mos Def & Talib Kweli Are Black Star』

ベストソング

  • DMX「Get at Me Dog」

  • Juvenile, Mannie Fresh & Lil Wayne「Back That Azz Up」

  • Noreaga「Superthug」

  • Jay-Z「Hard Knock Life (Ghetto Anthem)」

  • The Lox, DMX & Lil' Kim「Money, Power & Respect」

躍進したラッパー
DMX


2位: 1988年

その年を象徴するエピソード
ヒップホップ史上初の傑作ポッセカット「The Symphony」の誕生。N.W.A.による過激なギャングスタラップの確立。DJ Jazzy Jeff & The Fresh Princeがラップ初のグラミー賞を獲得した転換期。

1987年が新時代の胎動なら、1988年はその爆発的開花の年である。衝撃的なデビュー作の連鎖、グラミーでの正式な認知、女性アーティストの台頭、前年の新星たちによる決定的な後続作。

東海岸は依然として伝説的デビューの揺籃地だった。Big Daddy Kane、Slick Rick、Biz Markieが同時期に台頭し、EPMD、Ultramagnetic MCs、Jungle Brothersが彩りを添える。

新鋭De La Soul(「Plug Tunin'」「Potholes in My Lawn」)とGang Starr(「Movin' On」)が期待作を投下。

Juice Crewからは「The Symphony」が誕生。フィラデルフィアのDJ Jazzy Jeff & The Fresh Princeは「Parents Just Don't Understand」でラップ界に初のグラミーをもたらした。

革新は全土に広がる。ヒューストンのGeto Boys『Making Trouble』、シアトルのSir Mix-a-Lot『Swass』、西海岸のKing Tee『Act A Fool』が影響力を放つ。

最も轟音を立てたのは"世界で最も危険なグループ"を自称するN.W.A.。

1987年のデビューで示した暴力性と攻撃性を『Straight Outta Compton』で極限まで昇華し、ギャングスタラップの波動でラジオを支配した。

Public Enemy、Boogie Down Productions、Too Short、Eric B. & Rakimは野心的進化を遂げる。

MC Lyte、Salt-N-Pepa、Queen Latifahという女性MCの台頭は、翌年「Ladies First」で表現と平等を訴える布石となった。

Sweet Tee、Ms. Melody、Finesse & Synquisは、MC Sha-RockとRoxanne Shantéが切り拓いた地平をさらに押し広げる。

Bobbito GarciaがNPRで語った通り、「88年は才能と成功が直結する真の実力主義の最後の年だった」

この見解には異論もあろうが、1988年が技術、過激さ、商業性の完璧な均衡点だったことは揺るがない。

これほどまでにヒップホップの未来を形作る革新的リリースが集中した年は他にない。傑作群、スタイルの多様性、無数の転換点が、1988年を無敵の年たらしめた。

ベストアルバム

  • Public Enemy『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』

  • N.W.A.『Straight Outta Compton』

  • Slick Rick『The Great Adventures of Slick Rick』

  • Big Daddy Kane『Long Live the Kane』

  • MC Lyte『Lyte as a Rock』

ベストソング

  • N.W.A.「Fuck tha Police」

  • Marley Marl, Masta Ace, Kool G Rap, Craig G & Big Daddy Kane「The Symphony」

  • Boogie Down Productions「My Philosophy」

  • Ice T「Colors」

  • Slick Rick「Children's Story」

躍進したラッパー
Slick Rick


1位: 1994年

その年を象徴するエピソード
Nasのデビュー作『Illmatic』がThe Source誌から最高評価の5本マイクを獲得し、ヒップホップの歴史を塗り替える。

The Notorious B.I.G.が批評・商業両面で成功を収め、OutKastがデビューアルバムで南部ヒップホップを全国区へ押し上げた。

2023年のIdea Generationで、Big Daddy Kaneは自身の転換点を語っている。1993年の『Looks Like a Job For...』は、Large ProfessorやTrackmasters起用にも関わらず期待外れに終わった。

Kaneはその原因をプロデューサーに求めたが、ある日、車に乗っているときにMethod Manの曲を耳にした。

その後、Nasのトラックが流れた。 どちらも"ビートの後ろで韻を踏んでいる"のが聴こえた。

その瞬間、技術的に最高峰のMCの一人であるKaneは気づいた。

「"お前"が問題だよ、まだ1988年のままなんだから」と。

1994年、ヒップホップは"偉大さ"の前夜にいた。ファンはKaneほどの洞察力を持ち合わせなかったかもしれないが、この年はGOAT議論の中核を担うアーティストたちの誕生を目撃する。

わずか5ヶ月の間に、史上最高峰のデビュー3作―Nas『Illmatic』、OutKast『Southernplayalisticadillacmuzik』、Biggie『Ready to Die』が世に放たれた。

彼らはリリカルさ、ストーリーテリング、圧倒的カリスマ性を融合し、新時代のスーパースター像を確立する。

Nasは5本マイクの傑作『Illmatic』で登場。商業的には当初不振とされたが、その影響力は計り知れない。

Q-Tip、Large Professor、Pete Rock、DJ Premierといったプロデューサーを起用し、スーパーヒップホップアルバムのフォーマットを確立しただけでなく、ラッパーたちに自分のリリックを「より洗練させたい」と思わせた。

Mobb DeepからCommon、Jay-Zまで、多くのアーティストが『Illmatic』に影響を受けて「スタイルを変えた」と語っている。

アトランタの胎動は既に始まっていたが、ティーンエイジャーのBig BoiとAndré 3000による『Southernplayalisticadillacmuzik』は、ATLをラップシーンの地図に刻み、彼らの独自のスラングを全国へ届けた。

東西支配のラップ界に新たな領域を開いた瞬間である。

しかし、この年の最大の衝撃はThe Notorious B.I.G.だった。

商業的成功とストリートからのプロップスを両立させ、Diddy(後の失墜はあれど)の手腕によってBiggieの荒々しさが和らげられ、チャーミングな一面が引き出された。

大変革と無限の可能性が交錯した1994年。

Biggieの「ヒップホップがこんなに遠くまで来るとは思わなかっただろ?」というラインは、もはや比喩ではなかった。

この年のリリース群は、ラップを正統な芸術形式として、莫大な利益を生む産業として確立させた。

1994年に向けた数年間で、重要な変化が進行していた。

ブーンバップ・サウンドが衰えつつある中、NasやGang Starrといったアーティストは、ジャンルが大きく変わる前にその純粋さを保持していた。

1994年を特別な年にしたのは、その偉大さへの途方もないポテンシャルだった——今も語り継がれるような本物の偉大さだ。

そして、30年後の今、その成功を見届けられないプレイヤーたちもいるが、彼らの存在は今も確かに感じられる。それが全てを物語っている。

ベストアルバム

  • Nas『Illmatic』

  • The Notorious B.I.G.『Ready to Die』

  • OutKast『Southernplayalisticadillacmuzik』

  • Scarface『The Diary』

  • Gang Starr『Hard to Earn』

ベストソング

  • The Notorious B.I.G.「Juicy」

  • Common「I Used To Love H.E.R.」

  • Nas「The World Is Yours」

  • Method Man「Bring the Pain」

  • O.C.「Time's Up」

躍進したラッパー
The Notorious B.I.G.

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