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100日後には会社を辞めて独立するデザイナー

100日後には、わたしは会社を辞めている。
フリーランスデザイナーになってみることにした。

気がついたらもう退職まで100日を切っていた。
本当はぴったり退職100日前になったらnoteでも書きはじめようかなとふんわり考えていたのに、あれ、ふと今日が100日前かな?と計算ツールで調べてみたらすでに残り97日だった。
あれま〜と思いながら「100日後には」という曖昧なタイトルにして書きはじめた。
このnoteを公開する頃には残り95日くらいだ。

2025年、かなり生き方が変わると思う。
どうせだからと約100日前のこのタイミングで、向こう数ヶ月の間に移り変わるキャリアについて思考などを綴っておくことにした。


本編に入る前に。
この場末なnoteを読んでくださる方にゆるしてほしいのが、この文章には論理的な思考よりも感覚を優先して書くことが多いだろうと予想されること。

わたしのこれまでのキャリアの積み方についても触れるとは思うので、もし同じくフリーランスデザイナーになることを考えている人がいれば、参考になるかもしれないけれど、
ハウツーみたいなものを書こうとは一切思ってないから、あまり参考にならないかもしれない。

どちらかというと自分が経験してきた、あるいは経験すべきだったのに経験できなかった、生々しくて泥臭いリアルを描きたい。
それゆえに後ろ向きな言語表現が出てくることも多いかもしれない。
ただ、本人は至ってとても前向きな気持ちでフリーランスになるので、そこだけは誤解なきよう、先に伝えておきたい。




グラフィックデザイナー歴6年、100日後には野に解き放されるらしい


急に知らない人がフリーランスになると聞いても、ふーんくらいにしかならないと思うので、
本題の前に、わたしがどんな人なのかを簡単に紹介しようと思う。

生まれと育ちは関西。
幼い頃から絵を描くのが好きで、美術系の大学のデザイン専攻を卒業し、新卒からデザイナーになった。
デザイナー歴はこの春で6年。
勤めてきた会社は2社で、どちらもデザイン制作会社だ。

わたしはデザイナーの中でも、「グラフィックデザイナー」と呼ばれる職種。

グラフィックデザイナーは会社や人によってやってることがさまざまだったりするが、
わたしの場合はパンフレット・ポスター・広告などのさまざまな印刷物、会社やお店やサービスのロゴ、そして近年はWEBサイトやバナーなど、視覚的表現が発生するところは割となんでもやる。

なんでもやるので、割とグラフィックなんでもやさんみたいな立ち位置だけど、強いていうならザ・グラフィックデザインの花形のゴリゴリグラフィックポスターみたいなものより、情報整理が発生するようなレイアウトが得意だ。

一緒に仕事をしてきたクライアントの業種もさまざまで、ユニフォームや雑貨などあらゆるメーカー、商業施設、出版、行政などなど……

たった6年だし、まだ20代なので、まだ業界的には若手と言えると思うが、6年やってくるとそれなりにいろいろな仕事をしてきたなと感じる。


そして。
5年と数ヶ月が過ぎたころ、ふと「会社辞めてフリーランスやってみよう」と思った。

わたしはずっと、自由に焦がれていた。

ここ数年、「休んだ!」という実感がない。
というのも、わたしという人間は、気がつけば自ら忙しくなるほうを選ぶきらいがあった。
高校の頃は生徒会に所属し、大学の頃は学祭や展示の責任者的な立ち位置に立つことが多かった。
これらはすべて自分で選んだはずなのに、自ら選んだその忙しさに窮屈さを覚えることが多かった。

どうやらわたしは、あれこれ手を出したくなる性分なのに、忙しいことがとことん向いていないらしい。というか、本来は「休息」を求めているらしい。わがまますぎる、というか、自分のキャパを理解していなさすぎる。

少し話から逸れるが、新卒で入った会社の入社前研修でレゴ シリアスプレイを用いた研修があった。
幼少の頃から親しんできたレゴを使った研修で、与えられるお題に対して直感で組み立てて内なる声を引き出す……みたいな研修だ。

そこで、「理想の働き方」というお題を与えられた。
研修の参加者はわたしの他にふたりいて、そのふたりが作ったものは、遠い記憶なのでちょっと曖昧だが、「この会社で成長していくのが楽しみ」といったような、これから訪れる「社会人」という立場にとても真面目に真摯に向き合う生粋の優等生のような内容だった。

一方。わたしはオフィス空間を作った。
ここは、みんなが働くデスクの近くですぐに休憩できるスペースで、ここは外に出てひと段落できるバルコニーで、ここは癒しのペンギンがいてーー
……という、入社前のキラキラした期待に満ちあふれた新卒生が作るものではないような、とことん「休息」に特化した空間を作っていて、「みづさんは、休みたいんだね」と研修担当の社員さんに言われた。
この子、大丈夫かな?と思われたんじゃないかと思う。
そう言われただけで、内定自体に何も影響はなかったが、わたしも入社前からこんな感じで大丈夫?内定取り消しになったりしない?と不安になった。

「やすみたい欲」を持っているとはいえ根はまじめなので、粛々と2社でキャリアを積んできた。
ついつい余暇も忙しくしてしまう性分は健在で、副業として個人の仕事を受けたり、友人と プロジェクトを立ち上げるなどして、
本業も制作会社とだけあって忙しいときはとことん忙しく、まとまった休みを得られない状態が1〜2年続いた昨年の秋ごろのタイミングに「休みたい!!!」という気持ちが爆発した。
とにかく自由になりたい。
自由になれば、好きなタイミングで休める。

休みたい=自由=フリーランスという等式はおそらく正しくはないのだが、とにかく、一度会社から解放されてみることが休むことにつながると思った。

もちろん、自由になりたいことだけがフリーランスになろうと思った理由ではないけれど、根本の思想に「自由への欲」があることが、この人生の節目とも言える決断の決め手になったことは間違いない。


自由を求めていたのに自由になるのがこわかった


わたしはこれまで、「この道筋に沿って生きれば足を踏み外すことなく、真っ当に生きることができる」みたいな、割と面白みもなくまじめに正統派な感じで生きてきたので、型を外れることがこわかった。

それなりに勉強ができたから、中学・高校とまじめに勉学に励み、大学ではきちんと単位を取得し、まじめに就職をした。
高校の同級生などの周りと少し違ったことといえば、絵が得意だったので美大進学、というやや特殊な大学を選んだだけで、とはいえ就職を見据えてファインアート系ではなくデザインを専攻したのだから、かなり将来を見据えたまじめな進路選択だった。
美大に行ったとしてもデザイナーとして就職さえすれば、食いっぱぐれることはないと考えていたので。

そんなふうにあまり冒険しないレールに沿って生きてきたから、フリーランスになる決断を数年前のわたしが聞いたら「コワ!大丈夫?心配じゃない?」と恐れ慄くと思う。
フリーランスみたいな先行きが不透明で不安だらけの世界になんで行くの?って。

以前は、フリーランスになることはまるで魔界で生きるようなものだと思っていて、デザイナーとしてしっかりキャリアを積んでデザイン業界にその名を知らしめた“““圧倒的な実力者”””のみが挑んでいいフィールドだと思っていた。
フリーランスになることを一瞬ちらと考えることはあれど、凡なデザイナーにとってはそれくらい無謀な挑戦で、自分には到底超えられるはずのない壁の向こうの話だと思っていた。

そんなわたしが、フリーランスの道を選んだ。

それくらい、制作会社勤めのデザイナーとしての5〜6年間は、この根っからの直進レール人間を180度変えて、見えていた地上の道だけじゃなく、「実はこっちの道も進めちゃうのか〜」と空中も水中も地中も歩けちゃうんだぜくらいの心境の変化を与えた。
いろいろ経験してきたからこそ、自由な道が見えてきた。

少々抽象的すぎたので、具体的なことを言うと、
4〜5年目のあたりでポツポツと副業で仕事を受けたり、友人とのプロジェクトをやるようになったのがきっかけで急に乏しかった人脈が拡張されてきて、
届かないと思っていた自由に自分も挑んでいいのかもしれないと思えるようになったことが大きい。


結局自由ってなんなんだ


わたしは仮説を立てた。
自由とは、「責任」なのではないか。
自分が抱える仕事の責任はまるごとしょっちゃったほうがより楽しめるのではないか。

わたしは今の社長に独立すると伝えたときにこの考えを伝えた。
「そうだと思うよ」

社長が言うならそうなのかもしれない。

これは本当に人によると思うので、わたし個人の考えによるところが大きいが、会社はよくもわるくも個人の責任の割合が低くなるようにできていると思う。
その人がいなくなれば会社が回らなくなるなんてことがあっては致命的なので、健全ならばそうあるべきだし、それはフリーランスにはない会社のいいところだと思う。

でも責任が分散することで、その案件にのめり込みきれてない自分がいるのではないかとふと思った。

スポットで一時的にお手伝いに入った仕事よりも、アートディレクターからおまかせ状態になっている、ある意味責任を負わされている仕事の方が楽しいと感じている自分がいた。

自由を享受するには、責任が必要だ。
それは、仕事においても休息においてもそうなのだと思う。

フリーランスになれば、仕事をどれくらいの時間にあてて、どれくらい休むのか。
それは完全に自分の責任になる。
それが、自分にとっての自由になるのではないか。

このあたりは実際にフリーランスをやってみないとわからない。


2025年のテーマは「自由」


そういうわけで、2025年のわたしのテーマは「自由」。
フリーランスになることで、本当の自由が手に入るかどうかはわからない。
でも試してみる価値はあるし、もしかすると今よりもっと仕事が楽しくなるかもしれない。

魔界に飛び込む不安は拭えないが、今は不安よりまだ見ぬ新しい世界へのワクワクが勝っている。
どんな景色が見えるんだろう。
怖くなってやっぱやーめたって早々に引き返すことはあるかもしれない。
だけど、しばらくはどう進むか自分なりに模索してみよう。


ここまで読んでいただきありがとうございました。
今後、みづがフリーランスになる上でやってきたことや思考などを発信していく予定です。
気ままな更新となっていくと思いますが、また読みたいと思ってくださった方はマガジンをフォローしてお待ちいただけますと幸いです。

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