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日記 恋をせずとも誰かに感謝をする人生

ヘッダーは富山で撮影した路面電車。かわいいね。

いつも「何もしていないのはよくない、何かを習慣化しなくてはいけない」という衝動に駆られていることに気づく。

ただ「習慣化してえな〜」という気持ちだけならいいのだが、そこに「自分が積み重ねた努力で肯定されたい」「褒められたい」「報酬が欲しい」などと“あわよくば”の気持ちが無限に膨らむのである。さながら泡のように。何も考えないで寝ることを目標にしてもいいのかもしれない。

どうでもいいけど、なんでも「さながら◯◯のように」って付け足すだけで化物語っぽくなる気がする。まあ、これもまた戯言、なんだけどね。

コミックエッセイが好きだ。テキストで書かれたエッセイは「他者の脳に直接ダイブしている」という感覚があるが、コミックエッセイはそこから「娯楽として加工する」という一手間が加わっている。真偽はわからない。ノンフィクションコミックとは書いていないし、エッセイの前にコミックなので。さながらジャンクフードを一人で食べている時のような、やけっぱちの気分で貪る情報だ。

でも「私のおっとり旦那」は面白かったのでおすすめです。

Twitter(現在のX)を始めたのはもう5年か、6年ほど前だと気づく。たった5、6年前かよとも思うし、そんなに長くSNSをやっていたのか、としみじみ思う。でも冷静に考えると、5年前の私って15歳なんだよな。いや、15歳って子供じゃん。ちびっこじゃん!?ちっちゃいもの倶楽部の会員では!?

当時の私は15歳だったが、実はその時点でけっこう色々大変な出来事を経験していたりする。それこそ、15歳の女の子が一人で全部背負っているとは思えないような経験を色々。詳しく知りたいなら、私の過去の記事を色々読んでみるのがおすすめですよ(広告)。

なんというか、そりゃあTwitterで知り合った仲のいい人がみんな私のことを心配するわけだと、今更気づく。ちなみに今は超元気です。というより、今が人生で一番精神も身体も健康的なまま安定している気がする。

でも、変に心配され、あれこれアドバイスされたり、子供っぽく甘やかされるよりは、一人の人間として対等にそっと放置してくれるみんなの事が私は好きだった。今もインターネットのみんなのことが大好き。

みんなには美味しいものいっぱい食べて、全身がもちもちになって、好きなオタクコンテンツを追いかけたりくだらない話をしてみんなで笑い合ったりして、それで幸せになってほしい。この“インターネットのみんな”には、この記事を読んでいるあなたも含まれています。

幸せになる、ということは「他者を心からリスペクトできる」という事だと思う。もちろんそれ一つだけとは思わないけど、少なくとも幸せの中身にはそれも含まれていると思う。尊敬といっても、ただ見つめるだけではなく、お互いに自尊心を与えあう関係になるという感覚。自分と他者、お互いのことを、信頼しつつも人間として対等である、ときちんと思えれば、みんなハッピーになれると思うのだ。

簡単にはいかないけどね。

だから、恋人を作って愛し合うことも、友人同士で集まって仲良くやることも、世間では「幸せ」と言われているが。その「愛し合う」「仲良くやる」というところにはお互いのリスペクトがなければいけないと思うのだ。愛するということは、自分自身を相手に癒着させるのではなく、相互関係としてパスを繋げることだから。

私もなるべく、他者を「自分の理想を投影した都合のいい依代」として見ないようにしたい。自戒の祈り。

色々言ったけど、結局は「恋をして愛し合って夫婦になって子供が産まれそれからも血が繋がっていく」ということだけが、人間の幸福ではないよな。けれど、それをどう他者に伝えればいいのか、と日々悩んでいるのです。

人は他者と繋がることで初めて健康になれる生き物だから、基本誰かと繋がっていた方が生存率は上がるし、安心感も得られる。だが、その「ちょうどいい繋がり」の距離感も人によって異なるから、難しい。恋愛するだけが幸せの道じゃないぜ!と言いながら私も恋愛してるしな。

でも、人は生身のものに恋を知るだけが人生じゃないよな。星野源も、昔流行ったあの歌で「恋せずにいられないな 似た顔も虚構にも」って歌ってるし。

一人の人間にラブコールを送るのも人生だし、たくさんの人に愛を捧げるのも人生だ。虚像にプラトニックな愛を注ぎ込むのも人生だし、何にも熱中することもなく、常に平熱のまま人生をのんびり生きて、低空飛行でそのまままったり消えていくのも人生だ。

人生のフローチャートは大きすぎて、たった一人じゃ知りきれない。だからこそ、常に感謝とリスペクトを込めて相手の幸福を祈るのだ。

日記要素が足りないけど書く事があんまりない。

スターバックスで深煎りの豆を買ったら、前に無印良品で買った豆と比べ、ミルで挽く時に豆がめちゃくちゃ柔らかい(ミルの内部でガリっと引っかからない)のでびっくりした。そして実際に飲んでみたら、スターバックスで飲んだ時そのままの味がして、コーヒー豆の味って違うんだ……と、改めて気付かされた。

最近コーヒー淹れたり豆を探したりするのハマってるんだよね、と好きな人に言ったら「おしゃれな趣味だな」と返され、嬉しかった。でもカフェインを摂りすぎるなと、釘を刺された。ふふふ、私は紅茶を淹れるのも好きなのだよ。

最近はコーヒーを淹れているが、理由は単純。アイスコーヒーは、アイスティーより作るのが簡単だからだ。アイスティーは専用の茶葉や道具、淹れ方を選ばないと、ホットより茶葉の味が薄くなってしまう。けれど、コーヒーは若干味が薄くなってもあまり味に変化はないので、夏場はコーヒーの方が作りやすい。なので、いっぱい作って飲む。飲み過ぎ注意。

空の色や、風の匂いが秋なのに、普通に気温が暑すぎてヤバい。暑すぎる。この世界は何かおかしい。

好きな作家さんが出展している展示を見に、ギャラリーへ行ったらちょうど休業日だった。かなしい。仕方ないから喫茶店で紅茶を飲んでいる時、紅茶の味に集中できないほどお腹が痛くなってしまった。のですぐ家に帰った。かなしい。元気な時に行かないとね。

産まれて初めて、自分の意思でボロネーゼを食べた。トマトソースの味がする食べ物への、抵抗がなくなってきた気がする。脳の構造の都合で、安心感を求めていつも同じ味がする食べ物を食べてしまうが、こうやって「食べられる味」の選択肢を広げられるようになってきた自分が嬉しい。そして実際、今まで知らなかった美味しいものに巡り会えるとハッピーになれる。

私の記事、最近ずっと文字数が多い気がする。長い記事と短い記事みんなはどっちが好き?

今日はこの辺にしましょうね。読んでくれたあなたに、感謝とリスペクトを送ります。読んでくれてありがとう。

またね。

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