
つとめて個人的な雑記 「あなたを確かめるただ一つの証明」
今更ながら「ブループラネット」を聴いていて、私がかつて初音ミクという存在に抱いていた苦悩を思い出す。今となっては懐かしい記事だ。
ありがたいことにこの記事は拡散され、Xなどでたくさんの人の意見や感想をいただいた。本当にありがとうございます。改めて見ると拙い内容で文章も下手ですし、恥ずかしいですね。
しかし結果として、私がこの頃抱いていた思いは杞憂だった。あれから時の流れと共にプロセカが好きな人、歌い手が好きな人はそれぞれのコミュニティのの中に収まるようになったし、初音ミクは初音ミクとして確かに存在し続けている。ポケミクとか、もう最高でしたね。ありがとう、クリプトンフューチャーメディア。しかし、私は未だ砂漠の砂嵐に囚われた悲しきオタクであるのもまた事実。
具体的に言うと、「ドーナツホール2024」を未だ素直に消化できない自分がいる。そして、その葛藤をどこにも吐き出せないという苦しみもあった。あれだけクオリティの高い映像にゴディバの商品展開だとか、ファンの「ハチが帰ってきた!」という大歓声にケチをつけるわけにはいかないのだ。
いつまでもどこまで行っても私はただの中卒うつ病ニートでしかないし、たまたま小学生の頃からボカロが好きで、たまたまハチ時代の彼を知っているだけだ。ただそれだけの、何処の馬の骨ともわからない奴が声高らかに“あの米津玄師”に批判的なコメントを残すのはどうかと思う。
しかし年も明け、ややほとぼりの冷めた今だからこそ、「ドーナツホール2024」についてのモヤモヤ感を極めて個人的な日記という形で残そうと思う。この記事はあくまでも個人の備忘録であり、考察でもファンの大多数の意見でもなんでもない。よろしくお願いします。
備考:私が以前にnoteにて初音ミクの話をしたのでミクさん寄りの偏った話をしていますが、もちろんGUMIちゃんもそれ以外のボーカロイド(広義)のみなさんも大好きです。インターネット上における「ボーカロイド」という文化全体が抱えていそうな問題についてやんわりと不安を綴るだけの記事です。
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「ドーナツホール」という楽曲の説明に関しては、アットウィキ内のWikiページ「初音ミクwiki」様から一部を引用させていただく。
作詞作曲編曲:ハチ
動画:ハチ(オリジナル版) Production IG(2024版)
唄:GUMI
ハチ こと 米津玄師氏 のボカロオリジナル曲投稿は、実に約2年9ヶ月ぶり。
米津玄師の2ndアルバム『YANKEE』に、この曲の本人歌唱バージョンが収録されている。
2024年9月30日午前10時に、YouTubeとニコニコ動画に新MVが投稿された。
ハチ氏のアカウントによるニコニコ動画への投稿は、2017年7月21日の「砂の惑星」以来、7年ぶり。
まず「砂の惑星」が投稿されてから7年経つ、という事実に震えている。こわい。時の流れこわい。……私は2017年のマジカルミライはマジで最高だったと思うし、良くも悪くもボーカロイドというカルチャーに、“米津玄師”という音楽会の天の頂から雷撃が降ってきたような衝撃が確かにあったと個人的に感じる。その後のテーマソングもボカロ曲も名作がたくさん生まれたし。けれど、やめろーっ!ボーカロイドは争うための楽器じゃない!俺とボカロバトルで勝負だ!……みたいな風潮が最近まで続いていたな、という気持ちもなくはない。
とりあえず、ここでは「砂の惑星」に関してはここまでにしておく。
ちなみに私が参戦したマジカルミライは2019年が最後である。なぜかと言われると、それからしばらくコロナウイルスの自粛期間が発生し、その後も個人的な都合でライブに行くという行為がほとんど難しくなってしまったからである。仕方ねーだろ!ミクさんが好きだからって、全員が全員ぜんぶのマジカルミライ行ってると思うなよ!
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……さて、本題に移ろう。まず、ドーナツホール2024に関する個人的な消化不良ポイントを挙げてみる。
1 あくまで“新MV“が中心であり、原曲「ドーナツホール」の令和最新版リメイクやリミックス、アレンジではない。
2 映像がハチ自身の手がけるものではなくなっており、また、全然知らないバックストーリーがいきなり生えている。
3 それなのに何故かメチャクチャバズっており『ハチの復活』として話題になっていた。
note記事として成立させるにはこれをそれぞれ段落に分けて書くべきとは思うのだけど、この3点について言いたいことはほとんど被っているのでそのまま書く。
まず私は、原曲のドーナツホールが大好きだ。ハチ自身が手がける原曲のアートワークも大好きだし、米津玄師名義のアルバム「YANKEE」に収録されているセルフカバーも大好きだ。私は彼の、多くを言葉で語らず音楽そのものに説得力を持たせるスタイルが好きだ。
しかしそれ故にどうしても(これはどんな芸術にも言えることだけど)、本人のメッセージよりも、それを受け取る私自身の解釈によって、曲の中で描かれる物語が決まってしまう。これはただただ私個人の問題でしかないので、私が自分でボカロP自身の解釈を受け入れるか、離れるかして解決するしかない。
でもさァッ……なんか、こう……!あのさっ……言うのは簡単だけどさ……!なんか、今時しょうがないってのもわかってるけど……さァッ…!だったら「久しぶりに“ドーナツホールを“作りました」じゃなくて「新しくMV作ってもらったから見てほしいなぁ」みたいに言ってくれても全然いいじゃないかっ……!?って思わないの!?なんでボカロファンはみんな「俺たちの黄金が帰ってくる!」みたいな素振りをしていたんだ!?
いや、音質を良くしたり、歌詞を修正していたり、そういう音楽のクオリティもよくなっている部分があるのは、確かだ。確か、なんだけど。やっぱりメインとなる大きな変化は「映像が変わった」という点であって、なんか、みんなそれでいいのか?映像さえよければいいのか?でもアートワークやビジュアルイメージあってこそのボカロ文化だから否定もできないし……という葛藤が常に、ある。
たぶんおそらくハチさん自身も監修はしているんだろうけど、でもハチさん自身のキャラデザでもハチさん本人の絵でもないし、でも映像としてのクオリティは確かに大幅に向上しているし。確かに「米津玄師が出すミュージックビデオのアニメーション」としてはここまでの規模で出さなくてはいけないのもわかる。
でも……でも違うんだよ……!これは「ハチの動画」でもないし、当たり前の話だけどこれは「南方研究所の作品」でもないんだよ!あの頃は戻ってきてないんだよ。
私はオリジナルの「ドーナツホール」に突き出たあのハチさん個人の音楽性が、あの時代のニコニコ動画のアンダーグラウンドな小規模な雰囲気が、米津玄師が久々にハチを名乗った!という空気感含めて好きだったのに、今になってあのときの音楽だけを令和に持って行かれて、あたかも「これが俺たちの新しい世界だ!」みたいな顔されても正直反応に困る。過去がいい、今はいい、とかそういう話ではない。今に合わせた映像を作るなら今に合わせた音楽にしてくれ。思い出の中でじっとしていてくれ!
なんというか、遠くに離れていってしまった友人の写真に「久しぶり!会いたかったよ!」と音声や口パク動画を付け足しているような気持ち悪さを感じてしまったのだった。なんかそういうAI生成の動画とかあるじゃん。なんか、そういう、どうにか“懐かしい気持ち”を強制的に刺激しようとしてくる不気味さ。
こういう感情も、結局は私の感受性が枯れ落ち、砂漠の砂粒に溶けてしまっただけ……なのだろうか……
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2024年のボカロシーンといえば、サツキ氏による「メズマライザー」のメガヒットや、そのアンサーソング「オブソミート」も記憶に新しい。「オブソミート」のシニカルに尖りまくった歌詞や、“次々運ばれる美食を咀嚼せずに飲み込む”というMVは初音ミクなどピアプロキャラクターのアートワークやビジュアルイメージあってこそのボカロ文化だからこそ「音楽に何の関係もない、ジャケットや動画のイメージさえよければいい」というヒットソングや人気アーティストが抱えるジレンマが強く現れることを私は痛感した。
ボーカロイドという文化は確かに「ニコニコ動画」だからこそ栄えたのだけど、だからこそボカロPたちは“動画”というメディアに、どうしても縛られがちだ。そう考えると、無色透明祭ってニコニコ運営にしてはかなり尖った実験的なイベントだったな……またやってほしいね。
まとめると、今回私がとにかく書き残しておきたかったのは「オリジナルのドーナツホールは好きだけど、新MVによっていきなり物語生えてきたせいで、私が『ドーナツホール好き!』と言ったときにその新MVの物語も好きってことにされるのは……なんか違う!」ということです。
というわけで、ドーナツホール2024についての個人的な感情はここで終わりにします。読んでくれてありがとう。え?プロセカ?プロセカ関連楽曲?それに関しては全くやっていないので知りません。何も言いません。
それではさようなら。