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日記 痛覚残留←カッコ良すぎる日本語(ニューヨエコを聴いたとか毎月の痛みがもたらすものとか)

ヘッダー画像はAIばりぐっどくんに生成させたものです。

昨日は、どうしようもない疲労と腹痛を鎮痛剤で紛らわせてクトゥルフ神話TRPGのゲームマスターをやっていた。無事にシナリオは完結したがそこで私は真っ白に燃え尽きたので日記記事を書いていない。ストレスで歯茎から血が出ているし、今は内臓からも血が出ている。

月のもので一番つらいのは寝起きだ。寝る前に飲んだ鎮痛剤はちょうど切れているし、いくら眠くても怠くても目が覚めたのならなる早で服を汚さないようにするためのアイテムを交換しなければいけない。それでも全身が重いし、痛いし、動けない。

これで全てのホモサピエンスのメスが全く同じ苦痛を味わっているのならまだ許せるし、対策が講じられているのだろうけれどもこの痛みは個人差がある。それが最悪なのである。今(正午くらい)やっと起きて、ヨーグルト食べて、鎮痛剤を飲んだ。もう少しすればこの苦痛は消えるだろう。

倉橋ヨエコ改め、ヨエコさんのアルバム「ニューヨエコ」を聴いている。YouTube musicで。CDを再生する機器は持っているが、やっぱり音楽はスマホやタブレット端末で再生することの方が多いのでサブスク配信してくれたのはとてもありがたい。

「ニューヨエコ」は「倉橋ヨエコ」時代の曲をアレンジして現在の「ヨエコさん」としてセルフカバーしたものがほとんどだが、原曲は目の前の絶望や暗闇、思い通りにならない感情と向き合っているような曲調なのに対し、このアルバムでのアレンジ版は絶望や暗闇の、その先にある光を見据えているような情景を感じさせてくれる。ヨエコさん、またあなたの歌を聞ける機会を作ってくれてありがとうございます。

「友達のうた」「夜な夜な夜な」は私が人生で初めて遭遇した恋愛感情と鬱に悩まされていた頃に出会った曲だ。自分の苦痛や暗闇を、どろどろしたネガティブな好意を否定しなくてもいいという姿勢に感動し、救われたのだ。とにかく「ニューヨエコ」もそのアレンジ元になった原曲も良いので是非とも聴いて欲しいです。ほとんどYouTube musicで聴けるから!

日記要素はここまで。ここからは寝起きの鬱屈した頭で考えていたことを記す。

2つの夢を見ていた。
自分の知らない誰かに優しく抱きしめられながら、でもお前にはもう相手がいるんだろ?と笑われて後ろめたさを感じる夢。もう一つは好きな人との子供ができて、子育ての準備をする夢。所詮夢なので細かい内容はメチャクチャだし、現実では絶対にあり得ないようなものだ。それでも、夢から目覚めてから、自分の将来とか、自分の子供や家族を作ることについて考えてしまった。

私だって今自分が好きだと、大事だと思っている人間のことをみんな忘れて、いつかは別の誰かと平凡な幸福を生きるようになるのだろうか?

ただ愛し合いたい存在ではなく、守ったり支えなければいけない家族が自分にできたとき、自分は本当にその小さな「家族」という集団(あるいは、枠組み?)を守り続けることができるのだろうか。

正直に言うと自信はない。色々精神疾患も障害もあるし。今は学生で、親の脛かじって実家に巣を作って生きてるし。そもそも複数の人間と共同でなにか活動するという行為そのものが私は(自分のストレスを無視してやろうと思えばできるんだろうけど)苦手だ。

「反出生主義」という概念や、自分が障害を持つ家族から受けた色々な理不尽、他人と関わることで発生する避けられない苦痛なんかを知っているので、子供を授かる、家族を作る、群れの中に混ざって活動するという行動が「今の自分」に向いているのか、本当にやっていけるのか自信がない。

他人を俯瞰して眺める、ただ目の前に広がる視界を見つめている。それでも自分の内側には虚無と悲観しか残らない。ニヒリストと名乗るには少々感情的で躁鬱の波が激しすぎる私の気持ちを受け入れてくれている(と私が勝手に信じてる)相手は基本的にインターネットというか、SNSの画面越しでなければ喋ることができない。コミュ障だからとかじゃなく、物理的にお互いの住んでいる地域が遠い。

それでもSNSという存在によって私は随分と助けられたと思う。同時に性格は歪んだが、自分の本当の気持ちに気づくきっかけにもなったし、自分の現状をネット上の人間から「今のあんたを囲っている連中はおかしい」と教えてくれたのはありがたいと思った。

今の理解ある人間も私がネット上でずっと興味を持って6年くらい見つめていた相手だ。気づいたら友達より上位の関係になってた。私はお前のメンヘラストーカーだぞ?逃げろよ。

しかし、そんな相手もまだ「SNSの画面越し」でなければ話し合うことができない。本当の生身の私と何ヶ月も何年も一緒に過ごすことになった時、友人ならば一緒にどこか出かけたりお茶した時に液晶越しでは伝わらない私の悪い部分がはっきり見えて、お互いのことが嫌いになっちゃうんじゃないか……とか思っちゃったりする。ずっと自信がない。

自信がなくても元気がなくても鬱屈してても躁状態の自分に踊らされていても人生は続くのだ。

今日はここまで。さようなら。