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エッセイ ちっちゃな私を抱っこする

自分とは違った感性を抱いている、未来の自分自身に向けて手紙を書く。日記とはそういうものだと思っている。

いま未来の自分への手紙だと言ったが、日記とはそれと同時に過去の自分への返信でもある。

私の心の隅っこの方に、小さい頃のまま、辛い記憶の場所で立ち止まったまま縮こまっているちっちゃい自分自身がいる。昔は、こういう自分は大人になると勝手に消えていくのだと思っていた。

でも、思ったよりそいつは頑固だし、なんなら嫌な記憶の部分の嫌さだけが誇張されていくのである。それで余計に自分が嫌になっていた。

けれどいろいろな人の本を読むにつれて、そいつへの対応を少し変えよう、という気になった。

そのちっちゃい自分のそばでしゃがんで、そいつを抱っこするのである。

具体的に言うと、過去の自分自身の記憶や、その頃の己の人格を肯定する。否定しても肯定しても過去は変えられないが、自分を否定した、という事実は常に「今」のものである。なら、その今の自分は過去を肯定すべきだと思ったのだ。過去に戻ることはできないが、過去がなければ今は存在しないのだから……

「なにかロジックがあるわけではないが、なんとなくヤダなと思った」
「さみしかった」
「辱めを受けたようで嫌だった」

そういう過去の思い出を「あのときは子供だったから」で済まさず、一旦そのまんまで受け止めてゆっくり噛み砕く。そうすると、つられて涙が出そうになる。が、ここで「自分は大人だから」と堪えてはいけない。泣きたいという感情も自分自身のものなので、その気持ちをそのまま外に露出させるのだ。

しばらくすると、何もしていないはずなのにどこか気分がすっきりしている。そうしてやっと、今の現実を生きている自分自身にピントが合うのである。

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