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おもしろい事が言いたくて


みゆです。

私は、記事を書く時にどうしても、どうしても、オチを付けたいと思っています。一言おもしろい事を書いて、落としたいという欲求が常にあります。記事を書く時には、あまり構想を練る事無く、思いつくまま書いています。なので、オチが付いてぴたっと終わると、すごく満足してやりきった感で胸が一杯になります。でも、オチが付かずにぐだっと終わると、なんだかもやもやが残ります。

皆さんの記事にコメントをする時もそうです。
真面目な記事には、当然ですが真面目なコメントをします。だけど、おもしろい記事には、どうしてもおもしろい事を書きたいと思ってしまうのです。どうかすると、コメントを10分くらい考える事も度々です。
ああ、その割にはおもしろくないじゃん、なんて言わないで下さいね。もう、私はガラスのエース三杉淳のような傷つきやすいガラスのハートの持ち主なんですからwww

最近はコメントで大喜利を考える事もあるので、ますますおもしろい事を書かなくちゃと意欲を燃やしてはいるのですが。いかんせん、大喜利は難しいですねぇ。私など、まだまだひよっ子ですよ。ほんと、おもしろい事が書けるようになりたいものです。

そもそも、どうして私はおもしろい事に拘るようになったのでしょうか。
ちょっと、その辺りの事を書いてみようと思います。


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私の母は兵庫県の西宮の人で、働く様になってからは大阪に住んでいました。父は働く様になって名古屋に行き、その後大阪に住むようになりました。その後、二人は結婚して私と弟が産まれました。

そのためか私が小さい頃から、よく二人でおもしろい事を言い合っていました。たぶん、今でもそうです。
テレビ番組でも、新喜劇とか漫才とかをよく見ました。
そんな事が私のベースにあるのかなぁと思います。

私が小学校の高学年の頃、漫才ブームが起こりました。
あの頃は、のりお・よしおやザ・ぼんち、春やすこ・けいこ、ツービート、B&Bなどの方々の漫才をよく見ました。あまりにブームでレコードを出す芸人さんがたくさんいました。

お笑いスター誕生なんて番組もあって、そこからは、コロッケやとんねるずなど今も活躍されている芸人さんがたくさん出てきました。

その後は欽ちゃんの番組がたくさん放送されたり、8時だヨ!全員集合の裏番組としてオレたちひょうきん族も放送を開始しました。そして、とんねるずが大ブレイクしたりして。私はお笑い番組を見るのは大好きでした。

で、私自身はというと、自分からおもしろい事をしたり言ったりする様な人ではありませんでした。ちょっと人見知りも入っていましたから。
仲良くなって、心を開いた子とは、それなりにおもしろい事を言ったりはしていましたが。
でも、どちらかというと私の話し方をおもしろがってもらえるような、そんな感じでした。素の私の話し方は、ちょっと鼻にかかった舌足らずな感じなので。山瀬まみさんっぽいって言われます。

そんな私がおもしろい事を言いたくなるのはもう少し後のことなのです。

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それは、仕事をし出して2年目の事。
その頃は、少し前に突然キャラ変をしていて、私は「大人しい何だかよく分からない人」から「妹的な立ち位置」に変わっていました。それは、「いつも元気でちょっといじられたりするけど、先輩達にかわいがられる」という感じでした。先輩達と楽しくしゃべっている時に、ちょっといじられたりするとボケてみたりとかという話術みたいなものを少しずつ磨いていくのでした。

そんな時、後の親友になるHちゃんが中途採用で入ってきました。
Hちゃんは、ハキハキとした感じのキレイな子でした。私と同い年という事もあり、話をするようになったのです。そんなHちゃんなのですが、ある時彼女の口から耳を疑う言葉が出てくるのでした。

「飛んでも8分歩いて10分」

それを聞いた私は???とはてながいっぱい頭に浮かびました。飛んでも8分って、昭和の時代のギャグではないですか。キレイな顔して、こんな事を言うのかと驚きました。ああ、これも当時の私達に言わせると「驚き桃の木山椒の木、ブリキに狸に洗濯機」なんですけれどw
Hちゃんは、どうやらおもしろい事を言うのがお好きな子のようで。

とんでもはっぷんとは日本語の「とんでもない」と英語「never happen」の合成語で、「とんでもない」「まさか」といった意味で使われる。もともと戦後の学生間で使われていた言葉だが、後に獅子文六が朝日新聞に連載した長編小説「自由学校」で使用。更に同小説の映画化の際も使用し、流行語となった。1980年代には派生語「飛んでも8分歩いて10分」という言葉も生まれている。

日本語俗語辞書より

驚き桃の木山椒の木とは『驚き』からくる地口(下記註参照)で、驚きをあらわす以外の意味は特にない。驚き桃の木山椒の木ブリキに狸に蓄音機と続くこともある。
いつ頃から使われたかは不明だが、映画『男はつらいよ』の口上のシーンで主役の寅さんこと車寅次郎が使ったことから広く浸透。その後、タイムボカンシリーズの『ヤットデタマン』でも使われるが、ここでは驚き桃の木山椒の木ブリキに狸に洗濯機という形になっている。
いずれにしても現在は死語になっており、若い世代のあいだでは使われていない。

日本語俗語辞書より


そんな事があり、私達は一気に仲良くなりました。会社でも、いつも2人1組で扱われるようになりました。そして、私も彼女に負けないようにおもしろい事を言わなくちゃと考えるようになったのでした。切磋琢磨して私達は、いつも2人でボケ倒して会社で笑いを取っていました。笑いの腕を磨くだけでなく、もちろん仕事もきちんとやっていましたよ。私はやればできる子なのでwww

私達は、分かりやすいベタな笑いが大好きでした。新喜劇なんて2人とも大好物でしたね。そして、以前も記事にした事がありますが、引越のサカイのCMが大好きだったのです。♪勉強しまっせ引越のサカイ〜とエレベーターで歌うやつです。

その後私は、転職をしました。Hちゃんも転職をしました。なので、2人がコンビを組んで仕事をしていたのはわずか1年ほどです。けれど、私達は仕事だけではなく、プライベートでも濃密な時間を笑いと共に過ごしたのです。


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その後、転職先でもなぜか妹的な立ち位置で、みんなにかわいがってもらいました。
いつも元気なキャラで、いじられていましたよ。そりゃね、いつも元気でいられるわけではありませんでしたが、私はやりきりました。もちろん、おもしろい事も言っていましたよ。その頃には、自分でツッコミをして、その後ボケる所までいきました。

そうやっていると、段々認められて仕事もやりやすくなるっていうものです。中には「お前は頭の回転が良くて、話していてもおもしろい」とやけに気に入ってくれる人もいたものでした。

それからは、どこに行っても妹的な立ち位置でやっています。おもしろい事を言う腕は最近ちょっと落ちてきたような気がします。
だから、今非常に焦っています
記事を書いたり、皆さんと交流する上で、おもしろい事を言うスキルってものすごく必要なんじゃないかと勝手に私は思っています。

そして、私は自虐ネタで笑いを取りに行く事もありますが、同じ事を人に言われると傷ついちゃうというめんどくさい奴でもあります。それは、HSS型HSPだから。自分で言うのはいいんですけどね。


長々と書いてきましたが、今回は落とし所が分かりません!!
どうする、私!?
結局、おもしろい事は好きなので、記事で書いていきたいし、皆さんと楽しく交流したいし、大喜利でも腕を上げておもしろい事を言いたいって話ですね。
ああ、ほんと私、何を目指してどこに向かおうとしているのでしょうか。自分でも良く分かりませんね。
これからもおもしろそうな所には首を突っ込んでいくスタイルで参る所存でおりますので、皆さんこれからもどうぞよろしくお願い申し上げます♡


今日も最後まで読んで下さってありがとうございます♪


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