たった一度だけでも、抱きしめられていたら。
いわゆる私は愛着障害らしい。
愛着障害とは、養育者との愛着が何らかの理由で形成されず、子供の情緒や対人関係に問題が生じる状態です。 主に虐待や養育者との離別が原因で、母親を代表とする養育者と子供との間に愛着がうまく芽生えないことによって起こります。(愛着障害とは?引用)
アタッチメント障害とも言われています。
簡単に言えば、乳児期〜幼児期の間に、親、または養育者に代わる人物から十分な愛情を注いでもらえなかった子どもたちがこじらせちゃうやつです。
私は別に身体的な虐待を受けていた訳ではありません。
言葉の暴力はたくさん受けました。
親は「愛情」として私に向けた言葉が、
私にとっては刃となり、今も心の深いところに刺さっているように感じるのです。
ここで、エリクソンの発達課題を見て見ましょう。
(© QUICK CO.,LTD.「エリクソンの漸成的発達理論」引用)
発達段階は全部で8つ。
ここで愛着障害が起きるのは「乳児期〜幼児期」です。
学童期も、低学年ならまだありえる話で。
わかるのは、「親がいないと何も出来ない幼い子ども」であること。
私はこの時期に、様々な嫌なことをされました。
乳児期の発達課題は「信頼VS不信」
つまり、「自分に接する人物が信頼できるか否か」を見極めています。
初めて見るから泣くし、安心できれば笑う。
これが言葉を発せない乳幼児が相手を確かめる方法です。
さて、この時の私には母親がいませんでした。
ついでに父親は働いているため、子育ては祖母のワンオペ育児で私はすくすく育ちました。
おかげで父親は子育てという子育てに参加してないために、私のことを「親子って感じじゃない」と笑う始末。
そんでもって幼児期〜学童期。
ここでは恥などの概念が生まれていますが、さて。
お風呂を覗かれたりでしょうか。
けっして幼児性愛とか近親相姦ではなく。
本人はじゃれているつもりだったと思います。
でも私には「恥」がある。
当時小学生だとしても、私の心はいつも嫌悪感でいっぱい。
今もなお、父親の前で少しでも肌を晒すことに対して忌み嫌ってしまう。これも立派な虐待行為です。
そんでもって、父親はいつも嘘ばかりいいます。
約束を守りません。(いつも2時間は遅刻)
遅刻は、私以外の他人に対しても頻繁に行われていて。
人を待たせて申し訳ないという感情が欠落している親を見て育ったからか、30分以上前に待ち合わせ場所にいないと落ち着かなくなりました。
「愛されたい」
いつしかそう呟くようになったのを覚えています。
大学進学を転機に、逃げるように上京してきました。
親の背に包丁を向けた時から、ここにいてはいけないと思ったのです。
人からぬくもりを貰えるようになってから、少しずつ「愛」というものが分かってきた気もするし、
固着してしまっている気もします。いわゆる依存で。
ただ、私が欲しかったのは親への愛情ではない。
いつも否定されるから、認めて欲しかっただけ。
祖母には、その役割の大半を投げてしまっていました。
祖母のことは「お母さん」と呼んでいます。
私の育ての母です。何も間違ってない。
だからこそ、心許せる相手がいることに、祖母は安堵していました。肩の荷を下ろしてあげる事ができた。
20数年間、申し訳なかったと思います。
祖母がいなければ、私はもうとっくに壊れていました。
「親を大切にする」
私にはそれがわかりません。
これから先の未来は、私自身が作りたい。
もちろん肉親は大切にすべきだと思います。
でも私は大切にされなかったから。分からなくて。
分かりたいけど分からないのがつらいのです。
私の将来の夢は、
私の未来の子どもが「生まれてきてよかった!」と心から笑ってくれることです。
そう言ってくれたら、私が生まれてきた意味がわかる気がする。
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