「結婚」という「選択」のお話
人生にはいくつかの節目がある。
毎年迎える誕生日や、入学・卒業
入社・退職など、さまざまな節目が。
そんな中でも私は先日、独身という一つのチャプターに幕を下ろした。
令和2年2月22日、極めて珍しい4つの数字が揃う日に
生涯のパートナーと無事入籍した。
※ちなみに次、年号込みで4つ以上の全く同じ数字がゾロ目で揃うのは「令和11年1月1日」になるので、かなり珍しい。
「20代で結婚して1人子供が欲しいな」
という漠然とした気持ちはあったものの、このタイミングだとは思っていなかったから、去年プロポーズを受けた時は心底驚いて「え?」と聞き返してしまったほどだった。
ようやく実感が湧き始めたのは、両親を始め、順に周りにご報告をしていくタイミングで、「ああ、結婚するんだな」とくすぐったい気持ちになった。
そして私たち夫婦はこれから私(妻側)の名字を名乗ることになった。
実は、私の両親も全く同じ境遇で結婚した後、父が母の苗字になっている。
全く暗い話でも、重い話でもないので細かい話は割愛するが、家族の事情もあってこういう運びになった。
当事者になって感じたこと
ただ、結婚して私の苗字が変わらないことを伝えた時に
周りに驚かれるのもまた事実である。
男性が改姓するのは日本の5%でかなりマイノリティだ。
私も結婚するとなると、当たり前のように「苗字は何になるの?」と言われるが、まぁ、そりゃそうだよな、と。
今の日本社会は、当たり前のように多くの女性が改姓するし、日本の法律は夫婦別姓を認めていないから…。
改姓はアイデンティティが失われるみたいで悲しい...という女性の声も少なからず聞くにもかかわらず、既婚のカップルでも、案外日本の婚姻制度について知らない/関心がないケースは多い。
そもそも、婿/嫁という法律自体は、戦後廃止されているから、今言われている「嫁に行く」「婿をとる」などは、言葉だけが残っているだけで、夫婦は新たな戸籍の元、平等なものとして扱われている。
「夫婦は平等」と謳っているのにも関わらず、やれ「男なのに苗字が変わるのは何事だ」「嫁に行ったんだから〇〇家にふさわしい立ち振る舞いをしろ」などというやりとりがあるのは、全て昔の制度の名残を新しい時代の若者に刷り込ませているだけなのである。
そして時にそれが、彼らを縛り、苦しめていることに、一体どれだけの「ステレオタイプ人間」たちが気づいているのだろう?
本当に伝えたい「選択の自由」のこと
念の為断っておくと、私はこの文章で、決して「女だけが改姓する風潮はおかしい!」というフェミニズムを唱えたいわけではないし、はたまた「男性が苗字を変えることは男女平等が進むから素晴らしい!」と賛美したいわけでもない。
先進国で、男女別姓を認めていない国は非常に少ないのにも関わらず、日本では許されていないことが、単に悲しく、そしてそれが当事者以外には多くの場合なんの関心も持たれず、議論もされずに終わってしまうのが歯がゆいだけだ。
これは結婚する・しないに関わらず、「選択の自由」という人間として当たり前のことが許されていないということ。
人生という階段を自分が一番納得感のある状態で登っていくための選択肢が、日本に生まれ落ちた時点で狭められているということである。
相手の苗字を名乗りたい人、名乗りたくない人、婚姻届を出したい人、出したくない人、それぞれが婚姻のスタイルを選び、それが当たり前に存在するものとして扱われる世の中を願うのって、そんなに贅沢なことなのだろうか。
結びに
私は様々な結婚・夫婦・家族の在り方が許容されつつある今だからこそ、ポジティブな気持ちで自分の結婚をお話したい。
もちろん、まだまだマイノリティかもしれないけれど、現に私の周りの人は全員が「素敵だね」と受け入れてくれたから、少しずつ、若い世代から、結婚のスタイルを選ぶことが自然になってきているんだと思う。
先ほど述べた「選択の自由」の話とも通じるけれど、「こうあるべき」とか「普通はこうだよね?」ではなくて、「相手と自分が幸せになるために、どう在りたいのか?」を2人で会話することが、本当の意味で夫婦になることなのかなと、非常に僭越ながら感じている。
そこには男だから、女だから、という押し付けがましいコミュニケーションは似合わないし、ナンセンスだからこそ、より相手の価値観や家族に対する考え方を深く掘り下げる会話が自然に生まれていく。
その言葉の中には、自分を生涯支えてくれるような素敵なフレーズがあるかもしれないし、この人を選んでよかったと心から幸せになれる瞬間がくるかもしれない。
私も今回の件で家族のことを話し合った時に、心が震えて涙が溢れるような素晴らしいコミュニケーションに、何度も立ち会うことができたから。
「結婚」はあくまで「選択」であって、婚姻届を提出することや、苗字が変わることや、同じ家に住むこと、それ自体は本質ではない。
むしろその先にある、
家族としての自分たちの「在り方」を2人で一緒に考えていきましょう。
そのために、同じ家に帰ってかけがえのない時間を過ごしましょう。
という約束としての結婚が、本当に大切なんじゃないかと思う。
最後になりましたが
今回この決断をしてくれた夫・そしてご両親
そして沢山の愛を注いでくれた私の家族には
感謝してもしてもしきれない。
このご恩は、愛をもってお互いを尊重し合い
たくましく生きていくことでしか返すことができないと思う。
このnoteが、1人でも多くの人の「考えるきっかけ」になることを祈って。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?