高次脳機能障害1
2020年6月16日、兄が脳梗塞になった。
1年前の6月16日午前4時過ぎ枕元のスマホが鳴った。寝ぼけながら画面を見ると知らない番号。何だろうこんな時間に。間違い電話かな?
出るのはやめて目が覚めてしまったのでトイレへ。トイレから戻ると留守電が入っていた。嫌な予感。
留守電を聞く。声が小さい。よく聞き取れないが、病院の名前。兄の名前。脳梗塞。というキーワードは聞き取れた。心臓がドキドキして、手が震える。隣の主人も目が覚めていたので、
「どうしよう!お兄ちゃん脳梗塞だって!」
と叫び、震える手で折り返し病院へ電話した。
繋いでもらった当直医の説明によると、1週間ほど前から心不全で入院していたこと。心不全は落ち着いてそろそろ退院する予定だったこと。そして、15日の夜普通に就寝した後、心臓にできた血栓が脳に飛び脳梗塞を起こしたこと。就寝中で気付かれずかなりの時間が経過してしまったことがわかった。
意識はあってすぐにどうこうなるわけじゃないので、主治医の出勤してくる時間を目指してゆっくり来てくださいと言われた。
今思うと色々言いたいことはあるけど、もう済んだことなので、まぁ仕方ないと思うことにする。
時間が時間なので、朝6時過ぎまで待って、近くに住む母に連絡した。母にも病院から留守電が入っていたらしく動揺していた。
母と私は東京に住んでいる。歩いて10分ぐらいの距離。
兄の住まいは京都。出張先の千葉で心不全で入院中の脳梗塞だった。
母も私も入院していたことすら知らなかった。
とにかく支度して母を連れ、主人の運転で千葉の病院へ向かった。昨年の6月はもうコロナが大変な状況で、病院での面会は制約があって大変だったが、何とか病室へ行くとたくさんの管に繋がれた兄がいた。
意識は朦朧として、大きな声で話しかけるとかろうじて頷くだけだった。目を開けてもすぐ白目を向いてスーッと目を閉じてしまう。
怖かった。
死んじゃうのかな、と思った。
主治医には脳が浮腫んで脳幹を圧迫すると危ない。脆くなってる血管から出血するかもしれない。1週間ぐらいが山。これを乗り切れば命は助かると言われた。ただ、言語中枢が大きくダメージを受けていて言葉は出ないだろうということだった。
この時は喋れなくても命が助かれば!と祈るばかりだった。
この日から私の人生は大きく変わることになった。