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ものがたり、うまれかわり

私はこの10年くらいの間に、何回生まれ変わったのだろう。

学生の頃から何気なく続けていた写真が自分の中で大切なものに変わってから、作品をつくるごとに沢山の気付きと変化を経て、新しい自分へと更新してきました。

それまでは、それなりに楽しく、それなりに色々ありましたが、今思い返すと割とのほほんと平凡に暮らしていたのではと思っています。でもよくよく振り返ってみると、自分の奥底に自覚していない違和感がずっとあって、その違和感をうまくすり抜けれるほど器用だったのか、違和感を違和感と思わないほど鈍感だったのか・・。もしかすると、それを長年ごまかし続けていたのかもしれません。

そして今から10年ほど前、急速に自己の変革と写真による表現が加速し始めました。

大きな転機となったのは母を亡くした事です。当たり前に続くと思っていた毎日が、当たり前ではなかったということ。そして母との最後の時間に向き合う中で、「この瞬間を写真で残しておかなければ」という強い衝動を初めて感じました。写真との密接な関わりは、この時が私にとっての転換点だったと思っています。この頃から、生きるという事と死ぬという事、なぜ私はここにいるのかという事、をひたすら考え始めます。

その後は、当時生活していたイギリスから日本に帰国しては、ひたすら移りゆく家族との関係を撮り溜めていました。あまりにも私的な内容だったため、誰かに見せていいものなのか(また誰かが見たいものなのか)と、作品にするという事をあまり考えていませんでした。

でも幾年が過ぎたある日、家を出てすぐそばのバス停で、それは起こりました。ふと見上げた空が、生きものみたいで思わず写真を撮りました。撮った瞬間、とても温かいものに包まれる感覚があり、全ての事が自分の中で「大きな円」として繋がったのです。「あ、終わった」と思ったその時に一つの作品が完成したのです。私にとっての写真と作品作りが始まってしまいました。

その数年で私の生活も、特別な出会いや別れ、自身が変化していく事への戸惑いや、イギリスから日本に拠点を移すという大きな環境の変化もあり、とにかくありとあらゆる気持ちを抱えた時期でもありました。感情の大波に半ば引きづり込まれ、深い深い海の底まで潜って、今まで見付けられなかった自分の欠片を集めているようでした。

この時期に出来た『Light Tour』『Summer Diary』『Dear You, From Me.』という作品は自分の中にある矛盾や痛み、葛藤を理解し癒すための作品だったように思います。作品を通して心が徐々に解放され、「本当の自分の形」みたいなものが少しずつ見えてきました。

日本に帰国してからは、「自分の形」よりも「世界の形」を知りたいと思い始めます。これが、のちに『A Thing Part 1/ もの その一』になりました。この作品は「その一」「その二」と足掛け6年ほどの長丁場のシリーズとなりました。自分の枠を超えたもっと大きいものを知りたいという興味は、結局は自分自身というところに戻ってはくるのですが・・。

去年(2020年)の『A Thing Part 2/ もの その二』の発表が終わってから、しばらくは作業ができませんでした。でも年が変わって少しずつ、ゆっくりと次の作品へと意識が向き始め、久しぶりに作業部屋に足を踏み入れました。部屋の真ん中に立ち、四方八方の壁に貼られている今までの作品を見渡した時、自分の手から離れた一つ一つの瞬間が走馬灯の様に流れ、一枚一枚の写真たちが今までになく愛らしく思えて、ありがとうという気持ちで涙が止まりませんでした。

最近は、これまでの変化とは全く違った節目を迎えている様に感じています。10年前につながった大きな◯が、もうすぐ泡のように弾けるようです。新たな大きな生まれ変わりの仕上げの時間。弾けた泡の中からは、何が出てくるのでしょうか。

いつも寄せては引く波のように、同じ問いが訪れます。
何の為につくるのかという事を、今一度、改めて考えさせられています。

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