綾瀬さんと真谷くん5「バレンタイン」
散歩がてら駅の近くを歩いていると、巨大なサイネージに「キューリアで好きを伝えるバレンタイン!」という広告が。
「そういえば、もうすぐでしたね」
すっかり忘れていました。手作りチョコをあげたら優くんは喜んでくれるでしょうか。
資金を収集して、スーパーで物資調達です。
「ショコラーデ、クリーム、ヴァイスも買ってくかぁ」
変な人がいます。チョコレート売り場で変なことを呟きながらひょいひょいと品物をカゴに入れています。ヴァイス、と言いながらホワイトチョコを放り込んでいましたから、彼女の中ではそういうことになっているのでしょう。
「んー、どうしましょう。何を作るかあんまりしっかり決まってません」
トリュフにするか、それとも他に何かあるか悩みどころです。
「あれぇ、バレンタインチョコ作るの?」
「は、はい」
さっきの変な人に絡まれてしまいました。
「何作るのか決まってるん?」
相談に乗ってくれるみたいです。
「いえ、何を作るかはまだ決めてなくて……」
「誰にあげるの?」
それは……どこまで言っても大丈夫でしょうか。
「恋人、に……初めてのバレンタインなんです」
ふむ、と思案する格好を取った彼女が、
「あんた今いくつ? お相手の人はどんな人?」
と聞いてきたので、高校生であること、彼も同い年で、とても優しくていい人だということを伝えました。
「……ねぇ、一ついいかな」
私の話を聞いてしばらく考えていたその人は何か考えついたみたいです。
「はい」
「そのお相手ってさ、真谷優だったりしない?」
なんで今のでわかったんでしょうか。
「そ、そうですけど……」
怖いです。この人は何者でしょうか。もしかして優くんのもう一人の恋人……な訳ありませんよね。あんなに必死に告白するような人に浮気相手なんているわけがありません。いたら泣いて抗議するまでです。
「私、優の姉だよ。そんな変な顔しなくて大丈夫だって。優があんまりあんたのことを話すから、もしかしたら、って思っただけさ」
お姉さんでしたか。これはちょうどいい。
「あの、優くんってどんなものが好きですか?」
「言うと思った! あの子はね、ちょっと刺激があるものが好きなんだよ」
いたずらっ子のような笑顔でお姉さんが教えてくれる。
「ありがとうございます!」
やっぱりチョコトリュフを作ろう、そう心に決めました。
お菓子作りは楽しいです。優くんの喜ぶ顔を思い浮かべながらやるとなおさらです。刻んだチョコを湯煎で溶かしている間に生クリームに少しアルコールを飛ばした料理用のブランデーを加えて混ぜておく。これで完璧なはずです。優くん、喜んでくれるでしょうか。
チョコレートを冷やしている間にラッピングを考えます。色々考えましたが、結局箱はちょうどいいのがなかったのでフィルムの袋に入れてリボンで縛ることにしました。
「ゆ、優、これ、受け取ってくれる?」
慣れてきたとはいえ、優くんを呼び捨てにするのに加えてお菓子を渡すというのはものすごく緊張します。
「え、これ、もしかしてチョコレート?」
「うん、手作りなんだ……」
どう、かな。迷惑じゃないでしょうか。久しぶりに緊張でドキドキしてます。
「ありがとう! あ、今食べちゃっていい?」
もちろんです! 喜んでもらえて嬉しい限りです。
「いただきます」
長い指が伸びてチョコレートを摘み、口に放り込みます。優くんは美味しいって言ってくれるでしょうか……
「んー、美味しい。響って本当に器用だな」
成功です。褒めてもらえました。
「二つ目は、響が食べさせてよ」
そうですね、せっかくなので恋人らしくあーんさせてもらいましょう。
「んぇ……響ぃ、こっち向いてよ」
チョコレートを食べてから数分、なんだか優くんの様子がおかしいです。
「はい、どうしました?」
「んへへ、かわいいなぁ、響は」
とろろん、とした瞳は熱を帯びて私を見つめています。おかしいです。いつものしっかり者の優くんはどこに消えてしまったのでしょうか。
「響ぃ、よそ見しないでよぉ。僕だけ見ててぇ」
これ、どっからどう見ても酔ってますよね! わかりやすく酔ってますよね! どうしましょう、これは困りました。
「ゆ、優! もう遅いですし、帰りましょう!」
この状態の優くんを野放しにしてはいけない気がします!
「いいよぉ」
とろりと溶けたような声でも優くんは優くんみたいです。ふわふわ嬉しそうに笑いながら帰路についてくれました。
「やっぱり響は可愛いなぁ」
ふわりと浮かんでるのかと錯覚しそうな笑顔で優くんがしみじみと言います。
「や、やめてくださいよ……」
褒められ慣れていないのでものすごくくすぐったいです。
「真面目でぇ、成績優秀でぇ、かわいいなんてぇ、ハイスペックすぎるよぉ」
「…………」
む、無理です! こんなに人を褒めるのが上手なのは反則です! 顔が熱いです。多分茹で蛸みたいになっちゃってると思います。
「どうしたのぉ? あ、熱でもある? 大丈夫ぅ?」
不意に優くんの手が伸びてきて、額のあたりに着地します。熱を測ろうとしてくれているのでしょうか。あまり意味はないと思いますが。
「ち、違います! 大丈夫、じゃないけど大丈夫です! 慣れてないから、そんなに褒められても困りますよ……」
困った顔をすれば、優くんのことですからやめてくれるはずです。
「そんなこと言われるともっと褒めたくなっちゃうなぁ〜」
違いました。酔った優くんはちょっと意地悪みたいです。
「えぇ……」
困惑している私をよそに、何やら優くんがゴソゴソと動きます。
「そうだぁ、響、これあーん」
言われるままに口を開けると、私の作ったチョコレートが放り込まれます。最後の一個じゃないですか、それ。何してるんですか。
「響のチョコ美味しいから、響も食べたらいいんじゃないかな〜って」
試食した可能性は完全に頭から抜け落ちてるみたいですね。
「ね、美味しいでしょ」
頷くしかありません。不味くはないので美味しいってことにしちゃいます。完全にいつもと違う優くんに戸惑っていると不意に、
「ん、ついてるよぉ」
と声がして、唇のすぐ下のところを舐められました。ココアパウダーでもついてたのでしょうか。にしても取り方です。ほぼ、キスみたいなものですよね……
「あれぇ? 嫌だったぁ? おかしいなぁ、姉ちゃんはこうしたらいいって言ってたのにぃ」
真っ赤になってしゃがみ込んでしまった私を覗き込むような感じで優くんがぶつぶつ呟きます。もしかしたら、お姉さんは優くんが酔うことを知っていて、それであらかじめ何か優くんに吹き込んだのかもしれません。そして私にも。
「……優、これ以上は、ダメ、ね?」
お願いなら、聞いてくれるかな……正直いつもと違いすぎてペースが狂います。それどころか何をどうすればいいかもわかりません。
「むぅ……わかったよぉ。あ、でも褒めるのはやめないから」
結局、優くんを家まで送っていきました。家から先にあったけど、やっぱりこの優くんを野放しにしてはいけない気しかしなかったので。そして優くんの家に着くまで私はめちゃくちゃに褒められ続けました。